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「トップに聞く」 太陽精工株式会社 山下貴嗣 社長

2023年04月29日

「トップに聞く」

太陽精工株式会社

代表取締役社長 山下 貴嗣氏

 

「チャレンジするから成長できる。

 そのDNAを大切にしながら、二つのXにも挑戦したい!」

 

 聞き手 未来開発・パブリシティ委員会 藤田守彦 高橋寛美

 インタビュー実施日 2023年3月22日

 

サマリー

・    十字穴の普及転換期の創業にパンチの内製で強み

・    直需の取引体制構築へ

・    太陽精工入社で役立った商社マンとしての経験

・    お客様の求めに応じた製品を最適な加工方法で提供する

・    これから注力する二つのX・・・GXは商機拡大、DXは内部の効率化

・    二つの若い人を育てるのが一番の仕事

・    NHK連続テレビ小説「舞い上がれ!」の舞台となって

 President Yamashita  2023-04-29 12.39.06.jpg

山下 貴嗣(やました たかし)

1965年生まれ。慶應義塾大学 理工学部卒業。商社(当時トーメン)を経て1993年に太陽精工に入社。2001年3代目代表取締役社長に就任。

 

十字穴の普及転換期の創業にパンチの内製で強み

Q:コロナ禍の影響もあって久しぶりの取材になりますが、よろしくお願いいたします。操業は60年前と伺っています。


President Yamashita2023-04-29 12.45.24.jpg山下 
そうです。昭和34年ですね。私は社長として3代目になりますが、初代は私の叔父になります。叔父は野川姓を名乗っていました。山科精工所(現:株式会社ヤマシナ)に勤めていましたが、「独立したい」と起業したのが太陽精工の始まりです。

その叔父は昭和55年位に亡くなりました。その時に専務をしていた私の父、山下武夫が2代目を継ぎました。その後に父の弟も入社して金庫番として父を支えました。父は弟と一緒に一念発起して事業に励んだそうです。初代の長男は藤田螺子で働かせてもらったことがあります。彼は製造を勉強させてもらったのですが、結局、彼はねじが嫌だと継がなかったので、父の後は私が継ぐことになりました。

当時のお客様リストがここにあるのですが、藤田螺子さん、八幡さん、しばらくして協立ねじ(現:ケィ・マック)さんなど。協立ねじさんも山科精工所から独立された会社で、当時は山科さんから独立された会社は多かったです。

創業の34年当時は、すりワリ小ねじから十字穴の普及転換期にありました。それまでマイナスねじが主流でしたので、十字穴のねじを作れるだけでもお客様に喜ばれました。みんなが納期を待ってくれるほどの時代でした。まさに高度成長の時代でしたね。うちは工具(パンチ)を内製しており、十字穴パンチも内製していたおかげで、納期がよそよりも短くできました。そこがうちの強みになっていたと思います。 

 

Q: 先代のお父様の時代には、どんな思い出がありますか?

山下 親父の代になっても、親父はできるかできへんのかわからんようなものをチャレンジするのが好きでしたね。現場は、しっちゃか、めっちゃかになって、やっと完成させるようなことが度々ありました。当時、家族も含めて10人ぐらいの会社ですから、父は営業をやっていましたが、営業だけでなく、一通りなんでもやるような時代で、作ることもやっていました。しかし、「作るのが下手くそだった」と、昔の現場の職人さんから聞いたことがあります。その後、現場は職人さんに任せて、営業に専念するようになったそうです。

 

直需の取引体制構築へ

Qお客様はどんな業種や企業が多いですか?

山下 直需のお客様と商社があります。今の取引は直需の方が多いです。直需のお客様は、車の制御機器関連、自転車部品関連、自然エネルギー変換器(家庭用電源に変換するパワーコンディショナー)に使われるねじなどです。その辺でだいたい直需が6割くらい、あとは業界商社さん向けになります。

直需は御得意先からお声がかかり始まりました。早い時期から直需をやらしてもらって、社員42人のうち製造部門は20人位でさほど多い方ではありませんが、管理部門のスタッフ比率は高い方かと思います。直需をやるということは、業界商社さんにお願いできる業務も自分たちでしなければなりません。品質管理や特に納期の管理です。私が入社した頃は納期もくちゃくちゃでした。注文もらっておいて、言われてからつくるような事態もありました。

最近では工程数の多い製品が増えてきています。ヘッダーして、ねじを切って、熱処理、メッキしてと、7工程や8工程になる製品がどんどん増えてきたんですね。業界としては皆が嫌がる製品です。生産管理も大変ですから。そこで管理部門の配置を厚くし、ITを使って管理部門の強化を図ってきました。製造部門もシステムを導入して納期を管理しながら仕事をする体制になりました。納期についてはお客様にご満足いただけていると思います。

  

太陽精工入社で役立った商社マンとしての経験

Q太陽精工入社までの経緯をお伺いします。

山下 僕が太陽精工に入社したのは平成5年です。慶応の理工学部を卒業すると、平成元年にトーメン(現豊通)に入社しました。大学受験では本当は医学部に行きたかった。ねじをやる気はなくて医者になりたかったのです。しかし、医学部受験に父が反対。「それだけは辞めろ。医者は潰しが効かないから」というんです。という経緯で大学は理系に進み、最終的には口で仕事ができる商社に就職が決まりました。ところがジャカルタ駐在が決まると、父が「帰ってこい」というんです。それまで一言もそんなことは言わなかったのに。多分、会社の経営にも自信ができてきたので、継がせたいという気持ちが出てきたのではないかと思いました。これは半分宿命だと思って入社しました。

それでも、最初は馴染まずに嫌だ、嫌だと思っていましたよ。平成5年から10年にかけてバブルも弾けてしまい、需要も激減しました。人生の中でも辛い時代でした。話が違うなあと、前の会社に戻りたくてしょうがなかった。それでも、「いつまで言ってても、あかんな」と2、3年経って覚悟が決まりました。

 

Q:商社にいたときの経験は、どのように役に立ちましたか?

山下 お客様とのやりとりとか、需給バランスやサービスの対価の対価を含めた価格設定とか、そういうのは勉強になりました。営業的なセンスというか、お客様との接し方とか、お客様の要求にどのようにミートさせるかといった感覚を覚えました。そういう経験は今も生きていると思います。

実は、親父は凄く人の良い人間です。誰も親父を嫌うお客様はいないです。そういういい人なだけに、値段が無茶苦茶安いんです。難しい注文に対応しても安いんです。原価計算が得意ではなかったんです。僕はどちらかというと、原価計算も勉強させてもらったから、採算性も考えて商売をさせてもらっています。世代の違いもあるのかと思いますが、親父の時代は、注文がどんどん入ってくる時代ですから、価格の吟味なんか必要なかったのかも知れませんね。

ただ、採算性にこだわり過ぎてチャレンジする気持ちを忘れたらいけないと思います。チャレンジすることによって、失敗もあるが成長もできます。努力することによって会社の製造力や技術力も上がります。その親父の精神は引き継いでいると自負しています。難しい形状とか複雑な形状に挑戦していますが、これは親父のDNAだと思いますね。

 

お客様の求めに応じた製品を最適な加工方法で提供する

Q今の製品は多岐にわたっていますね。ねじつきの部品、特殊ねじの可能性をどのように切り開いて行きますか?

山下 締結部品の中で、特殊形状、特殊部品はニッチなカテゴリーに入ると思います。規格品は調達に頼っています。我々は特殊品の製造に付加価値を見出し、活路を開きたいと考えています。

これからもお客様の製品のコストの合理化のために、特殊ボルトに色々な機能を持たせ、軽量化をするために、アルミやチタン合金などの材料を採用するなどの流れは変わらないと思います。我々はその加工によって生き残る道があると思っています。そこに加工方法、加工技術を厚くして行きます。加工方法も今までは塑性加工を中心にやってきましたが、昨今、切削加工も自社でやるようになりました。お客様の求める形状に対して最適な加工方法を提案するのがミッションだと思っています。

Products of Taiyo Seiko IMG_1722 copy.jpg太陽精工の特殊締結部品の数々

 

これから注力する二つのX・・・GXは商機拡大、DXは内部の効率化

山下 最近「X」というのが流行るではないですか。例えば、商材としてはGX(グリーントランスフォーメーション)がキーワード。これから益々環境を意識しなければならないと思っています。社会が2050年カーボンニュートラルを目指しています。幸いなことにお客様であるの自転車部品もGXの代表的な業種。自然エネルギーの変換器もそうです。環境というテーマは我々の企業活動と切っても切り離せないない。GXから我々の商機や商材が生まれると思っています。

もう一方で、仕事の合理化を進めなければなりません。そのXがDX(デジタルトランスフォーメーション)です。業界的には苦手な分野ですが、効率化、合理化は避けて取れない。DXには向き合っていかなければならないと考えます。

つまり、GXは外部に対する商機拡大という意味を持ったキーワードになり、DXは仕事の効率化という内部に向けた改革のキーワードです。

 

Q営業的にもGXの方向にアンテナを貼って商機を見出して行くということですね。今、営業さんの体制は?

山下 営業体制は42人のうち4人、この規模の会社としては、多い方ではないでしょうか。

 

Q 一方のDX、内部に向けた効率化では、具体的にどのようなことを目指すのですか?

山下 技術の伝承は難しいです。技術を持っている人は職人さんではないですか。60歳、70歳になった技術者がいます。President Yamashita  2023-04-29 12.29.48.jpg技術顧問の方は73歳。彼らの頭の中には技術が詰まっています。まだ属人化された技術が残っている。「技術は盗め」と言われても今の若い人はそれができません。一方で、若い人はデジタル化するのは得意です。ビデオに撮ったり、マニュアルを収録したり、パソコンで情報を扱うのは得意です。そこで、さまざまな技術情報を一つのシステムに蓄積・集積して行こうと思っています。そこから「太陽精工オリジナル技術」として枝葉を生やして行こうという活動をしています。「技術を伝承せよ。伝承せよ」と言っているだけでは、いつまで経っても何も動かないです。

世代が変わることによって、その世代の得意なことや気質も変わって行きます。ゲームやパソコンは若い人に敵わないですよ。そういう世代にはシステムやツールを用意するので、それを活用してやれば良いと思います。

 

Q多岐にわたる製品とそれを実現する技術のデータベースができたら、お客様のどんな相談も受けるという戦略ですが、お客様のどんな要求にも即座に対応できますね。

山下 そうです。今、たくさんの引き出しを作って、中身の情報を入れて整理整頓して行く。それを進めている段階ですね。そこに新しいチャンスに、それを使いながら、また新しい技術が蓄積されて行きます。システムには「太陽ナレッジマネジメント」という名前をつけて活動をしています。

 

Q素晴らしいですね。

山下 簡単に結果が出るようなものではないですが・・・結果を出すのはこれからです。職人の感性を数値化するという難しさへの挑戦です。

 

Q競合する相手を感じることはありますか?

山下 感じますよ。どこの会社がこんな設備で仕掛けてきはったかとか。それは常に脅威に感じます。でも、若い人も着実に育ってきているので、しっかりした武器というか設備を与えてやれば、やっていけると手応えを感じています。会社によって「使いこなし度」は異なります。弊社だって同じ武器を持っていても、素晴らしい使い方をしているところもあるし、そうでないところもあるかもしれない。だから今の人材が「太陽ナレッジマネジメント」を活用して行くことで、もっとやって行けるようになると信じています。

 

若い人を育てるのが一番の仕事

Q関連して人材育成について伺います。

山下 難しい問題ですね。ここ4、5年ですかね。人材育成の大事さを痛感しているのは。僕は親父に教えてもらったことがない。親父は僕が社長になってからも、何をしても一言も文句を言わない。僕が「もっと教えてくれや」と思うくらい、教えてもらったことがないのです。おかげで、自分で考える癖が身につきましたね。結局、親父は見守ってくれていたんかなと、今にして思います。

逆に自分が人を育てる立場になったわけですが、その頃は正直、社員は歯車くらいしか考えていなかった。あんたはこれをやってくれ、あんたはこれをやってくれと・・・。しかし、もうちょっと皆が自発的に行動し、全体が回るようになるにはどうすれば良いかなと、10年位前から考えるようになった。そして、ここ4、5年で実践している最中です。会社の理念とかミッションとかホームページに書いてありますが、そういうことは全く苦手でした。苦手だったのですが、社員が自発的に動いて、ベクトルを同じ方向に向かわせるには、理念やミッションの言葉が必要だと実感しました。

 

Q育てるという観点から10年前からの取り組みを教えていただきましたが、これまでのお話を聞いていると、元々、チャレンジする商機を大事にするという視点は昔からずっとあったようですね。その中に社員が挑戦すべき課題や学ぶべきことが、ふんだんにあったのではないでしょうか?

山下 親父は商売のネタを拾ってくるのは上手だったと言いましたが、商機を現場に投げてなんとか実現させる。社員をその気にさせるのは上手だったと思います。採算を考えないところが玉に瑕でしたが(笑)。今は新しい商材とかビジネスチャンスをうまく活用して課題を与えるのは良いが、それだけだと社員を歯車として使うだけになってしまう。社員を使っているだけではまずい。そこに社員が自発的に仕事をするようになるためには、どうしたら良いか目を向けるようになったのです。

これからを展望すると20年30年会社が回って行くようにするためには、今の若い人を育てるのが一番の仕事だと富に感じます。もちろん自分の後継も含めてです。僕らの歳になったら、みな、そんなことを考えているのではないでしょうか。

 

Q新たなソリューションサイトを立ち上げた狙いはどんなところにあったのでしょう。

President Yamashita2023-04-29 12.45.24.jpg山下 ビジネスチャンスをもっと広げたい、加工技術に興味を持っている方に我々の技術を訴求したいと、それを実現するために立ち上げました。お客様の開発設計段階から、我々も加わって行きたい。その段階で必要な技術ニーズをお聞きすれば、例えば、加工工数を削減し、生産リードタイムを短縮できるとか、お客様に価値ある提案をすることができます。こういうソリューションサイトができれば、サイトを訪問したお客様の足跡がわかります。特定できたお客様には直接コンタクトを取らせていただいて、リアルにお会いしてアナログで必要十分な対応をさせていただくことができます。その入り口に当たるところでは、闇雲に電話したり、ドブ板営業をやるような時代ではないと思います。ここは効率化して確度の高いビジネスアプローチをしたいと考えています。立ち上げてまだ2ヶ月経っていませんので、効果の検証はこれからですが、しっかり育てて参りたいと思います。

 

Qお客様側から見たら、製品設計の早い段階で、必要な技術的ソリューションを探したいというニーズに応えるということですね。

山下 はい、早く組み込めば、お客様にも大きなメリットがあります。お客様がメリットを享受できるように広く発信したいということです。効率よく営業を進めるというDXの一環ですし、もちろん、商機の拡大も狙っています。

この効果検証はまだ先ですが、このチャレンジが若手の人材育成のためになったことを実感しています。これ作るに当たって、今の営業人材のうち前例にとらわれない若手が中心になって頑張りました。一番若い人は25歳。彼は入社1年目ですが、このサイトの立ち上げ体験を通して「むっちゃ勉強になった」と言っています。僕もよく仕上がったなと感心しています。商品知識や製造技術をサイトに紹介するのですが、製造技術については、現場の話を聞くところから始めて、整理して、掲載する体験をしました。訴求すべき製造技術とは何か大いに学んだと思います。

 

NHK連続テレビ小説「舞い上がれ!」の舞台となって

Q NHK連続テレビ小説、ねじ屋さんが舞台になった「舞い上がれ!」の評判が良かったですね。あの撮影協力をされた経緯はどんなものでしたか?

山下 NHKのあるドキュメンタリー番組に出た設備メーカーさんがありまして、そちらご縁で「舞い上がれ!」に協力してもらえないかと相談を受けたのがきっかけです。どうすべきか悩みましたよ。だいたい、ねじの話が取り上げられるときには、ドラマに出て来るとどこかに暗いイメージがあるじゃないですか。そういうシナリオなら勘弁して欲しいと。でも「舞い上がれ」のタイトル通り、主人公が明るく未来をつくって行くストーリーですからと言われて、少しでも業界のためになればとお受けしました。社内的には社員のモチベーションや喜びに繋がればいいなという気持ちもありました。もちろん、社員にも負担をかけるので、その点も悩みました。

実際に撮影をした時は大変でした。9月の3連休の3日間、総勢70、80人の撮影隊がバス2台でやってきました。うちの社員の数の2倍近い人数の方が来られて、朝の8時から夜10時までびっしりスケジュールが詰まっています。社員もお世話するだけでなく、エキストラとして出演して工場の機械を操作したりしました。

打ち合わせも2ヶ月で10回以上。俳優さんもねじについて熱心に勉強してもらいました。例えば、ベテラン職人笠巻さん役の古舘寛治さんは、納得するまでしつこく質問してきましたのでしっかりお付き合いしました。

 Iwakura sign board 2023-04-29 12.30.38 copy copy.jpg「舞い上がれ!」のIWAKURAのサインボードの前で

Q困難を乗り越えてヒロインが成長して行くストーリーが良かったのと、ねじの取材を一所懸命やって作り込んだところも良かったなと、私も感心して観ていました。協力してこられた立場で、どんなことがよかったですか。 

山下 今となっては得難い経験です。社員さんにとっても良かったと思います。若い社員の親御さんも応援に来てくれました。社員が家に帰って「実はうちの工場で撮影があるんだ」と報告したら、母親に怒られたって言うんです。「なんで早く教えてくれなかった」と。その親御さんも駆けつけてくれました。授業参観ならぬ「会社参観」のような機会になって、こういうところで働いていると家族にわかってもらえたのも嬉しいです。

実は、僕ら、撮影の時はどんなストーリーになるのか知りません。ですから放映されてから、舞ちゃんの父親の浩太社長(高橋克典)が亡くなった時は衝撃でした。そんな想像はしていませんでした。いつの間にか自分に重ね合わせて観ていたところもあったので尚更です。「えっ、ここで亡くなるんですか」と思いましたね。自分の厳しかった時代、入社まもなくバブルが弾けて仕事が無くなった時代を思い出して涙が出ました。

Commemorative photo of %22Mai agare!%22 2023-04-29 12.28.57.jpgロケの記念に「舞いあがれ!」に出演した俳優さんたちと一緒に

Q社長になってから大事にしてこられたこと、これからやりたいことは?

山下 自分は恵まれているなと思います。お客様にも、社内の人間にも恵まれているなと感じます。おかげさまでやってくることができました。その分を社員に対しても返して行きたい。一人前の会社にいることを実感してもらえるように、待遇面でも報いていかなければと思います。

 

Qご家族は奥様と?

山下 嫁さんと子供が3人。上二人が娘、下に学生の息子がいます。ついでくれるかどうかわかりませんが、親を見て育ってくれたと思っています。

 

Q家庭の中では大事にしてきたこと、これからやりたいことは?

山下 家庭の中では、ちょっと難しいな。「パパは私を大事にしてくれないけど、子供はにはいいパパだよね」と。これは嫁さんの常套句です。確かに子供を大事にしてきました。僕から遊ぼうと言って、一緒に過ごす時間を大事にしてきましたね。 

家庭でこれからやりたいことですね。これまで苦労をかけてきた、僕の嫁さんに孝行したいです。最後に一緒に過ごすことになるのはやはり嫁さんですから。

 

Q最後の最後に協会への要望がありましたらお願いします。

山下 社員が仕事に誇りを持てるような取り組みを期待しています。そういう意味で技能検定は方向が合っていますね。早く完成させていただけたら嬉しいですね。

 

長時間にわたりありがとうございました。

 Head office factory.jpg

「舞い上がれ」 にも度々登場した太陽精工の本社屋