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01.「トップに聞く」

興津螺旋株式会社 代表取締役社長 柿澤宏一氏
2016年10月17日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

「トップに聞く」

 興津螺旋株式会社

 代表取締役社長 柿澤宏一氏


  聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ


 インタビューサマリー


  ・ 木ねじから、ステンレスねじのトップシェア、特殊鋼へ

  ・ 感性を大事に、チタンの面白さを伝える

  ・ 「工程内品質保証」で、不良は限りなくゼロに近づく

  ・ 女性が働きやすいと、みんなが幸せになる

  ・ お客様の要求を受け入れて、引き出しを増やす

  ・ お参りすることが好き。毎日神棚に手を合わせる

  ・ 「真善美」を信条に、自分が買いたいものを作る

  ・ 会社概要

 

 

柿澤宏一 (かきさわ こういち)

1972年生まれ。上智大学経済学部卒業。商社勤務を経て1996年に興津螺旋に入社。2007年3代目代表取締役社長に就任。座右の銘は「真善美」。

 

 

 

木ねじから、ステンレスねじのトップシェア、特殊鋼へ

―― 御社は興津螺旋鋲製作所として創業され、ステンレスねじの国内トップシェア

に成長されるまで、どのように歩んでこられたのですか。

 

柿澤 創業者である私の祖父は、材木屋の次男でした。祖母の兄弟がねじの会社に勤めていたので、工場を見せてもらう機会もあり、実家の材木にも関係があるということで、1939年にねじや釘、針金の会社を始めました。戦時中だったので、1940年代には海軍工廠協力工場に指定され、ゼロ戦の部品を作ることになりました。

 戦後、復興資材として木ねじの製造に戻り、1950年代には、鉄の木ねじでは国内シェアNo.1になりました。
 木ねじのかたわら、アルミサッシの組み立ての仕事もしていましたが、1960年代にはステンレスねじの製造を開始し、アルミサッシの台頭とともにステンレスを専門とするようになり、1980年代には、ステンレスねじでも国内シェアNo.1になりました。

 

―― 現在、御社ではどのような製品を製造しておられますか。

柿澤 ステンレスねじが85~90%です。規格品を中心に小ねじ、タッピング類やソケットスクリューを製造しており、窓、ドア、キッチン、バス、トイレなど、住宅や建材系のお客様が最も多いです。一般にステンレスねじのメーカーは小ねじやタッピングを作っていることが多いですが、当社が特徴的なのは、木ねじも意外と多いことです。十字穴付き木ねじ、すりわり付き木ねじに関しては、当社は唯一のJIS規格認証工場です。
 最近ではチタンやチタン合金、ニッケル合金、クロムモリブデン鋼など、特殊鋼やレアメタルの製品も徐々に増えてきています。

―― チタンに取り組まれたきっかけは。

柿澤 ステンレスの需要が伸び悩んでいた時期に、これからは難加工材もやっていかないとだめだと判断したからです。鉄からステンレスに移行できたのだから、もっと難しいところに行くべきだと考えて、当初は市場もわからないまま始めました。
 始めてみるとチタンの市場は小さく、売れにくさもあります。私の感覚では、チタン合金のねじはものすごく加工が難しいと思いますが、作る難しさを「1」とすると、売る難しさは「2」です。しかし、売れにくいこともあって、付加価値が高いにも関わらず、参入されにくい市場でもあります。また当社の場合は、競技やスポーツの業界、化学プラント向けなど、守秘義務契約を結ぶような製品が多いので、一度獲得したお客様には継続していただける可能性が高く、現状では、ステンレスよりは競争が少ないと感じています。
 当社は一般社団法人日本チタン協会の会員ですが、日本ねじ工業協会とは活動のテーマが異なります。ねじは業界自体が成熟しているので、あまり目立たないねじを世間に認知してもらうということが重要なテーマですが、チタンの場合は、まだ市場があまり開拓されておらず、いかに市場を広げるかが活動のテーマです。チタンの市場開拓は、私自身のテーマでもあります。

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感性を大事に、チタンの面白さを伝える

―― 御社としては、チタンの市場をどのように開拓しておられるのですか。

柿澤 一つの取組みとして、大手のオンラインショッピングサイトで、競技用チタン合金ボルトを1本単位で販売しています。その狙いは、自転車や自動車の競技を愛する人たちにチタンボルトを使ってもらいたいことと、その人たちを通じて仕事でも使ってもらえる機会を増やすことです。頭の形はヘキサロビューラーやLHスティックスなど、変わった形状のものが多いですが、寸法は規格品のボルトと同じです。
 父は、祖父から「これからはステンレスだぞ」と言われたそうで、確かにステンレスの需要は高まりました。それを真似してか、父は私に「これからはチタンだぞ」と言ったのですが、市場がなかなか広がらなくて苦労しています。これまでいくつかの業界に参入することができましたが、チタンによって課題が解決したり、改善したりする業界はまだ他にもあると考えて、がんばっています。

―― 柿澤社長にとって、何がチタンの魅力なのでしょう。

柿澤 私は自転車や自動車など乗り物が大好きなのですが、自転車のボルトをチタン合金に変えるだけで、乗り味がしっかりするし、車のハンドルの6本のボルトを変えただけで、剛性が変わるのがわかります。チタンは一定の力がかかった時のひずみが少ないからだと思うのですが、ねじを数本変えただけの変化を、人間が剛性感として感じられることがすごく面白いし、人間の体に入っているセンサーはすごいと思います。

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ハンドルをチタンボルトで固定したレーシングカーと競技用自転車

 

 きれいとか、かわいいとか、面白いとか、速いとか、そういう感覚、感性は、当社が大事にしていることの一つです。世の中の人は数字で物事を評価しようとする。それはわれわれにとって、やりやすさ、わかりやすさでもありますが、反面、楽しくはありません。

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自転車競技に出走している社員の勇姿

bicycle02.jpgショールームの自転車。後方には競技で獲得した数々の賞状やメダル

 

 私は、本当にいいものは感性によって生まれると思っています。乗り物を「足」として考えるなら、自転車や自動車の剛性が変わっても意味はありませんが、それを面白い、楽しいと感じてくれる人はいます。ばかばかしいと思う人もいるかもしれませんが、そういう楽しさを仕事にできる人はあまりいないでしょうから、そのばかばかしいところをあえてやりたい。それにはブランド性も大事だと思うので、中国製のチタンは安くても使わない。大きな収益になるとは思いませんが、チタンの面白さを世の中に知らしめるのも、自分の使命だと思っています。

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「工程内品質保証」で、不良は限りなくゼロに近づく

―― 御社を構成する製品の一つに、「規格品の改良改善」とありますが、

具体的にはどのような製品なのですか。

 

柿澤 当社の規格品を使ってくださったお客様から「十字穴がなめた」とか、「ちぎれた」とか、「ねじ山が潰れた」などと、ご指摘をいただくこともあります。そもそも規格品ですから、JIS規格のスペックは満足しているので、「不良品ではない」という答えでも間違いではないでしょう。でも当社では、お客様がお使いになるシチュエーションなどをお聞きし、JIS規格に適合していて、かつお客様の使用条件下でより良く改造したものをご提案します。

 お客様にとっては、規格品であることより、自分たちの使用条件に適合した品物であることが重要なはずで、もっと言うならば、ねじが欲しいのではなく、締結の手段が欲しいのです。お客様に満足いただける製品を「お客さまと一緒に作り出す」という考え方のもとでやっていることです。
 多くのお客様に共通する課題と思われることは、規格品にもフィードバックしています。たとえばなめにくい十字穴もその一つで、JIS規格の範囲内で興津螺旋スペックを作り、すべての十字穴の製品で採用しています。商社さんとのおつきあいのなかで、規格品でお困りだったお客様の問題が、同じ規格の当社製品で解決したという事例も増え、ご評価いただけるようになりました。

 

―― 御社では最終全数選別を行わず、「工程内で品質を作り込む」とのことですが、

なぜそれができるのでしょう。

 

柿澤 当社では「工程内品質保証」と呼んでいますが、「精度が維持された、不良を出さない設備」、「加工状態の監視と流出防止」、「不具合再発防止策の徹底」によって、実現しています。

 まず、良い品物をつくるには、良い設備が必要です。腕でカバーするという考え方もありますが、100分の5ミリの精度が欲しければ、金型の精度も、設備の精度も、100分の5ミリより高くなければいけないはずで、設備で品質を作り込むというのが当社の考えです。
 当社では1994年からTPM(Total Productive Maintenance )活動に取り組んでおり、2002年度にPM賞/TPM優秀賞第2類、2005年度にPM賞/TPM優秀継続賞第2類、2008年度にはPM賞/TPM優秀賞カテゴリーAを受賞しています。現場従業員の4割が、国家資格である「機械保全技能士」を取得し、ヘッダーや転造機を、1人でバラして、組み立てて、精度を高めることができる技術を持っています。設備の保守点検を社内でできるようになってから、機械の故障がなくなり、精度も上がっています。
 各機械メーカーから、不良加工を検出するチェッカーが提供されていますが、チェッカーはセンサーですから、機械自体の精度が悪ければ、良品を不良と判定したり、不良を良品と判定したりと、有効に使うことができません。当社の場合は機械の精度が高く、チェッカーがきちんと作用するので、不良品は次の工程に行きません。これをすべての工程で繰り返しています。
 それでも不具合が出た場合は、徹底的に再発防止をすることで、不良品の発生は限りなくゼロに近づいていきます。こうすれば最終全数選別は不要になるはずです。

―― 全数選別を指定するお客様もおられるのではありませんか。

柿澤 はい。たとえばハードディスクを作っているお客様は、全数画像選別が指定でした。建築用ねじなら多くても月に150~200万本ぐらいですが、ハードディスクねじは週に200万本というレベルで、選別機が何台あっても足りません。そこで、お客様に当社のものづくりの考え方をお伝えして、現場も見ていただき、「全数選別なし」を認めていただきました。それ以降もゼロクレームなので、考え方としては正しいのではないかと思います。住宅建材メーカーでも当社の考え方に共感してくださるお客様もおられ、とてもありがたいと思っています。
 品質に関しては、同業他社と比べて「品質が幾分いい」という程度ではなく、「この会社に頼めばクレームが減る」と確実に言ってもらえるような「ゼロ・ディフェクト」を目指して取り組んできています。

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女性が働きやすいと、みんなが幸せになる

―― 御社は女性従業員がとても多いですが、ものづくりの世界では珍しいことですね。

 

柿澤 「ねじガール」はいろいろなメディアにも取り上げていただいていますが、現在当社は事務職を含めて女性従業員が5割を超えています。
 特にこの2年ぐらい、不良廃棄率が半減しているのは、ねじガール効果です。ねじガールは、やることをきちんとやる。ルールを守ることは当たり前なのですが、彼女たちの凄さは、そのルールが何のために存在するかという本質をちゃんと理解してくれていることです。だから絶対に手を抜きません。また腕の立つ先輩たちも、「やっぱり凄い」と尊敬され、さらに伸びるのです。

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現場で活躍する「ねじガール」

―― しかし一般には工場勤務というと、男性の応募のほうが多いのではありませんか。

 

柿澤 多くの会社が男性を優先的に採用するので、それを自分の実力と勘違いしているのかもしれませんが、女性は認められることに対して現実を見ていて、入社したからには、認められたことに感謝し、働く場があってありがたいという思いで仕事をしています。今の女性社員たちも、「文系でもいいか」とか、「女性でもいいのか」という不安を持ちながら、ここで働きたいから来てくれた人たちです。そういう人たちは妥協もしないし、伸びるし、凄いです。
 採用に関しては、いなかのねじの会社に優秀な人が入社してくれるわけないと思っていた時期もあります。しかし、やはりそうではない。自分が面白い仕事をしたいと考えた時に、こういう人と働きたいという人材を探しに出かけることはものすごく大事です。工程内品質保証を実現できているのも、優秀な人材あってのことで、当社の従業員は、技術も人としてもかなりレベルが高いと自信を持っています。
 勉強が苦手、人と喋るのも苦手だから、工場ならいいというような、工場勤務という仕事に対する考え方は間違っていると思います。特に残念なのは、商業高校の先生などが「あまり出来が良くない子がいるので、現場でいいから採用してくれないか」とおっしゃることです。それは違います。約束やルールを守れない、事務の仕事ができない人は、現場でもいい仕事はできないと思います。
 正直なところ、最初は女性がこんなに多くなるとは思っていませんでした。特に女性を採用しようとしたわけではなく、優秀な人材を採用していったら、結果的に女性が増えたというのが現在の状況です。今では、国立大の工学部の学生や、大学院生も応募してくれるようになりました。

 

―― 女性が働きやすい工場であるためには、課題も多かったのではないかと思います。

 

柿澤 当社では、女性が働きやすい職場にするという視点で、長いレンチや電動リフトを導入したり、自動倉庫や安全な工作機械を導入するなど対応してきました。しかし、腕力などのハンディを工夫で埋めているだけで、それ以外は男性、女性を特に区別していません。女性が働きやすいようにした結果、男性も楽になり、高齢になって力が弱くなっても働ける環境になる。女性も男性も、高齢者も、誰でも幸せを享受できるような仕組みを作っていくことに意味があると思っています。

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腕力のハンデを克服するために工夫された工具や工作機械の数々

 

 もう一つ重要なのは、会社に対する信頼感です。中小企業の良さの一つは、個別対応が可能であることでしょう。過去には仕事場にベビーベッドを置いてあげたこともあります。実際は子どもの世話をしながらでは、仕事は思うように進まないと思いますが、そういうことでも受け入れてくれる、会社として対応してくれるという安心感があるだけで、働く人は会社のことを信用してくれるし、喜んでくれます。
 女性は、不安や困り事、願いなどがあると言ってくれますが、それは会社を信じているから。ありがたいことです。たとえば「産休を取りたい」ということは、その会社が好きで、そこにいたいからでしょう。そこで上司が一瞬でも困ったような顔をしただけで、その信頼関係は崩れ落ちてしまう。むしろチャンスとして捉えないと、もったいないと思います。そういう不安などを解決できるように対応していくのはすごくいいことだと思いますし、当社では、子どもが熱を出したりすれば、すぐに帰れるような風土ができてきています。

 

―― 御社では有給の取得も多いそうですが、どのような理由があるのでしょう。

 

柿澤 JOBローテーションを実施しているおかげです。事務職の人が別の事務職というレベルではなく、現場から事務職、事務職から現場というレベルのローテーションです。特に女性の仕事に関しては、その人しかわからないという会社も少なくないと思いますが、JOBローテーションによって、その人しかできないという仕事をなくしています。
 当初現場の従業員には抵抗もありました。でもJOBローテーションの結果として、有給を取りやすくなることがわかり、今は積極的に動いてくれるようになっています。
 実はこれも女性がきっかけです。女性は休むもの、産休や育休を取るものと考えて、その対策を考えていくと、すべてに応用することができます。有給や、産休、育休だけでなく、男性も入院するようなことがあれば産休と同じような休み方ができます。現場の女性が妊娠しても、何の抵抗もなく事務職に迎え入れることもできます。女性を徹底的に大切にすると、全社が幸せになると今は信じ込んでいます。

 

―― JOBローテーションは、他の職種を理解できて、仕事もしやすくなりそうですね。

 

柿澤 はい。自分の仕事の川上、川下を理解するだけでも全然違うと思います。また、評価の面でも、客観的に同じ尺度で評価しやすくなります。
 その人しかできないと思っている仕事でも、意外と他の人がその仕事をしていないからわからないだけ、ということもあります。また一度経験した部署が困っていれば、自ら進んでカバーしてくれたり、リーダーシップを発揮してくれたりと、それまで気づかなかった各人の力量や可能性も見えてきます。おかげで、管理職を任せられそうな女性も3人ぐらい見出すことができました。

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お客様の要求を受け入れて、引き出しを増やす

―― これまでの歩みのなかで、転機となった出来事はありますか。

柿澤 一つはリーマンショックかもしれません。暇になってしまったので、チタンねじの開発に注力しました。チタンはもともと手がけてはいましたが、リーマンショックの時期には、自動車のハンドル用のチタン合金ねじの開発に取り掛かりました。最初は社内では、完全に「社長の趣味でやっている」と思われていたと思いますが、今は有名なメーカーからお仕事をいただけるまでになっています。仕事が減ってしまった時でも、落胆するより夢に向かって突き進んだほうが、社員にとってもいいと思います。

わかりやすい言葉で経営方針を語る柿澤社長

 ステンレスのソケットスクリューに参入したのもリーマンショックのときです。実は2005年ぐらいにチタンのねじを日経産業新聞のトップで取り上げていただいたことがあり、それがきっかけで面識もなかった有名な会社の方に「チタンでソケットスクリューを作れないか」と持ちかけられました。しかしソケットスクリューは作ったことがなかったので、まず練習を兼ねてステンレスで開発し始め、2007年の終わりごろに完成させていました。その後のリーマンショックのときには「あのステンレスのソケットスクリューを売ろう」と考えて参入したのです。名前も知らない方の影響で始めたことですが、やっていて良かったと思いました。絶対的なボリュームは多くありませんが、毎月2割ぐらいずつ伸び、今では売上の10%程度になっています。

 

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陽極酸化処理によって美しく仕上げられたチタンボルト

 

―― アクリル製のねじも作られましたね。

柿澤 知人から「アクリル製のねじが欲しいという人がいるが、作れるか」と言われたことがきっかけです。アクリルでねじを作るなんて、ねじ屋の仕事ではないと思う反面、お客様はこういうことも「ねじ屋さんに相談しよう」と思うんだな、面白いな、とも思いました。ならば期待にお応えしようと、アクリルの棒を旋盤で削って作ったところ、とても喜んでいただきました。そのねじは、ユニクロ銀座店のアクリル製の陳列棚に使用されていますが、求められたことを素直に受け入れたことで、引き出しが増えました。

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お客様に喜んでいただければプラスチックねじもつくります


 他のお客様には、ステンレスのソケットスクリューを採用していただいたときに、「鉄のソケットスクリューも一緒に欲しい」といわれたことがあります。「ステンレス屋だからない」と言ったら、「仲間から仕入れればいい」と言われて、そうか!と。今は、鉄のソケットスクリューを作ることもありますし、頼まれればワイヤーカットで鉄の部品も作ります。
 こういうお客様方の言葉を咀嚼してみたことで、自分たちがいかにステンレスや規格品に固執していたか、素材や形状、「作る」ことに凝り固まっていたか、ということに気づきました。現在は、作り方や素材にこだわり過ぎるのをやめるようにしています。

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お参りすることが好き。毎日神棚に手を合わせる

―― 柿澤社長ご自身についても、お聞きしたいと思います。

どのような子ども時代を過ごされましたか。

 

柿澤 休日や夏休みには、よく会社に連れて来られていました。習字とピアノを習っていたのですが、その教室にいくためのバス停が「興津螺旋前」だったので、習い事の帰りにもよく来ました。事務員さんが優しくて、カルピスを出してくれて「会社は最高だな。カルピスがあるのか!」と思っていましたね。

 休日は、父と一緒に会社でラジコンカーをしました。私は安いラジコンカーしか買えないのに、父は高くていいのを持っている。父から「社長は好きなことができるってことを見せたかった」と後になって聞きましたが、私は子どもながらに「子どもと同じことをやっているなんて、お父さんって子どもだな」と思っていたので、作戦はあまり成功とはいえませんね。
 すっかり父の策略にはまったこともあります。中学生ぐらいのときに、父から「ガールフレンドができたら、全部男が払うもんだ」と言われました。でも成績が10段階の6以上でなければ、お小遣いをもらえなかったので、いい成績をとるしかありませんでした。
 ねじの仕事について意識したのは、床屋さんがきっかけです。私は、本当はコックさんになりたいと思っていましたが、ある日、床屋の親父さんに「うちの息子は床屋をやると言っているが、お前もねじ屋になるのか」と言われました。その時まで考えていなかったのですが「そういうものなんだ。ねじ屋になるのもいいか」と思ったことを覚えています。

 

―― 大学卒業後は、商社勤務を経て興津螺旋に入社され、約10年後に社長に

就任されましたね。

 

柿澤 はい。お世話になった商社は当社のお客様で、1年ほど修行させていただきました。

当社に入社してからは、まず品質管理の仕事からスタートし、TPM活動の事務局、品質向上や現場の5Sといった仕事が中心でした。途中からは営業もし、また現場も学びながらドリルねじを作ったりしました。
 社長就任の時期については、うすうす2008年頃だろうと感じていましたが、そこに向けて自分の基盤がためをし始めた2007年に、社長になるように言われました。想定より1年早かったですね。でも、就任の1年後ぐらいにリーマンショックが起こりましたから、想定通り1年後だったら、社長就任は先送りになっていただろうと思います。
 私は、社員と社長は位が違うのではなく、社長という役割だと思っています。しかし自分がどんなに努力したとしても、周りから見れば社長の息子だから社長になったと思われる。ありがたいことに、そういうことを教えてくださる方がいらしたので、就任当初は、急にやり方を変えたり、新しいことを始めたりするのは控えました。いきなり変えると、今までが間違っていたようで父にも申し訳ないですし、社員も身構えると思いましたから。未来に向けての商品展開について考えつつ、それまで会社がやってきたことを引き継ぎ、社長就任前から続けてきた品質向上には徹底して取り組みました。

 

―― 休日はどのように過ごされますか。

柿澤 車好きなので、富士スピードウェイを走ってタイムを測ったりしています。
神様にお参りすることも好きですね。最近では伊勢神宮に行きました。神様には願い事をする人が多いですが、本当はお願いするのではなく「感謝する」もの。昨年末に出来上がった新しい社屋にも、宮大工さんにものすごく立派な神棚を作ってもらって、毎日お参りしています。
 この神社にはどういう神様が祀られているのかといったことにも興味があって、調べるのも楽しいですね。郷土の歴史にとても詳しい方が教えてくれたのですが、うちの祖先は舎人親王の家来だそうです。舎人親王は京都から旅をしながら日本書紀を書きましたが、その旅に同行していたのが祖先です。舎人親王は、この近くで病死したのですが、祖先はそこに住み着いた。それが柿澤のスタートだそうです。

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「真善美」を信条に、自分が買いたいものを作る

―― 御社では「真善美」を経営信条に掲げておられます。

柿澤社長の座右の銘でもありますね。

 

柿澤 「真善美」は私が卒業した中学の校訓でした。当時は別段意識していませんでしたが、社長就任が近づいてきたときに、経営者にとっても、社会においても大切なことだと思いました。
 経営信条に掲げたこの言葉には、

 「真」:真の心 ホンモノ・真実を追求する

 「善」:世のため人のためになる

 「美」:製品の仕上がりを芸術の域に高める

という意味があります。当社では、ねじの「美しさ」も追求していますが、それはこの信条に則ってのことです。
 製品を芸術の域まで高めるには、「これ以上良いものは存在しない」と胸を張って言えるものづくりをしなければなりません。寸法が製品規格内であればよいというものではなく、中心値を狙うのです。また外観に傷がなく、形状が整っていなければならないはずで、それが美しさなのだと思います。「自分が買い手なら迷わず自社製品を選ぶようなものを作ろう」と常に言っています。

 

―― では、10年後、20年後には、どのような会社になっていたいですか。

柿澤 まず数字の側面では、もう少し収益力を上げたいですね。そのためには、工作機械やロボットの分野の仕事をもっと進化させたいと考えています。
 私が大切にしている感性の部分では、JOBローテーションなどの取り組みをしっかりやって、ワークライフバランスに合わせて仕事を選ぶことが当たり前な会社、人の集まる会社にしたいですね。今の勢いなら、10年ぐらいでできるのではないかと思います。そして、一般登用の女性が社長になるような会社になれたらいいですね。

 またねじという部品だけでなく、完成品にも挑戦したいと思っています。これも、どちらかというと感性に触れるようなもの、なくても困らないけれど、あると楽しかったり、癒やされたりするようなものを作りたいですね。

 

―― 興津螺旋の強みは何でしょう。

柿澤 人材だと思います。頭がいいとか悪いとかではなく、お客様のために仕事をする、いきいきと仕事ができるというような、職場への充足感という意味では、いい人材が揃っているのではないかと思います。自分で仕事を見つけて、喜んで働いている人が多く、見学にこられた方にも「楽しそうに仕事をしている」と言われます。それが一番うれしいですね。

 

―― 最後に、日本ねじ工業協会に対する思いをお聞かせください。

柿澤 協会の活動に参加させていただいたことで、技術も経営も優れたねじの会社があることを、今更にして知りましたし、横の繋がりもできました。協会のおかげで仲間づくりをさせていただいたと思っているので、今度は何が自分として発信できるか、協会に対して何をお返しできるかを考えています。



―― 貴重なお話をありがとうございました。

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【会社概要】

 創業        昭和14年 (1939年)6月

 代表者       代表取締役社長 柿澤宏一

 従業員数     80名

 認証       日本工業規格認証取得

           JIS B1111 十字穴付き小ねじ 認証番号JQ030839

           JIS B1112 十字穴付き木ねじ 認証番号JQ030840

           JIS B1135 すりわり付き木ねじ 認証番号JQ030840

          

           ISO9001:2008 認証取得 認証番号JMAQA-959

           ISO14001:2004 認証取得 認証番号JMAQA-E417

 

 社是       和・誠實・努力

 

 経営理念

        ・高品質な製品でお客様の仕事の効率を高め、人々に安心と信頼を提供する。

        ・会社で働く情熱ある社員とその家族の幸福を追求する。

 

 経営信条     真善美


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                新しい本社                  

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「トップに聞く」チームと一緒に

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(記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子)

日東精工株式会社 代表取締役社長 材木正己氏
2015年02月24日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

「トップに聞く」

 日東精工株式会社

 代表取締役社長 材木正己氏


  聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ


 インタビューサマリー
  ・ 付加価値を提供する「トータルファスニング企業」

  ・ 創業理念「地域産業の振興と地域の雇用創出」が大前提

  ・ 「人」は会社にも地域にも財産

  ・ ねじの技術を知ってもらい、業界の地位を向上させたい

  ・ 「お客様満足度120%」を目標に、品格ある会社作りを


  ・ 会社概要

 

 

熱く語る材木社長

材木正己 (ざいき まさみ)

1950年生まれ。国立舞鶴工業高等専門学校 機械工学科卒業。1971年日東精工に入社。1998年ファスナー事業部技術部長、2002年ファスナー事業部第二製造部長、2005年取締役ファスナー事業部副事業部長を務め、2006年和光株式会社 代表取締役社長に就任。2009年日東精工 取締役ファスナー事業部長を経て、2010年常務取締役ファスナー事業部長。2011年3月代表取締役常務。2013年3月代表取締役社長(現職)に就任。

 

 

 

付加価値を提供する「トータルファスニング企業」

―― 御社の事業構成を教えてください。

材木 当社は、ファスナー事業、産機事業、制御システム事業の三つの事業で構成されています。ファスナー事業では、精密ねじ、極小ねじ、特殊冷間圧造部品を中心に、7万種類以上の製品でお客様のニーズに応え、産機事業では、ねじメーカーとして培ったノウハウを活かしてロボットや各種ドライバ・自動ねじ締め機を製造しています。制御システム事業は、計測や検査のノウハウを活用し、各種流量計や検査システムを製造しています。
「ねじ」、「自動組立機」、「計測制御」、「検査機器」を一貫して手掛ける「トータルファスニング企業」であり、業界でもユニークな存在です。3事業、国内外関係会社がそれぞれ有機的に連携する「ワングループ」を推進し、世界に通用するグローバル企業を目指しています。社内設備も当社の生産技術部門を中心に内製化し、ねじの一貫生産を行っています。売り上げ比率は、事業別では、ファスナー事業が65%、産機事業が26%、制御システムその他が9%、エリア別では、日本が約70%、海外が約30%です。

―― 開発研究所という独立した部署は、どのような役割なのでしょうか。

材木 各事業部でも身近な開発を行っていますが、開発研究所は先を見越した要素技術の開発を行っています。開発したことが今後利益に繋がるかどうかは未知数ですが、誰かが将来のことを考えておかなければなりません。100周年に向け飛躍的に伸びるための開発をしようという考えで、10年後、15年後に役立つような研究開発をしています。

―― 御社が特に得意としているねじは。

材木 マイクロねじです。主に眼鏡とか時計に使用されるようなもので、遡るとカメラ業界からの依頼で設計した「精密機器用十字穴付きねじ」は、のちにカメラ業界の規格として認定され、その後JIS規格にも採用されています。
たとえば、マイクロねじの頭の十字穴は、肉厚が100分の3ミリしかありません。それを金型製造するのですから、非常に高い精度が要求されます。また表面が硬くて中が柔らかくなるような熱処理をするため条件も、非常に難しいものがあります。

精密機器に使用される十字穴付きねじ。高い精度が要求される。

( 精密機器に使用される十字穴付きねじ。高い精度が要求される。 )

―― トータルファスニング、一貫生産というビジネスモデルである理由は。

材木 現在当社のねじは100%オーダーメイドです。われわれの作る製品によってお客様にメリットがなければ、当社を選んでいただくことはできません。当社は、ねじを造る工具や生産設備、検査装置も手がけ、熱処理やめっき工程も社内対応です。設計・開発から生産・生産仕上げ、品質確認までねじを一貫供給できる体制で、締結を総合的に保証できるのが、他社にない競争優位点であります。当社の考えは、お客様の信頼を高め、付加価値を高めて選んでいただくというモノづくりなのです。
また組立機自体も納入しているので、仮にお客様がねじを締める工程で問題が生じても、「ねじ締め機械の問題だ」ということはできません。何らかの問題が発生すれば、社内での実験データなどを基にご提案をしながら、お客様と一緒に問題解決をしていきます。

たとえば、筐体が割れやすいというなら、縦方向に力が働くねじを提案する。生産時間を短縮したいならば、締め付け時間を半分にすることもできますが、一方で緩みやすくなるので、お客様のニーズを聞きながら最適な締結方法を提案する。このような、いわゆる「ファスニング・ソリューションビジネス」の取り組みが信頼であり、付加価値であると思っています。

すべてオーダーメイドのねじ。お客様のニーズにあった最適な締結方法を実現

( すべてオーダーメイドのねじ。お客様のニーズにあった最適な締結方法を実現 )

―― 海外の安価なねじも入ってくる中で、御社ではどのような方針で取り組んでおられるのでしょうか。

材木 グローバル化に伴う価格低下の影響は大きいと言わざるをえませんが、価格で競争することには限界があるとも思っています。夜間の無人化運転を行えるようになった製品など、コストの減少が可能な場合は、価格を下げることもあります。ただ単に価格を下げてしまうと、長い事業運営は難しく、従業員を守ることはできないと思っています。
ねじの値段は、1本何銭ということが多いですが、余分に収益を上げようというのではなく、がんばった分の対価はいただかなければいけないと考えています。

―― 現在特に注力しておられるのは。

材木 環境対応、特にCO2削減です。京都府では地球温暖化対策を推進しており、当社の取り組みが評価され、京都府から表彰を受けました。
具体的には、当社の工場におけるソーラーパネル、照明、空調等の効率アップはもちろんですが、ねじそのものの軽量化にも取り組んでいます。たとえば自動車を軽量化することで燃費が上がるように、ねじの重量は輸送コストに影響します。ねじを軽くすることで、それをお使いいただくお客様もCO2の排出を削減することになりますので、喜んでいただいています。

また世の中のためになることをしていることは、社員のモチベーションの向上にも繋がっています。

熱く語る材木社長

( 熱く語る材木社長 )

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創業理念「地域産業の振興と地域の雇用創出」が大前提

―― 御社は1938年に設立されました。その経緯は。

材木 当社の創業理念は「地域産業の振興と地域の雇用創出」です。当社のある綾部という地域は、昔から生糸をはじめとする繊維産業の町で、多くの女性が働いていました。この地に男性の働く場を作ろう、そして地域を支えていこうと地元の有志の方が出資してできたのが日東精工です。
戦後ダイハツ工業の自動車部品や千代田光学精工(現コニカミノルタ)の写真機部品の加工から始まり、その後それまでの技術や機械を活用して量水器を手掛けるようになりました。この流れが制御事業の始まりで、近年では、計測制御、検査機器のカテゴリーの中で展開しています。

千代田光学精工の部品加工から、自社ブランドのカメラを製造していた時期もありましたが、その関係で、ねじの頭部十字穴を成型する工具(パンチ)の製作を依頼されるようになりました。打鋲試験の副産物としてできたリベットを売り始めたのがファスナー事業の始まりです。その後、ファスナー事業から、ねじ締め機の産機事業が生まれました。

―― 御社の歴史の中で、転機となった出来事は。

材木 1967年に、「三角形状タップタイトねじ」の量産体制を確立したことです。
タップタイトねじは、米国コンチネンタルスクリュー社が開発した、ねじ部の断面形状が略三角形状(おにぎり形)をしたタッピンねじです。生産を開始した当初は、三角形状に成形した線材を使用するものでしたが、線材を供給する際に線材がねじれるために、金型にスムーズに入らず安定した製造ができない状態が続いていました。

そんな時、工場で使用する線材を誤って円形状の材料を使用した際に、材料が三角形状にできあがるということを発見したのです。この失敗を参考に試作研究がなされた結果、現在の丸線から三角形状に絞り加工する方法ができました。この方法により、量産加工が可能となり、品質が安定し、製造コストを大きく低減させることができました。

―― その生産技術をパテント申請するというお考えはなかったのですか。

材木 当時の判断ですから何とも言えませんが、結果的に申請はしませんでした。現在は主流となっていますし、東南アジアでもこの技術を使っています。
もしこの技術を当社の中だけで抱え込んでいたら、これほどまでにはタップタイトねじが伸びなかったのではないかと思います。むしろ新しい技術を開発し、市場を活性化することができたのは、日東精工の誇りです。

―― 海外にも拠点を展開しておられますが、どのような意図で進出されたのでしょうか。

材木 1979年に、台湾の高雄市にねじの生産工場を建設したのが最初です。現在は5拠点のねじ製造工場(台湾、インドネシア、タイ、マレーシア、中国)と、5拠点の自動組立機械営業拠点(台湾、アメリカ、インドネシア、タイ、中国)を持っています。これらは、海外生産によってコストを下げることが目的ではなく、お客様へのサービスを向上させることを目的に進出したものです。
今後も、海外のお客様に対する製品提供、サービス向上を図っていきますが、すべてを海外に移転するということはまったく考えていません。

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「人」は会社にも地域にも財産

―― 人材の育成にもとても力を入れておられます。

材木 「モノづくりは人づくり」をモットーに「人財」の育成に取り組んでいます。
当社には、長年培ってきたことをまとめた人財教育用のオリジナルテキストがあります。経営理念「我等の信条」の解釈本として2005年に作成した「我らの道」に始まり、同年に「リーダーハンドブック」、2008年に「経営幹部のガイドライン」、2011年に「ザ・プロフェッショナルへの道」を作成しました。

また1級から10級までの資格等級制度があり、昇格するには筆記、論文、面接による試験を受験します。受験するには、一定のポイント(単位)が必要です。たとえば語学コースに通う、地域のゴミ拾い活動に参加するなど、日常の業務に限らず広く活動を評価します。仕事のスキルや知識だけでなく、日ごろから社会に目を向けることも意識する職場環境になっています。

―― 「財」という字を使われるのは。

材木 人は会社にとって最大の財産であるという考えです。
会社は社長や上層部だけで成り立っているのではありません。従業員一人ひとりを育て、その力の総合力で会社が伸びるのだと思っています。人を大事にするということは、部下に対していかに愛情と期待を持つかということだと思います。誰にでも長所と短所がありますし、短所を直すより長所を伸ばす方が伸びますから、当社では徹底して長所を見て、適正に人員を配置するようにしています。

当社の経営目的の一つは、「日東精工にかかわるすべての人が幸せになること」です。ただ自分の幸せだけを求めても、幸せの満足度は高くならず、周りの人に幸せを与えることで、掛け算となって満足度が上がると思っています。当社では地域の活動にもたくさん参加しますが、それも幸せを与えることの一つだと思いますし、お客様も地域も、社員も、お互いが幸せになれるように、人と人との繋がりを大切にする「絆経営」を心がけています。

―― 社内だけでなく地域の人材育成にも取り組んでおられるそうですね。

材木 当社では、社会貢献も創業理念です。1966年から職業高校卒業程度の知識を身に付けることを目的に、夜間学校のような形で、週1回、1年間の機械科コース、電気科コースの研修を行っています。当初は日東精工の子会社で実施していましたが、現在は法人化し、「一般社団法人綾部工業研修所」となっています。事務局を綾部商工会議所に置いて、京都府の施設で開催し、当社から講師を派遣しています。これまでの卒業生は、のべ1500人を超え、各企業で活躍しています。
また地元の若者がモノづくり系の大学や学部に進学する場合は、月5万円、また海外留学をする場合は、月10万円の奨学金を貸与する制度も備えています。

―― 創業の理念を人の育成という側面からも実践しておられるのですね。

材木 それが当社の企業価値だと思っています。当社ががんばることで、地域の繁栄になる。それはすなわち、国の繁栄になるからです。
またわれわれの地元をモノづくりの町として発信したいという、地域に対するメッセージでもありますし、地域を盛り上げるための活動の一つと考えています。

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ねじの技術を知ってもらい、業界の地位を向上させたい

―― 2014年5月には「人生の『ねじ』を巻く77の教え」という本を出版されました。

材木 当社の教育用オリジナルテキストを編集したもので、出版社の方が「社会貢献になるから是非出版してほしい」と、企画してくれました。全国の主だった書店に配本され、現在第3刷まで発行されています。社員のモチベーションも上がっていますし、企業が朝礼で読んでいるという話も聞いています。
今回の出版には社会貢献だけでなく、業界の地位向上という目的もあります。地味ですが、なくてはならない「ねじ」を再認識していただける機会になればと思っています。同業の方からも「ねじの重要性を認知させてくれてありがたい」というお言葉をいただいています。

社内教育用オリジナルテキストを編集して出版された本。既に第3刷に。

( 社内教育用オリジナルテキストを編集して出版された本。既に第3刷に。 )

―― 出版以外にも、ニュースレターやブログなど、情報の発信に取り組んでおられますね。

材木 出版をきっかけに気づいたのは、外に向かって情報を発信しなければいけないということです。私自身は社長としていろいろな発言の場がありますが、従業員の努力は、私が発信しないとアピールすることができません。自分の会社の実力以上のことを言うつもりは、まったくありませんが、従業員ががんばっている姿は、みんなに認めて欲しいという思いで、広報活動をしています。
社内の管理者に対しては、管理者向けのレター「役職者ニュース」を毎月発行し、私の体験や昔の社内のエピソードなどを交えて、管理者にメッセージを送っています。

―― 情報発信は、社長のお仕事の一つというお考えですか。

材木 われわれが今あるのは、先輩方がここまで作ってこられたおかげですから、感謝しなければいけないと思っています。それをどういう風に形にできるかと考えると、一つは業界の位置づけを高めることだと思います。
ねじは、当たり前にある見慣れたツールで、普段は意識しませんが、ねじがなければモノは作れません。しかもどの企業も、今までの経験や努力、研究などによって、高い技術を集めて1本のねじを作っているのです。業界の方もあまり認識はないかもしれませんが、われわれは100万通りの組み合わせで製品を作っています。ねじは、駆動部、頭部、座面、首下、ねじ部、先端の6つの部位からできていますよね。たとえば当社ならば、各部位にそれぞれ10パターン以上ある。つまり10の6乗、100万通りの技術で、お客様に最適なものを提供しているのです。さらに素材や用途による締め付けトルクなども含めていろいろな研究もしています。

これは当社だけではなく、業界の企業は皆さんやっていることです。こういう努力をしている、1本のねじを非常に高い技術で大事に作っているということを認められる業界でありたい、業界全体の地位を向上させたいという思いがあります。

―― 受験生に向けた、合格祈願「ゆるみ止めねじ」のプレゼントキャンペーンも実施しておられます。

材木 ねじを知ってもらうための一つの取り組みです。樹脂用ゆるみ止めねじ「ギザタイト」を「ゆるまない=集中力が続く=実力が発揮できる」シンボルとして、受験生にプレゼントするキャンペーンを今冬、企画実施しました。昨年12月から当初3次募集までの予定でしたが、テレビなどでもたびたび取り上げられて大好評となり、現在第8次募集を行っています。
このキャンペーンは「ギザタイト」本来の使用目的ではなく、新しい販路を獲得するというものでもありませんが、ねじの大切さや当社の事業を一般の方により広く知っていただくための広報・宣伝活動の一環となり、次の若い世代を応援するCSR活動にもつながりました。また社内的には「既存のものをいろいろな角度から見直して、そこに新しい付加価値を見出す」「新たなものへの果敢なチャレンジ」という一例ともなりました。

合格祈願グッズ「ゆるみ止めねじ」は、これまでになかったものとして各方面から注目されています。今後は一過性の話題作りではなく、真摯な企画として、学校や進学塾などと連携していく予定です。

樹脂用ゆるみ止めねじ「ギザタイト」

( 樹脂用ゆるみ止めねじ「ギザタイト」 )

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「お客様満足度120%」を目標に、品格ある会社作りを

―― 材木社長は、なぜねじの会社に入社なさったのですか。

材木 実はねじの仕事をしたくて入ったわけではありません。私は舞鶴の出身で、国立舞鶴工業高等専門学校の機械工学科を卒業しました。当時就職先はいろいろありましたが、先々を考えた時に地元の会社がいいのではないかと思いました。仮に東京に出て出世して、お金だけ送っても両親は喜ばないだろうと。それにやはり故郷は大事ですし、特に歳を重ねると故郷に帰りたいと思う人が多いといいます。それなら近くがいいだろうと思って決めました。
改めて考えると、それは当社の創業の考え方と一緒なんですよね。

―― 社長に就任されるまで、どのようなお仕事に携わってこられましたか。

材木 生産技術、設計、品質管理部門に在籍し、インドネシアとタイにも駐在しました。日本に戻ってからは東京の商社の社長もさせていただきました。
私は、われわれが一般にやる仕事には、それほど大差はない、実力の差は経験の差だと思っています。たとえば私は、今でもタイ語をしゃべることができますが、私がタイに3年ほど駐在したからしゃべれるだけのことで、私に特別な能力があるということではありません。私は、いろいろな部門や海外など、幅広く勉強させていただいたから今日があると思っていますので、当社の幹部候補にも、お客様対応、海外経験など、多くの経験を積ませるようにしています。

―― 影響を受けた人、出来事は。

材木 京都には有名な経営者がいらっしゃるので、稲盛和夫氏や永守重信氏の本はよく読みます。他にもいろいろな方から教えていただいたり、支えていただいたりしてきましたから、皆さんのためになることをすることが、恩返しになると思っています。
また海外での経験は、私の根幹になっています。たとえばインドネシアでは、昼休みになっても食べられない人がいて、外で待っているという姿を目の当たりにしました。ですから当社の海外工場では、ご飯は無料です。

タイやマレーシアには、まだまだ貧しい人たちがたくさんいますが、彼らには意欲がある。日本人は能力はあるかもしれませんが、ハングリー精神がなくなっていると危惧しています。

―― 今後はどのようなことに取り組んでいきたいですか。

材木 新しい分野という意味では、環境やヘルスケア、医療といった分野を考えています。
企業が成長するのは、われわれの行動次第で自ずとついてくるものであって、無理するのではなく、正しい行いをしっかりすることが重要だと思います。世の中の役に立つ技術を提供することによって、対価をいただくのがビジネスだという考えで、品格のある会社作りをしたいと思っています。

当社は「お客様満足度120%」を目標に掲げています。誠実、信頼、そして感謝の心。世の中のためになるということが、企業のDNAとなっています。ただ、時代の変化を乗り切るには改革もしなければならず、そのためには挑戦と実行、スピード対応が必要なこともあります。誠実にコツコツという会社ですが、見方を変えれば大きなチャレンジという点では少し弱いように思いますので、変えていくことが私の役割かなと思っています。

―― 最後に、業界へのメッセージをお願いします。

材木 われわれの業界は、いわば「縁の下の力持ち」という存在ですが、ねじの本当の技術力と深みを理解していただけたら、発想は変わるのではないかと思います。そのねじづくりを通して、ありとあらゆる生活シーンで快適&安全をサポートしているということを、ねじ業界全体で伝えていきたいです。協会の活動にも感謝していますし、われわれも業界の地位向上を目指して活動をしていきたいと思っています。

―― 貴重なお話をありがとうございました。

未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」チームのメンバーと。(左から2人目が材木社長)

( 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」チームのメンバーと。(左から2人目が材木社長) )

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【会社概要】

 創業・設立     昭和13年(1938年)2月25日

 代表者       代表取締役社長 材木 正己

 従業員数     571名(単独) 1,427名(連結)

 事業内容      工業用ファスナー、自動ねじ締め機、流量計、検査システム等の製造・販売

 株式上場      東証1部

 所在地・拠点   本社: 京都府綾部市井倉町梅ヶ畑20

             ファスナー事業部/本社工場: 京都府綾部市井倉町梅ヶ畑20

             ファスナー事業部/八田工場: 京都府綾部市下八田町菩提10

             産機事業部/城山工場: 京都府綾部市城山町2

             制御システム事業部: 京都府綾部市延町野上畑30

             開発研究所: 京都府綾部市井倉町梅ヶ畑20

             海外戦略部: 京都府綾部市井倉町梅ヶ畑20

             東京支店: 横浜市港北区綱島東6-2-21

             北関東営業所: 群馬県邑楽郡大泉町吉田1221-3

             大阪支店: 東大阪市本庄西1-6-4

             九州出張所: 福岡市博多区半道橋1-6-46

             名古屋支店: 名古屋市名東区上社5-405

             海外拠点台湾(ねじ、自動組立機械):

               NO.12, Yeong Chuen Street,Sheau Gaang District,Kaohsiung

                  Taiwan Republic of China.

             アメリカ(自動組立機械)

               44425 Phoenix Drive, Sterling Heights, Michigan 48314 USA

             インドネシア(ねじ、自動組立機械、検査計測機器)

               JI Manis II, Kawasan Industri Manis, Tangerang, Banten, Indonesia.

             タイ(ねじ、自動組立機械)

               84/2 Moo 9 Theparak Road Bangpla Bangplee,Samutprakarn, 10540, Thailand.

             タイ(自動組立機械、検査計測機器)

               9/158 Moo 5, Phaholyotin Road, Klong 1, Klong Luang, Patumthani 12120,

               Thailand.

             マレーシア(ねじ)

               NO.3,Lorong Perak3,Kawasan Perusahaan,42500,Telok PanglimaGarang,

               KualaLangat,Selangor,Malaysia.

             中国(ねじ、自動組立機械)

               NO.48,Huang Shan Road,Huimin Block,Jiashan,Zhejiang,China.

 

 社是         我等の信条

             1. 我らは よい自己をつくる

              健康を増進し 品性を養い

              知識を求め 技術をみがいて

              健全な人格をつくる

             2. 我らは よい仕事をする

              誠実を旨とし 改善を怠らず

              親和協力して よい製品をつくり

              明るい職場をつくる

             3. 我らは よい貢献をする

              我らが日々の勤めに いそしむことの出来るのも

              社会の恩恵による

              感謝の心を仕事に活かして 社会に貢献する

 

             我等の信条は、日東精工に息づく不変の道しるべです。創業当時から培われ

             てきた誠実・信頼そして感謝の心。人々に喜ばれる仕事をし、社会から信頼

             される会社にしようという強い意志を示しています。

             社是である「我等の信条」は、日々の企業活動のよりどころであり、今後も

             変わることのない、ゆるぎない指針として堅持していきます。



――――――――――――――――――――

記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子

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株式会社中島田鉄工所 代表取締役社長 中島田正宏氏
2014年10月29日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

「トップに聞く」

 株式会社中島田鉄工所

 代表取締役社長 中島田正宏氏


  聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ


 インタビューサマリー
  ・ 複雑形状パーツ対応で新たな立場を
  ・ 刀鍛冶から鉄工所、日本初の国産ヘッダーへ
  ・ 展示会の1台から海外へ。関連業種とのサービス連携も
  ・ 超小型人工衛星の開発も、すでに5号機
  ・ 若い人材を伸ばすには、伸ばせる会社でなければ
  ・ ねじの重要性をまったく分っていなかった
  ・ 「どのねじ屋さんにも必ず1台」が夢
  ・ 業種を超えて、お客様に最適な提案をしたい
  ・ 会社概要

 

創立100周年記念のパネルの前で中島田社長

 

 

中島田正宏 (なかしまだ まさひろ)

1968年生まれ。1992年米イリノイ大学 シカゴ校を卒業。大手自動車メーカーでのデザイナーを経て、1996年株式会社中島田鉄工所に入社。2010年代表取締役社長に就任。

 

 

 

 


複雑形状パーツ対応で新たな立場を

―― 御社で製造しておられる機械の種類を教えてください。

中島田 弊社は圧造機械、ヘッダーの専業メーカーで、大きく分けると3シリーズの機械を製造しています。2.5ミリ以下の「マイクロシリーズ」、通常のねじやパーツに使われる「NSシリーズ」(1ダイ2ブロー)とフィンガーレストランスファーの「NPシリーズ」(2ダイ3ブロー)、また多段のフィンガートランスファーの「BTシリーズ」、「BTXシリーズ」、「MSTシリーズ」があります。

MST606 (6ダイ6ブロー多段パーツフォーマー)

( MST606 (6ダイ6ブロー多段パーツフォーマー) )

―― 高いシェアを持っておられるとお聞きしています。

中島田 マイクロと、1ダイ2ブロー、2ダイ3ブローの分野では、おかげさまで国内では高いシェアをいただいています。1ダイ2ブロー、2ダイ3ブローは材料径4ミリから16ミリまでが弊社機械の範疇で、そのサイズにおいてのベストな機械を作ろうと考えています。
 MSTを中心とするフィンガートランスファーシリーズもこの10年で徐々にシェアを上げてきましたが、これからはさらに複雑な形状のパーツ成形の分野を切り開きたいと考えています。他社では圧造化が難しいと言われる形状にこそ対応していかないと、機械メーカーとしての新しい立場を築くことができないと思うからです。金型を開発するだけでは解決せず、機械も新たに開発しなければならない場合もあり、年に2~3機種は一品製作の特殊機械を作ります。このようなオーダーは「絶対に失敗できない」という難しさはありますが、それは醍醐味でもありますし、完成するとうれしいですね。

―― 御社の強みはどこにあると思いますか。

中島田 一つは精度だと思います。昔、研削盤を作っていたころから、精度には非常にこだわってきた歴史があり、当時の研削盤の組立技術も今のヘッダーに活かされています。きさげ(すり合わせ)をものすごく重要視していて、そういう技術は守っていかなければいけないと思います。
 もう一つは、ヘッダーを作り始めて50数年間に製造した9140台の機械の図面が、どんなに小さい部品でもすべて残っていることです。ですから中古品でも、シリアルナンバーが分かれば必ずパーツを供給できます。
 また30~40年使用されて初めてオーバーホールという機械が多く、耐久性にも自信を持っています。

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刀鍛冶から鉄工所、日本初の国産ヘッダーへ

―― 御社はどのような経緯で創業されたのですか。

中島田 私の曾祖父は刀鍛冶でした。第一次世界大戦ごろ刀の需要はなくなり、新たな仕事として、農業用機械を作りはじめたのが機械屋としての始まりで、1911年に中島田鉄工所を創立しました。

―― 工作機械を作るようになったのは。

中島田 1939年ごろ、軍の指示で砲弾を作るための旋盤やフライス盤を作るようになり、産業機械を作るようになったと聞いています。
 戦後は、より精度の高い機械や研磨盤の製作を始め、それが現在の中島田鉄工所の礎になっています。

―― ではヘッダーを作るようになったのは。

中島田 1950年代はすべて輸入のヘッダーでしたが、あるお客様から国産のヘッダーが欲しいというお話をいただき、最初の「H20」という機械を作りました。1959年12月に完成し、1960年に納品したと記録されています。6ミリの1ダイ2ブローという、ねじ製造の一番基本的なヘッダーで、これが現在のNSシリーズの原型です。
 その後、別のお客様から1ダイ2ブローではできない形状で、首の短い製品を作る機械のご相談をいただいて作ったのが、2ダイ3ブロー、フィンガーレスの機械です。これが現在ではNPシリーズになりました。

―― 近年の市場について、変化を感じておられますか。

中島田 お客様が作られる圧造製品市場の流れが、そのまま圧造機械への要求や注文に反映されるので、特にこの15年ぐらいの急速な市場の変化に、お客様がどれだけご苦労されているかが分ります。極端に短い製品とか、特殊な形状、これまで経験したことのない特殊材料のご相談も増えています。
 金型や圧造製品を新規開発する場合、製品形状や要求精度、材料やサイズなどの前情報はすごく大事ですが、その情報がそろっても、実際に圧造での成形が可能かどうかかの判断はとても難しくなっています。もちろん圧造工程のシミュレーションもしますが、シミュレーション上ではできなくても、なぜか実際やってみるとできてしまうこともあります。圧造技術はまだまだ奥が深く、一つひとつ経験していかないと技術が蓄積できない世界です。

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展示会の1台から海外へ。関連業種とのサービス連携も

―― 海外にも積極的に展開しておられます。

中島田 1970年に商社を通じてアメリカの機械の展示会に、またほぼ同時期にヨーロッパの展示会にも出展したのが、最初の海外との接点だと聞いています。現会長である父になぜ海外に出展したのかと聞いたのですが、「ちょっと1回出して、実力を試してみたかっただけ」と。父はそう言いますが、当時海外の機械はすごく頑丈な一方で、こちらはまだまだ経験不足でしたので、最初は相当苦労したと思います。
 その後は現地の商社を通して少しずつ販売が増えました。また、本格的に機械を販売するにはアフターサービスやメンテナンスが現地でできる体制は必須だろうと、1970年代後半に、商社に出向するような形で現地にサービスマンを置き始めました。直営となる支店を作ったのは2000年初頭からで、最初にドイツに欧州支社、次に北米、2年前の2012年には中国のロンダーソンという会社と提携し、ナカシマダロンダーソンという会社を立ち上げました。

―― アメリカでは航空機関連に強いと伺っています。

中島田 アメリカ輸出を始めた当初は、主に自動車業界に売り込みに行ったようです。しかし、フィンガートランスファーの多段フォーマーが一般的ななかで、私どもはフィンガーレスの2ダイ3ブローにこだわったので、なかなかシェアを得ることができませんでした。ならば、より弊社機械の特徴が生かせるであろう西海岸の航空機業界だと。非常に精密なリベットを作りたい、多段の機械が欲しいというお客様が多数いらっしゃったので、弊社の特性が活かせると思い、足しげく通って1台、1台売っていきました。現在はフィンガートランスファーと2ダイ3ブローを含め、ここ10年間に西海岸のお客様が購入された機械の9割ぐらいは弊社だと思います。
 最近は、自動車業界で使われてきたアメリカ製の旧式な2ダイ3ブローが老朽化してきています。新しく2ダイ3ブローの8~10ミリの機械を本気で作るメーカーは、ほとんど私どもしかないので、徐々に入替需要が増えています。

―― 海外展開では、為替の影響も受けざるを得ないと思います。

中島田 円高のときは、苦しかったですね。まとめて複数台売れた直後に円高が進んだりすると、眠れなくなりました。毎日のレートに一喜一憂していて、為替に振り回されていた時期もあります。でも弊社は為替の差益や差損で生きているわけではなく、あくまでいい機械を作ることが本業ですから、最近はあまり考えないようにしています。ただ、円安になってくれたのが大きな追い風であるのは間違いないですね。

―― 国内と海外の比率は。

中島田 2000年ぐらいまでは受注の8割が国内のお客様からでしたが、現在では国内・海外の受注比率が半々です。また、国内で受注しても出荷先は海外工場、という場合も多くなっていて、出荷ベースでは過半数が海外向けになっています。

―― 海外の比率が高くなると、サービス体制などが大変ではありませんか。

中島田 今社員は約130人ですが、機械や金型の開発から、機械加工、組み立て、営業と、とにかくできることは全部自分たちでやるという考えでした。欧米の場合は30~40年かけて弊社の今の市場ができたので、サービスの体制も徐々に対応することができましたし、どのお客様がどの機械をお持ちかも管理できました。
 しかし近年は、特にアジア諸国において私どもの想定をはるかに超えるスピードでお客様が海外進出され、同時に弊社の機械も国内から現地に持ち込まれています。当然、現地からいきなり、それも様々な機種のサービス要請を頂くことになります。急速な市場の変化に、弊社が追いつくのに必死という状態です。
 弊社だけではなく、いろいろな機械メーカーや二次加工機のメーカーも同じ悩みを抱えておられるようです。このようなメーカーとサービス体制を協力する、というような方法を模索していかないと、時代に追いつかない。なんとしてもお客様にパーツやサービスを届ける、それを1日でも短縮するためには、各社ともっと連携していかないといけないと考えています。

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超小型人工衛星の開発も、すでに5号機

―― 新聞報道にあった超小型人工衛星について教えてください。

この9月26日には、国際宇宙ステーション(ISS)の「きぼう」から超小型人工衛星を放出するミッションの一つに、東北大学と御社が共同開発する超小型人工衛星「FREEDOM(フリーダム)」が選定されました。

中島田 「FREEDOM」は直径約10㎝、高さ約6㎝程の円柱形状で、質量約1.3kgという規格に則った、超小型人工衛星用の薄膜展開装置です。現在、スペースデブリ(宇宙ゴミ)が問題になっており、今後の人工衛星は、ミッションを終えた後に自己消滅させなければなりません。FREEDOMは、この円柱形状のユニットから1.5m四方の薄膜を瞬時に展開します。宇宙空間とはいえ、600㎞圏においてはわずかに空気が存在しますので、この薄膜が人工衛星に空気抵抗を与えることとなります。この抵抗により、人口衛星の速度を落とし、軌道を離脱させ、地球の引力により最終的には大気圏に突入し、燃え尽きさせる実験をすることが目的です。
 今回は5機目で、2017年に宇宙ステーションまで運んだ上で、そこから放出させて実験する予定です。すでに3号機は今年5月のH2Aロケットで宇宙に放出されており、4号機も現在ロケット待ちの状態です。

超小型人工衛星:「FREEDOM」薄膜展開時のイメージ図

( 超小型人工衛星:「FREEDOM」薄膜展開時のイメージ図 )

―― どのようなきっかけで、人工衛星の分野に取り組むようになったのですか。

中島田 最初は九州大学から相談を受け、人工衛星用の部品製作をお手伝いしたことがきっかけです。当時、スペースデブリ問題解決のアイデアを持っていた九州大学の学生が、後に東北大学の准教授になり、弊社と共同開発をすることになりました。
 ヘッダーとは全く違う業界ですが、金属の加工方法や非常に薄い特殊な膜を作る技術など、今後のヘッダーの機械加工の工程でも活かすことができます。今後、この人工衛星の仕事そのものが弊社のもう一つの柱になれば確かにありがたいですが、この研究から得られたものを本業であるヘッダー作りにフィードバックすることも主目的のひとつです。ですから、社内ではすべての加工情報を公開しています。

―― 宇宙分野での今後のご予定は。

中島田 現在の膜は1.5m四方ですが、次は4.5m四方で、しかも同じ規格のユニットに載せられれば、と思っています。より大きな膜の展開が可能になれば、より大きな人工衛星にも利用できるようになり、市場が広がる分事業として成り立つ可能性も高くなります。
 ただ今のところは、航空機部品のヘッダー化促進や航空機部品そのものの機械加工など、まだまだ学ぶべきものが多いので、そちらの研究開発も同時に進めていきたいと考えていますし、双方の研究成果は相乗効果にもなると思っています。

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若い人材を伸ばすには、伸ばせる会社でなければ

―― 社是「前進・協力・感謝」にはどういう思いが込められているのでしょう。

中島田 制定したのはかなり前だと思いますが、言葉通りですね。ヘッダーを作り始めて50年になりますが、100年前の曾祖父の時代から機械を作り、それがお客様のところで順調に稼働して、喜んでいただけるのがうれしい。それが機械メーカーとしてすべての原点だと思っています。

―― この仕事のやりがいは。

中島田 どんなに小さな機械でも、お客様から難しい要求をいただいたときには、特に営業も製造も集中して取り組んでいますね。夜遅くまで、みんなで残って相談している様子を目にします。工夫の余地はまだまだいくらでもありますし、そういう難問に応えていくということは、やりがいにつながりますね。

―― では品質の面で特に力を入れていることは。

中島田 精度を守るために、特に組み立て技術には力を入れています。ISO9000や14000に則るだけでなく、最終検査で音がおかしいとか、なんとなく不安があるときには、もう一度分解してみると必ずどこかに問題があります。数字にはほとんど表れないものですが、結果として問題が発生する。各機械工工程、組み立て工程の精度をもっと上げていかなければ、よりいいものはできないと思っています。

―― そのための教育はどのようにしていますか。

中島田 毎年新卒を採用していますが、男性は文系、理系に関係なく、高卒だろうと大卒だろうと、まず現場に入り、少なくとも3年ぐらいは現場を経験させます。なかでも最初に教え込むのは、きさげ作業です。
 一方で私どもの弱みとしては、お客様のように機械を使って実際に圧造製品を商品として本気で生産したことがないことです。よく言うのですが、これでは「テストドライバーのいない自動車メーカー」のようなものです。自社機械のことをどれだけ知るか、どれだけ回すかということもこれからはもっともっと経験しないと、実際に使っていらっしゃるお客様と距離ができてしまいます。お客様から下取りなどで引き取った機械を、どんどん回してユーザー視点で自社製品を見るという経験を促進したいと思っています。また、お客様にお願いして、弊社社員の研修をお願いすることも検討しています。自動車メーカーがお客様に運転を教えていただくようなもので、本当は恥ずかしい話かもしれませんが、そこから始めないと本当の機械づくりのプロにはなれないと思います。
 また、若い人間を若いうちにどれだけ鍛えるかも重要です。マイスターを育成することにも繋がりますが、立派に手に職を付ければ、社内でより活躍できるという組織にしなければ、モチベーションにならないだろうと思います。モノづくりの楽しさとか、それが自分の資産になるといった、気持ちや内面も大切ですが、第一人者になればそれなりのポジションが与えられ、一家を支えていける給料がもらえる。そういう組織にしなければ機械製造業として長続きはしないでしょうし、発展もしない。これからの若い人たちの成長と、会社そのものの成長は、自動車の両輪でなければいけないと思っています。

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ねじの重要性をまったく分っていなかった

―― 社長ご自身はこの仕事に就かれるまで何をしておられましたか。

中島田 実は、私は中島田鉄工所に入る予定はまったくありませんでした。現在の会長である私の父は中島田家の次男で、当時は副社長でしたし、父の兄である社長には息子が4人いましたから、まさか私に回ってくるとは思っていませんでした。中島田鉄工所の機械が「ヘッダー」であることは知っていましたが、「ねじを作るものらしい」というぐらいしか知りませんでした。
 物心ついたころから車が大好きで、車のデザイナーになりたかったので、県立高校の3年のときにアメリカに渡り、1年高校に行って卒業しました。そのまま家に帰らないつもりでしたが、父が一度戻って来いというので、帰国して1年遅れて日本の高校を卒業しました。
 大学はシカゴのイリノイ大学と決めていたので、高校卒業後はすぐにアメリカに渡り、4年間、工業デザインの勉強をしました。そのままアメリカで就職しようと思ったのですが、1992年当時、バブルが崩壊してアメリカでの採用は難しく、帰国して大手自動車メーカーに就職しました。4~5年、車のデザイナーをしていましたが、自分としては天職だと思っていましたね。

―― では中島田鉄工所に入られたのは。

中島田 バブル崩壊後、どんどん景気が悪くなり、弊社も厳しい状況で、加えて父の兄である社長が病気になり、社長交代の話が出てきました。このような状況のなか、4人のいとこはやらないということになったらしく、そこで初めて父から「戻ってくる気はないか」と言われました。半年考えた結果、「車は一時中断。中島田鉄工所の経営基盤が復活するまで手伝うことにしよう」と自分を納得させて戻り、1996年に入社しました。
 入社当時はねじの世界にまったく門外漢で、入っていくことができない世界のようでした。でも関わってみると、ねじ一つで製品そのものの品質が大きく変わることが分かってきました。正直ねじがこれほど重要だとは思っていなかったのですが、考えてみればねじがなければ車は動かないですし、ねじの頭が飛んだら命に係わる可能性もある。それまでは考えたこともなかったので、かなり衝撃でしたね。幸運なことに、ヘッダーという機械は、一部車のエンジンと似ている機構もあり、自分にとっては思ったよりとっつきやすかったのも幸いでした。
 自分にとってはなじみのあるアメリカで売り上げを上げたいと思いましたが、アメリカの自動車業界におけるフォーマー市場はすでに多くのメーカーが長年競争し、成熟市場となっていました。それならば、より弊社の精度や機械の特徴が活かせるであろう西海岸の航空機業界で独自のポジションを作ろうと。社長に就任したのは2010年です。

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「どのねじ屋さんにも必ず1台」が夢

―― 会長である父上から学んだことは。

中島田 私が大学生のころ、1990年ごろだったと思いますが、車を買おうという話になりました。ちょうど私も帰国していたときで、「自分が好きなアルファロメオを勧めたい」と父を連れて見に行きました。ショールームでボンネットを開け、きれいにデザインされているエンジンを見て、私は「きれいだろう!」とアピールしたのですが、父はずっと無言で見ていた挙句、ボンネットを閉じて「これはいかん。帰る」と。
 なぜかと聞いたら「ボルトの芯が出ていない。こんなボルトを使っている車にろくな車はない」とまじめに言いました。当時の私には衝撃でしたね。でも今は、父の言葉の意味が良く分ります。そのくらい機械にも、ねじにもこだわりを持っていたので、完成度の低いねじほど嫌なものはなかったのだと思います。

―― 影響を受けた人といったら。

中島田 一番影響を受けたのは、「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士です。中学生のころでしたが、アメリカに行きたいと思う気持ちのなかに、スッと入ってきた言葉でした。
 あとは自動車メーカーにいたころ、あるプロジェクトで、当時ソニーの取締役を引退された黒木靖夫さんという工業デザイナーの方と、よくお話しをさせていただきました。いろいろな意味で非常に影響を受けました。

―― お忙しいと思いますが、休日はどのように過ごしますか。

中島田 13歳の息子と、5歳の娘がいるのですが、休日はとにかく子供と一緒にいたいですね。実際、休日はほとんど出張でつぶれてしまって、年末までに家にいられる日曜日はあと3回しかありませんが。
 娘はまだ5歳なのに、すでにほっぺたにチューもさせてくれない。娘の方から逃げていくんですよ。言葉遣いもおとなのようで、兄の方が負けていますね。

―― では社長ご自身の夢は。

中島田 世界中にどれだけねじメーカーや圧造部品メーカーがあるか分らないですが、究極の夢は「どのメーカーにも必ず一台は中島田が入っている」という世界にすることですね。数もそうですが、どれだけのお客様に「買ってよかった」と言っていただけるかだと思います。やっぱりお客様のところで、機械が順調に回っているのを見ることが一番幸せですから。

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業種を超えて、お客様に最適な提案をしたい

―― 現在、また今後は、どのようなことに取り組んでいきますか。

中島田 一つは旧型機械の図面のCAD化です。昔の機械では鋳物で作っていた部品を、これからは切削で供給できるようにしようと。旧来どおり鋳物を起こして作るより、供給体制、コスト、納期のすべての面ではるかに効率的です。現在の機械生産とは直接には関係ない作業ですが、100年前の部品でも供給できるようにという、将来のための投資だと思ってやっています。
 また最近になって、2ダイ3ブローにさらに将来性があるように感じています。2ダイ3ブローは非常に一般的な機械ですが、この10年の間で、6段や7段などの多段フォーマーでもできないけれど、むしろ2ダイ3ブローだから可能というようなパーツがたくさんあることが分かりました。また、ものすごく薄くてフィンガーでは持って行けない圧造製品なども多く出てきています。機械としては2ダイ3ブローのNPシリーズを使いながらも、特殊な金型の開発で何とか製品化できないか、というテーマに取り組んでいます。すでにNPシリーズの7割以上の新規需要は特殊パーツ生産用となっています。「2ダイ3ブローで新しい挑戦をする」ことは、弊社にとって大事な原点回帰でもあります。
 機種を問わず、金型技術そのものをどう高めていくかも非常に重要なテーマということです。「この機種」ではなく「この部品を作れる機械」というご要望がほとんどですので、これからは機械設計と同様、金型設計でも力を発揮しなければなりません。今、金型メーカーとも協力し、どうすれば一番いい形でお客様に商品をお届けできるかを研究し始めています。

―― どういう企業を目指していきたいですか。

中島田 私どもはヘッダーメーカーですので、どこまで圧造化できるかを追求することが仕事ですが、お客様が作りたいと考えている圧造製品の最終形状によっては、ヘッダー工程だけではなく、その前後の工程を知ることにより、もっと合理的な作り方もご提案できるのではないか、と思うことがあります。そのため、材料メーカーや金型メーカー、二次加工、三次加工、あるいは切削の会社などが集まって、もっとオープンに一番合理的な提案をするような活動ができると、お客様にとってもメリットがあるのではないかと思います。
 高価な機械を買っていただく以上、それがお客様に利益をもたらすものでなくてはいけません。圧造製品によっては、より複雑でより高価な機械をお考えのお客様に、もっとシンプルな機械でも十分可能ですと、逆に提案できるような企業になりたい。経験が非常に豊富なお客様に、より喜んでいただけるアイデアや技術を提供したい。
 そのためには私自身の視野をもっと広げなければいけないと思いますし、その圧造製品が完成するまでの各工程にある企業が集まって、最も合理的な作り方を考える、といったような、意味ある異業種交流ができるといいのではないかと考えています。

―― これからの工作機械はどうなっていくと思いますか。

中島田 自動化がさらに進むことは間違いありません。しかし、その一方で、あえてマニュアルを選択するという2極化が進むのではないでしょうか。完全全自動化は非常に魅力的ですが、その反面、誰にでも作れるという怖さもあります。究極のセキュリティとして、コンピュータを付けないという特殊オーダーをいただく場合も出てきています。
 いずれにしても環境配慮など当然の対策はありますが、これからはオペレータの環境、たとえば楽な段取りとか、体力に依存しないとか、そういう要素も追及していかなければいけないと思います。

―― 最後に、協会へのメッセージをお願いいたします。

中島田 日本製のねじは圧倒的に精度がそろっていて、きれいで、まじめに作られていると思います。圧造製品のレベルがこれほど高い国はほかにないのではないでしょうか。そういう意味では、世界一割安だと思っていますし、世界には、日本の高品質のねじを必要としている市場がまだまだあるような気がします。
 私どもは、お客様が「中島田と一緒にいてよかった」と思っていただけないと存在意義がありません。いい機械を作ることは当然重要ですが、機械だけではなく金型や技術研修など、お客様に前向きに製品を作っていただくため、弊社でできることがあれば微力ながらご協力したいと思っています。

―― 貴重なお話をありがとうございました。


創立100周年記念のパネルの前で中島田社長

( 創立100周年記念のパネルの前で中島田社長 )

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【会社概要】

 創 業       明治44年(1911年)5月

 設 立       昭和26年(1951年)10月

 代表者       代表取締役社長 中島田 正宏

 従業員数     132名(2014年現在)

 事業内容      ヘッダー・フォーマーの設計・製作・販売・アフターサービス

 所在地・拠点   本社: 福岡県八女郡広川町大字日吉1164-4

             東京営業所: 東京都練馬区大泉学園町5-8-20 セレッソ大泉学園202

             大阪営業所: 大阪府豊中市本町7-1-29 アンクラージュ豊中本町202

             名古屋サービスステーション: 岐阜県多治見市光ヶ丘4-25-1
                                ライフニュー光ヶ丘202

             北米支店: 14555 Valley View Ave. Suite D,Santa Fe Springs, CA 90670,U.S.A.

             欧州支店: Berliner Str. 2 65760 Eschborn Germany

             中国支店: 2/F, Oriental Plaza, 1072 Jian She Road, Luohu District,
                    Shenzhen, China

 社 是

            前進・協力・感謝

 企業理念

           『心を込めて作った製品で世界の人々に貢献』

           急速な技術革新の中、その先端に立つ努力とともに、

           「本当に求められているものは何か」

           ということを常に念頭に置き日々研鑚(けんさん)努力を重ねています。

           より生産性が高く、より信頼性の高い機械を世の中に送り出すこと。

           これが私たちの永遠のテーマです。

           お客様のニーズに確実にお応えし、

           その最終製品がやがて世界中の人々に貢献することを願いながら、

           私たちは一台一台の機械に、心を込めて生産しています。



――――――――――――――――――――

記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子

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株式会社南勢 代表取締役社長 瀧 篤人氏
2014年07月03日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

【藤田未来開発・パブリシティ委員長から読者の皆様へ】

 会員読者の皆さん。こんにちは。未来開発パブリシィテー委員会委員長の藤田と申します。何時も会報ねじを読んで頂き有難うございます。

 この度、好評連載中の「トップに聞く」の新しいシリーズに、賛助会員のトップインタビューを連載する事となりました。正会員が仕事をする上で賛助会員会社の協力はなくてはならないものと思います。トップの想いなどを御伝えしたく思いますので宜しく御願い申し上げます。

 第一回として株式会社南勢の瀧社長に御願いしました。 是非御読み下さい。    藤田

◇ ◇ ◇

「トップに聞く」

株式会社南勢

代表取締役社長 瀧 篤人氏

聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ

 

インタビューサマリー

  ・「礼節を重んじる

  ・少数のお客様を大事に

  ・人としても磨きをかけてほしい

  ・「南勢なら寿命が安定する」を目指す

  ・父の真似はできない

 

  ・会社概要IMG_3897.JPG

 

 

瀧 篤人 (たき あつひと)

1962年生まれ。1985年、愛知工業大学 経営工学部を卒業。圧造機メーカーで3年間の修行の後、1988年、株式会社南勢に入社。2006年、代表取締役社長に就任。

 

 

 

「礼節を重んじる」

―― 「南勢」はどのようにして生まれたのでしょうか。

 私の父で、創業者であり会長であった瀧勇吉は、当社を創業する前、金型メーカーに勤めており、そこで金型の技術を磨きました。とてもよく気がつく人で、それが組織の中ではうっとうしいと思われたこともあったようで、自分でやろうと考えたそうです。1964年11月に35歳で創業し、1966年4月に会社を設立しました。

―― 「南勢」という会社名の由来は。

 父の生まれ故郷が、三重県度会郡南勢町だからです。2005年に隣接する南島町と合併したため、今は南伊勢町となっています。

―― では、なぜ創業の地に名古屋を選ばれたのでしょう。

 もともとは三重県の山の中で、木の仕事をしていましたが、役者になりたかったようで、このままいなかにいてもどうしようもないと思い立ったそうです。本当は東京まで行こうと思って家を出ましたが、お金がなくて名古屋で下車したのがそもそもの発端です。名古屋では、まず仕事をしなければならないと、最初は鈴鹿の軍事工場で工員として働きました。爆弾が爆発して死にそうになったこともあると聞いています。

結局、当初の目的地だった東京には行かず、その後いくつかの仕事を経て、金型メーカーに至りました。

―― 創業当初はご苦労されたことと思います。

 お客様に喜んでいただけることをしないと、仕事はいだけないと思って、あえて緊急の修正など、工程がくずれてしまうような仕事を引き受けていました。一人で始めましたから、昼間はお客様を回って修正の仕事をいただいて、夜中に修正して翌朝お持ちするので、寝る暇もない。でもそういう努力の積み重ねで、少しずつお客様からの依頼を増やしていったそうです。

当社では「心と技」を大切にしています。お客様が困っていることを快くお引き受けして、実現できるようにすることが、心と技です。それによって仕事が増えて今の会社につながっているのですし、先代の創業当時の思いはずっと受け継がれています。今でも、修理はまっさきに対応するように心がけています。それが南勢の「魂」であり「灯」です。

―― 経営理念には、「礼節を重んじる」とあります。どういう思いを込められたのでしょう。

 経営理念は、2006年に私が社長に就任したとき掲げたものです。当社では、どんな役職、職責であろうと、年上の人は「さん」づけで呼びます。それは社長の私も含めて例外はありません。なぜなら仕事の場では後輩であっても、人生の先輩であるということを重要視しているからです。それが礼節を重んじるということだと思っています。

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少数のお客様を大事に

―― 現在御社で作られている金型の用途は。

 ファスナー関係が約60%、部品関係が約30%、残り1割は航空機関連などです。

現在の当社の設備では、小さいものは内径3.5~4ミリぐらいまで、大きいものは直径、高さとも200ミリぐらいまで作ることができます。

―― 御社の強みとなる技術にはどのようなものがありますか。

 割型技術、銅帯コイルを用いたケース技術、複合組織改質技術(PIP処理)やWPC処理による金型の長寿命化です。

割型は、日本では始めて当社が手掛けたので、六角形などの角のある形状に使います。角の部分は金属の圧縮時にストレスが大きいため、金型が割れやすくなります。そこで六角形なら、あらかじめニブを6つに割っておいて、ケース内で組み合わせて使うと、金型が呼吸できるようになるので割れません。角が丸みを生じても問題ないものには有効です。

各種の金型製品     

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金型は、ケースと中に入れる超硬合金の応力のバランスが良いと寿命が長くなります。ケースも超硬合金も十分な大きさがあることが理想ですが、限られた大きさの中で対応するために使うのが、コイルです。100分代の薄い板をコイル状に巻いた内側に超硬合金を圧入することで、強く締め付けることができます。

PIP処理は、特許を取得している企業より許可を得ている工法です。金型の表面に、粉末の  二硫化モリブデンを音速に近いスピードで吹き付けて表面に層を作る方法で、焼きつき防止の効果があります。

WPC処理も表面加工の技術ですが、0.5ミリまたはもっと小さいガラスの粒を吹きかけて表面にディンプル形状を作り表面改質を行います。それを磨くと、ディンプル形状の凹んだ部分だけ摩擦を受けないので、摩擦の表面積を減らすことができ、焼きつき防止の効果があります。PIPとWPCを組み合わせて使用する場合もあります。

これらはすべて、金型の寿命を延ばして、お客様が一つの金型でたくさん生産できるようにする技術です。

―― 現在何社ぐらいのお客様に金型を提供していますか。

 長年お取り引きいただいている8社に提供している金型が、全体の約9割を占めます。

当社は少数のお客様を大事にしていくというのがポリシーで、中には40年近くお付き合いいただいているお客様もあります。お客様と一緒に、あきらめずに開発したり改善したりして完成させるスタイルを、他のお客様に安直に提案することはできません。

金型の寿命は、工程レイアウトや打ち方にも依存するので、どれくらい使えるとは一概にはいえません。常にお客様と一緒に検討会を立ち上げ、双方で調査して改善していきます。

およそ9割は、お客様から図面をいただいて作りますが、コストパフォーマンスをよくしたり、寿命を延ばしたりするためのアドバイスをさせていただくことも多々あります。

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人としても磨きをかけてほしい

―― 現在の業界の状況をどのように見ておられますか。

 台湾や韓国の金型は、日本のレベルに近づいています。中には日本の水準に匹敵するものもあり、人件費の差を考えると、台湾や韓国が勝っている場合もあります。台湾では、日本の超硬合金を使い始めているので、金型の寿命という意味でも、日本と同じになる可能性があります。

台湾や韓国が追いついてきたということは、日本の技術の伸びが鈍っているということだと思います。それは、金型を安く作る、生産性を上げることを重視するあまり、量産という方向に進んできたためではないかと考えています。本当は人の手による作業が必要な部分、そのための時間ほど尊いのに、前工程や仕上げの処理を省いたために、場合によっては台湾製のほうが寿命が長いということも起こっていますし、命数のバラつきの原因にもなります。

モノはできていても、次の世代をうまく育てられていないということではないでしょうか。

この悩みはお客様側にもあると思います。早く作るため、安く作るために、最初から最高速で打つということもあるようですが、昔は金型をもっといたわって、打つための細工や、空運転をして金型を暖めるとか、無理のない圧造で金型になじませてから過酷な正寸で打つというようなことが行われていたと聞いています。

―― そのような現状の中で、御社ではどのように人材を育成しておられますか。

 標準化というほどではありませんが、工程の一部には作業手順書を用意して、新しく入った人には、1週間目に何個、2週間目に何個と、課題を与えて作らせたうえで、どういう仕事をさせるかを見極めています。以前はつきっきりで教えていましたが、人が教えるのは限界があると考えて、2年ほど前から始めた方法です。

また、図面や工程表の中に書かれている、過去の失敗や注意事項は非常に貴重です。抽象的な指示ではありますが、同じ失敗を繰り返さないために、また過去のいい製品と同じようないい製品が作れるように、情報を共有しています。毎週月曜日の朝、役職者やリーダー格の人たちが参加するミーティングでは、今の会社の状態や仕事の量、起こっている問題や、ほめられたことなどを話しています。

役職者を育成するにあたっては、候補生を月曜日の会議に参加させて、興味を持って積極的に質問をしてくる人に絞り込みました。当社では主任以上が役職ですが、主任候補にはあえて「班長」という肩書きを与えています。なぜ主任ではなく班長なのか、主任になるには何が足りないのかなど、興味を持ってくれる人、場合によっては自分が嫌われても会社のため、仕事のためにがんばってくれる人を、主任として迎え入れたいと考えています。

また役職を得ることによって、会社の中での責任が重くなるのはもちろんですが、家庭や地域など社会生活においても人格者になってほしいという願いがあります。社長の私もみなさんと一緒に、社長としてふさわしい人間になれるように磨こうとがんばっている。だから社員にも会社で毎日仕事をするついでに、人としても磨きをかけてほしいと思っています。

―― カタログには「南勢流マイスター」との記載があります。

 ドイツにはマイスターと呼ばれる人たちがいるそうですが、単に職人として腕がいいだけではなく、人を導くことができる人格者であることが求められると聞いています。

当社が目指すマイスターとは、「心」と「技」と「情報」が基本になります。「心」とは、金型加工への思いやりであり、次の工程はお客様であるという意識を持つことです。「技」とは、現在の技術に満足することなく、自身を磨いて高みを目指すことです。「情報」とは、固定観念にとらわれず、顧客の意見や新しい技術情報を取り入れることです。現在一人、マイスターの肩書きを持つものがいますが、こういう人材を一人でも多く育てたいと思っています。

―― 現在の社員数は約50名とのことですが、平均年齢は。

 おそらく32~33歳だと思います。事務の方以外は全員技術者で、役職者も一人の職人ですし、みんな仕事をいっぱい抱えてがんばってくれています。会社を存続しなければいけないし、社員に不満があってもいけないと、そこにはとても気をつけています。

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「南勢なら寿命が安定する」を目指す

―― 2012年5月に、本社工場を名古屋市港区から現在の岐阜県関市に移し、工場を一本化されました

 関は、20年ほど前にアフターサービス専用の工場を設立して以来、お世話になっている場所です。2007年に関工場が完成しましたが、その後リーマンショックや、タイの洪水などがあり、東日本大震災では危機管理対策の重要性を再認識し、関に本社機能を移すべきだと思いました。

また、名古屋と関に分散していた工場固有の技術を1か所に集結させることで、従業員もより切磋琢磨し、技術や会社の競争力が向上しますし、結果的にお客様によりご満足いただけるのではないかと考えたからでもあります。

もとの名古屋の本社工場は売却し、現在の名古屋営業所は、もともと社員の駐車場だった場所です。

―― 名古屋に勤務していた方も、関に通っておられるのですか。

 関に工場を集結させるにあたり、一番懸念していたのは社員が辞めてしまうことでした。でも私の考えをみんなが理解してくれ、ほぼ全員が辞めずに関に通ってくれています。それが一番うれしかったですね。

車通勤が多いためガソリン代は全額支給していますし、名古屋工場の跡地から送迎バスも運行しています。

―― 関とはどういう場所ですか。

 1300年以上の歴史がある、長良川の鵜飼が有名です。関鍛冶という刀鍛冶は、鎌倉時代から受け継がれています。また江戸時代前期の行脚僧であり、木彫りの仏像を大変多くの残している円空ゆかりの地でもあり、円空記念館では30体の実物を観ることができます。隣の美濃市では、やはり1300年以上の伝統がある美濃和紙が作られています。

この地域は、こういうものづくりが脈々と受け継がれている場所です。刀鍛冶の伝統もあり、鉄に対する思い入れもありますし、金型に向ける愛情もことのほか強いと感じています。伝統が受け継がれている場所で、社員のみんなと一緒に、金型づくりをもっと確立させていきたいと思っています。

―― 今後はどういう会社を目指したいですか。

 現在、異形もののニーズが高くなってきていますので、機械を導入していきたいと考えています。異形ものはどうしても時間がかかって普通の工程ではできませんので、今よりももっと短時間で段取りができるように教育も必要です。全体の力のバランスをとりながら、それぞれの分野の技術者が互いに補い合えるような体制を作っていきたいと思います。

また業界の状況も変化していくと思いますので、圧造の金型が必要とされる分野で、移行していける範囲内であれば、いろいろな金型に挑戦したいという思いもあります。

ただ当社の売り上げの9割を占めるリピーターのお客様のおかげで今があるわけですし、まだまだ今の仕事の本質を見極められているとは思っていません。ですから現在は、今の金型の技術をもっともっと高めて、「南勢の金型なら寿命が安定する」といわれることを目指したいと思っています。今のものづくりをもっと確立し、標準化なども明確にできてこそ、新たな分野の仕事にも移行できると思います。

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父の真似はできない

―― お父様は、2012年に亡くなられましたね。

 82歳で亡くなりました。今でも私には絶対真似ができないと思っています。

父はとにかく元気で、ちょっとやんちゃなところがある人でした。そんな人が、腰を圧迫骨折して入院したときに、衰えたなと思ったら泣けてきましたね。

―― 家業を継ぐ以外に、成りたいと思っていた職業はありましたか。

 父にうまく育てられたという感じですね。小さい頃からよく会社に連れて行かれて、社員のおにいさんとキャッチボールしたり、昼休みには弁当を食べた後に、喫茶店に連れて行ってもらったりしていました。後で聞いたのですが、私が朝から会社にいるので、社員のみなさんは私が喜ぶだろうと、喫茶店に連れて行ってごちそうしてくれていたそうです。夏休みなんて、朝から会社に連れて行かれるので正直退屈で、昼休みにジュースを飲むのが唯一の楽しみでした。みんなは働いていて大変だということも知らずにね。

学生時代は家業を継ぐための勉強などは考えず、ただ卒業したら父の会社に入るんだなと思っていました。なめていましたよね。当時は、会社を継ぐという厳しさはまったく考えていませんでした。

卒業してから圧造機メーカーさんで3年間お世話になり、そこで仕事をするということも、社会勉強もさせていただきました。本当に感謝しています。修行をせずに家業を継いでいたら、とんでもないことになっていただろうと思います。

―― 社長に就任してから新たに始めたことは。

 社長になる3年ぐらい前から、ISOへの取り組みを始めました。でも長く当社で働いている人たちの中には、今までのやり方を変えることに抵抗を示す人たちもいました。私が小さい頃に遊んでもらったということもあり、難しかったですし、本当に悩みました。社員はみんな職人さんですから、辞められても困りますし、若い人たちにもしめしがつかない。そのとき初めて父にも相談しました。

―― 自分のためにしていることはありますか。

 ゴルフは時々しますが、スポーツジムにも通っています。体力づくりも一つの目的ではありますが、本当は、自分だけの時間が欲しかったのがきっかけです。

お酒は体質的にダメなので少量しか飲みません。どちらかというと甘いものは好きかもしれませんが、炭水化物は控えめにしています。

あと、髪を切るときは美容室に行きます。最近は白髪も増えてきましたが、私は白髪交じりが似合うとは思えないので、週に2回、自分でカラーリンスをしています。髪を染めるのは「あきらめた」ということだと思うので、カラーリンス。しかも黒とこげ茶と茶色を調合して使っています。

―― ご家族には「猫」もいるとか。

 猫のために家に帰るようなものですね。アメリカンショートヘアという種類の「チョコちゃん」は、今7歳で、人間にすると49歳ぐらいですから、私と同世代です。生まれて3か月ごろから飼っていて、私が一番面倒を見ていると思いますよ。飲み屋さんに行って隣に女性が座ったりすると、帰って来た時にチョコちゃんには分るらしく、迎えに出てきません。悪いことはできませんね。

とにかくかわいくて、「この子もいつか死んじゃうんだ」と思うだけで涙が出ます。

―― では社員のみなさんと仕事を離れて交流することは。

 リーマンショック後は忘年会すらしなかったのですが、それではいけないと、関に来てからは納涼会や忘年会をしています。こういう交流の場は大事だと思います。

経営理念に掲げているとおり、南勢が存続して、繁栄していくためには、社員とその家族に幸福をもたらさなければなりません。その基盤として、礼節を重んじ、互いを尊重し合う「心」がなくてはならない。社員が充実して仕事ができ、お客様に喜んでいただけるように、これからも「心と技」を磨いていきたいと思います。

 

―― 貴重なお話をありがとうございました。

 IMG_3933.JPG

関市に集結した本社工場の前で

シンボルマークの「心」と一緒に

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【会社概要】

 

創業               昭和39年(1964年)11月

設立               昭和41年(1966年)4月

代表者           代表取締役社長 瀧 篤人

資本金           1,000万円

従業員数        50名

営業品目        冷間圧造・冷間鍛造用超硬金型

                     熱間圧造・熱間鍛造用ケース金型

所在地・拠点   本社: 〒501-3210 岐阜県関市尾太町1番地

                     名古屋営業所: 〒455-0076  愛知県名古屋市港区川間町2-32-1

経営理念

                     南勢が存続繁栄し、社員とその家族に幸福をもたらす基盤は

                     礼節を重んじ、互いに尊重しあう「心」なくしてはありえない・

                     そして我々は、塑性加工に於いてなくてはならない存在であり続けたい。

――――――――――

 

記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子

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クラウン精密工業株式会社 代表取締役社長 望月紀人氏
2013年07月18日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

「トップに聞く」

 

クラウン精密工業株式会社

 

 

代表取締役社長 望月紀人氏

 

 

聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ

   

インタビューサマリー 

・      海外も同時に特許申請

・      状況が変化しても、核となる理念は継承したい

・      受注から出荷までの一元システムが効率化に貢献

・      人事評価は、透明で分りやすく

・      「販売無くして生産なし、販売無くして経営なし」

・      会社を永遠に存続していきたい

 

・      会社概要

 

 

MG3230.jpg

 

望月紀人 (もちづき すみと)

1962年生まれ。1984年、立教大学 経済学部を卒業。3年間の修行を経て、1987年、クラウン精密工業株式会社に入社。2003年、専務に就任。2007年、代表取締役社長に就任。

 

 

 

 

海外も同時に特許申請                  戻る

 

―― タッピンねじにはどのような市場があるのでしょうか。

望月 通常は「めねじ」に「おねじ」を入れていきますが、「タッピンねじ」には「めねじ」がなく、穴だけ開いていて「おねじ」を締めることによって「おねじ」自身が「めねじ」を切っていきます。その市場は、特定の業界、分野ということではなく、ねじをある程度たくさん必要とするところでは、結構使われているのが実態だと思います。家電やOA機器、車関係でもテールランプとかミラー系とかにはよく使われます。

 「めねじ」が必要ないので、工程が一つ減る、言い換えればコストダウンということになると思います。

―― 御社のオリジナル商品について紹介していただけますか。

望月 「デルタイト」は、いわゆるタッピンねじで、一番販売力の高いものです。特徴は、締め付けトルクが非常に低く、破壊トルクが高いことです。そのためお客様が工場で使用する際に、締め付けをするトルクの自由度が高くなっています。

「ブラックス」は、鉄板ではなくて合成樹脂用のタッピンねじです。

「ショルデック」は、座付ねじにスペーサーを組み合わせて、不完全ねじ部ゼロの段付きねじです。以前はモーターによく使われていました。今は、照明などの狭いスペースに使われています。

 「ビューヘッド」は、スペースの制約や美しさを重視するときに使用する 頭の薄いねじです。頭を薄くすると、十字穴が軸まで届きやすくなり、頭飛びの危険性が高くなりますので、首下に少しアールを付けて広くするなどの工夫をしています。

さまざまなオリジナル商品     

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「ボリウェーブ」は、座金の部分が三角に折ってあって、締めるとそれが相手に食い込んで、ばねの代わりをするので、緩み難いねじです。

「ボリデルタイト」は、ポリウェーブの足をデルタイトにしたものです。

「リップネジ」は、薄い板用のタッピンねじです。ねじの山と山で相手の板を挟み込むようなイメージで締め付けます。普通のねじ山は60度ですが、このねじは45度になっています。

「リブロック」は、溶接ボルトの代わりになるもので、頭の下に突起を出しておいて、押し込んでかしめることで締結するねじです。

「スリードライブ」は、頭を大きくして、手で回せるようにしたものです。結構需要があったので、それを企画化して作りました。

―― どのようなきっかけで、オリジナル商品の開発に至るのでしょう。

望月 お客様の困りごとがきっかけとなることが多いです。薄頭のビューヘッドも、「頭が邪魔なんだけど」というお客様からの要求から開発したものです。やはり創業当初から開発商品を出してきていましたので、そういう姿勢が根付いているのかもしれません。

あとは特徴的なのが、一つひとつにデザイン的なパッケージを作って、出荷する箱にもそのデザインを施していることです。一つひとつの商品を育てていきたい、知名度を上げていきたいという思いは強いです。

―― オリジナル商品では特許を取得していますが、ご苦労もあるのではないかと思います。

望月 やはり手間はかかりますね。海外で形状や工具を真似される可能性も考慮して、最近では海外の特許も同時に申請しています。特許は、日本で取得した後に、海外に申請することができませんから。

―― タッピンねじはどれくらいの割合ですか?

望月 8割程度だと思います。ボルトも多いのですが、お客様の図面仕様でねじ部がデルタイトということもあるので、正確なデータを取るのは難しいですね。

―― 熱処理も御社でやっておられますね。

望月 熱処理は、比較的最初のころから設備しましたが、なかなかうまくいかなくて、当初は随分苦労したようです。

 基本的にタッピンねじはじぶんで「めねじ」を切っていくので、表面が硬くなくてはならない。でも全部硬いとパリッと割れてしまいますから、「湿気たおせんべい」のように、中は柔らかくて外は硬くなければいけません。最近は相手の板が硬くなっているので、この熱処理が結構難しいんです。しかも、お客様は意外と勝手に板を変える。ある日突然ねじが入らないということがあります。当社の場合は、社内で熱処理設備を保有しているので、熱処理条件を変えて、より表面を硬く、中は柔らかくする条件を探していきます。

 熱処理を社内でするかどうかは、コストとの兼ね合いになるとは思いますが、作ることへのこだわりですね。そういうこだわりって、必要なのではないかと思います。

 

状況が変化しても、核となる理念は継承したい     戻る

 

―― 御社はどのような経緯で創業されたのでしょうか。

望月 私の父の兄が、「クラウンラジオ」という会社で、ラジオとかテレビを作っていました。私が幼いころ、家の家電製品は全部クラウンだったことを覚えています。

今回インタビューがあるので調べてみましたら、戦後の日本の輸出産業は、トランジスタラジオが中心で、大手が参入する前は、ほとんど中小だったようです。叔父の会社も基本的には輸出メーカーだったので、あまり日本での販売はしていませんでした。1955年ごろは銀座4丁目の鳩居堂の上に看板を出していたようです。当時はかなり勢いがあったのですね。

 ラジオを作るにはねじをたくさん使うし、ねじは機械が作るので人が少なくてすむこともあって、ねじを作ったらいいのではないかと、クラウン精密工業が生まれたと聞いています。昭和35(1960)年10月に設立、昭和36(1961)年6月に、朝霞のクラウンラジオの一部に工場を建設して生産を始めました。その後、業務拡大に伴って、現在の本社がある志木に工場を建設し、移転したのが昭和36(1961)年です。 同年の9月に日立営業所、翌年の11月に名古屋営業所を開設しました。

本社工場外観(埼玉県志木市)   

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―― 子会社の展開もしておられますが、それぞれどのような役割なのでしょうか。

望月 基本的には、生産品目が異なります。ヘッダーの素材であるワイヤは、私どもでは1ミリ~12ミリぐらい使用しますが、その線形で分けています。それぞれ特化することで経営を効率化できることが一つと、それぞれの法人で利益を出すことによる経営責任の確立、人材育成を目的としています。

山梨県のクラウンファスナーは、現在、私の弟が社長を務めています。

クラウン精密秋田工場は青森に近い場所です。今は北秋田空港ができましたが、以前は秋田から3時間ぐらいかかりました。高度経済成長のころはなかなか人が集まらなかったので、なんとか人を集めたいと、東北の方を探していて紹介されたと聞いています。

 福島のシーエージーは、ヘッダーの多段機の専門工場です。多段機ではお客様の図面をいただいて、特注品を作るので優位ですが、機械を多くは所有していなかったので専門工場を建てたようです。

秋田のクラウンメタルプレイティングは、メッキ処理の工場です。青森に近いところにある工業団地で、熱心な誘致を受けました。熱処理と同様に、表面処理も外注さんにお願いすることが多いのではないかと思いますが、たまたま中国工場でメッキを内製化したので、日本でも競争力をつけるためにメッキ部門があってもいいのではないかと。メッキは排水の問題などがあって、認可をいただくまでに交渉が必要でした。秋田では、圧造、転造、熱処理、メッキが、一貫生産できる体制になっています。

―― 香港、中国、タイと、海外にも進出しておられます。

望月 香港が平成6(1994)年、中国が平成7(1995)年です。当時はお客様の中国進出が激しく始まっていた時期でした。

 タイ工場は、平成13(1991)年設立で、平成17(2005)年にロジャナ工業団地に移転しました。ロジャナ工業団地は、2011年のタイ洪水の被害に遭ったところです。完全に水没して水が引くまで1か月くらいかかりました。それから機械の修理をしましたが、全部ドロが入ってしまって、中には日本に持ってきて修理をしたものもありました。結果的に、2年ほど遊ばせる形になりました。

―― 「創造性豊かな高付加価値商品を生み出すことによって広く社会に貢献し、社員の幸せと夢のある企業を目指す。」という経営理念について、どのように考えておられますか。

望月 昭和60年に理念が作られたときは、まだ私は入社していませんでした。創立から25年ぐらいたったころで、おそらく会長の中で理念が必要だと考えたのだろうと思います。社員綱領も同時期に作っています。

本社事務所に掲げられた社是(中央)経営理念(右)社員綱領(左)

Crown keieirinen.JPG

 

私としては、これを継承していきたいという気持ちを強く持っています。周りの状況は変わっても、中心にある考え方は、経営するうえでは継承していきたい。できてから20年ぐらいたっていますが、変えようとは思っていません。

社員は、経営理念、社是、社員綱領と、会長が好きな言葉が書いてあるカードを持っています。迷ったときはこれを見るようにということです。

 

受注から出荷までの一元システムが効率化に貢献   戻る

 

――平成4(1992)年というかなり早い時期に、コンピューターシステムを導入しておられますが、どのような経緯で導入したのでしょうか。

望月 それまではそれぞれの場面では管理していても、今どの工程に行っているかは、ずっと品物を追いかけて探さなければならず、それを何とかしたいと思いました。それまでもコンピュータがなかったわけではないのですが、部署ごとの電算システムでした。それを受注から出荷まで、グループ工場を含めて一元管理をするようにしました。かなり効率が上がったと思います。

――大がかりなシステムの導入にあたっては、いろいろなご苦労があったのではないかと思います。

望月 当時はオフコンで、こちらに知識がないので、SEと話をしても会話にならない。出力帳票も一つずつイメージを書いてもらったりしました。SEは各部署のヒアリングをして、それをつなぎ合わせて...... かなり大変な作業でしたね。投資額も億単位です。

 また当時は、キーボードすら打ったことがない人もいっぱいいて、それまでは台帳管理でしたから抵抗感もかなりありました。ある時期までは、台帳と新しいシステムを並行して走らせましたが、なかなかシステムに入力してくれないということもあって、立ち上げ時は相当苦労しました。

バージョンアップもかなりしています。現在は、どの品物はどこまで進んでいるか、画面ひとつで追いかけられるので、もうこのシステムがなかったら仕事ができない状態ですね。

――ISO9001、ISO14001、QS9000にも取り組んでおられますが、大変ではありませんか?

望月 私はあまり大変だと思っていなません。ISOの環境も品質も、自分たちがやっている業務を、ISOの要求のどこに当てはまるか考えて、落とし込んでいる感じなので、そのために余計な仕事が増えたという感じはしていませんね。

たとえば、ISOでいう「マネージメントレビュー」も、私どもでやっている月1回のリーダー会議に置き換えて、議事録のフォーマットもISOの要求に合わせています。QS9000の「製品品質日程計画」には、我々なら工程管理表を当てはめようというように。システム導入前から、工程管理表は作っていましたし、社員の抵抗もあまりありませんでした。

 

人事評価は、透明で分りやすく           戻る

 

――人事評価はどのようにしていらっしゃいますか?

望月 5年前から制度を変えました。17のランクに分割した給与体系になっていて、社員は期首に設定される会社の目標や、その課が掲げる目標に対して、個人目標を設定します。その目標にそって、達成度、貢献度、成果を自己申告し、上長とすりあわせて、社員のやる気や自分の成長の度合いを自己評価、客観評価で見るという方法です。

 成果主義といっても既得権がありますから、大きく従業員の不利益にならないように、かなり慎重に作りました。

――なぜそのような制度に変えようと思ったのですか?

望月 人事評価では毎年悩むので、もう少し客観的な評価はできないかと。たとえば製造現場なら、担当する機械によって仕事量が変わることもあるし、営業だって自分でお客様を選べるわけではない。ある程度透明性があって、従業員の皆さんにも分りやすいことが必要なのではないかと思いました。

――運用していくうえで、難しいことはありますか?

望月 人によって、自己評価が辛めの人、甘めの人がいます。そこはコミュニケーションを重ねながらやっていくしかない部分ですね。本当は、評価をする管理者のトレーニングもしなければいけないのだと思います。経営側から見えている管理者と、部下から見えている管理者の評価は、意外とずれていたりしますので、気を付けなければいけないと思っています。

――社員による自主的な改善活動などは行われていますか?

望月 「活動」と呼んではいませんが、毎期、社長指針を出しているので、それに基づいて各課が1年間の活動計画を立てています。たとえば、現場のヘッダーであれば、工具の再生化とか、スクラップ量の低減といった目標を決めて、その進捗管理をしています。

以前は、具体的な内容の社長指針を出していたのですが、指針が具体的だと、社員の自主性やアイディアが広がらないので、今は抽象的な指針を出すようにしています。

 

「販売無くして生産なし、販売無くして経営なし」   戻る

 

――ねじの市場の変化をどのように見ておられますか?

望月 3~4ミリはボリュームゾーンだとは思いますが、私どもでは意外と5ミリ以上も多いです。それは、逆に3ミリ以下の仕事は、日本からどんどん無くなって、海外にいっているということだと思います。

たとえば、テレビはまさに3~4ミリの仕事で、私どもがテレビのねじを作っていたころは、1か月の売り上げがテレビだけで2000万円ありました。それが今はゼロです。昔はカセットテープとかビデオテープとか、デッキの中にいろんなものがついていましたから、ビデオ関係の仕事も多かったのですが、今はほぼゼロですね。コピー機も、昔は1台で600本ぐらいねじを使っていましたが、今は200ぐらいだと思います。ねじ締めは、作る方には余計な工数なので、なるべくねじを減らしたいと考えるのは当然ですからね。

 市場はめまぐるしく変化していますから、「今のものはいずれ消滅していくんだ」というくらいに考えて、常に新しいものを追いかけていかなければなりません。

――そのような市場において、どのような事業戦略を取っていかれるのでしょうか。

望月 基本的には、私は「販売無くして生産なし、販売無くして経営なし」と思っています。とにかく受注を確保していくことが大前提だと思っています。

我々の場合、意図的ではなのですが、10%を超えるお客様はなく、どこか1社に大きく依存していることがありません。リスク分散という意味では強いのですが、常に新しいものを取り続けないと同じ売り上げを維持することができません。われわれが保有している設備の範囲内で、それが製造できるのであれば、どんなものでもトライしていきますし、情報を収集するなかで必要と判断した設備には、積極的に投資をしていくという考えです。

もう一つは横展開です。2か月に1回、会議を開いて、今新規でどういうお客様に行っているか、我々の実績ある商品をどこに売り込んでいるのかを情報共有しています。

ISOの認証も、検査設備も、品質の要素ですが、一番大切なことはそれがどういうところに使われるかだと思います。私どもでは、まず用途を確認します。そうすると目的に応じて、そこまで厳しくなくてもいいのではないかなど、こちらから提案ができる。次にそれを工具の設計に落とし込んで工具図面を描く。基本的にはヘッダーも工具で作るのですから、工具の品質の一定化は大切な要素ですし、難易度の高いものは工具も内製して、ノウハウを蓄積しています。規格品よりもお客様の図面で作るものが多いので、こういう動きをすることで、我々の付加価値を提供できると思っています。

――設備投資の具体的な計画はありますか?

望月 今のところ国内では考えていません。海外に関しては、今ある中国、タイの工場の機械設備を良くして、今海外でできていない仕事を取って、生産品目を変えていくということを考えています。

――ねじ以外に進出する可能性は?

望月 今でも当社は切削もしています。ねじとあまりかけ離れた分野は考えていませんが、いわゆる機械加工であれば、十分ありうると思います。

 

会社を永遠に存続していきたい            戻る

 

――昭和62年に入社されましたが、入社前は何をしてこられましたか?

望月 昭和59年に立教大学の経済学部を卒業しました。その後、大陽ステンレススプリングさんで、工場で1年、営業で2年修業をさせていただいてから、クラウン精密工業に入社しました。

――お父様からは後を継ぐように言われていたのでしょうか。

望月 父からは入社しろとは言われていませんでした。自分では入るものなんじゃないかと思っていましたので、大学卒業が間近になって就職ということと向き合った時に、初めて父にクラウン精密工業に入ってもいいと話しました。子供のころから父とはあまり接点がなかったですし、入社してからは社長と一般社員ですから、ずっと敬語で話していました。妻は変な親子だと思っていたようですね。

――社長に就任されるまで、どのような仕事をしてこられましたか?

望月 当社に入ってまず感じたのは、お客様と接する時間よりも、社内の調整をしている時間が長いということでした。注文が入ると、自分で工場に行って要請する。急ぎの案件も、誰か一人に伝えればよいのではなくて、圧造に行ったり、転造に行ったり、あちこちに頼んでやっと出来上がる。それを今度は自分で倉庫から引っ張り出して、自分で納品書を書いて、お客様に届ける。そういう状態を見ていて、営業なら純粋にお客様と折衝する時間とか、あるいは技術的な勉強をして「ねじ屋」的な営業をしていかなきゃいけないと思いました。そこで営業の中の業務を受け持つ部署を作ったり、配送部門を作ったり、コンピューターシステムを導入したり......。私から見て会社の弱い部分を強化していくということを、自分なりにやってきたと思います。

 修行先では、納品というとライトバンに積んでいきましたが、当社に入社した当時、車は全部トラックでしたからね。自分で2トントラックを運転して納品に行くというのは、カルチャーショックでしたね。

――記憶に残る出来事はありますか?

望月 営業をやっていたとき、あるお客様から「たぶんクラウンさんとの取引は、今が一番いい状態だよ」と言われたことがあります。その理由は、「あんたが社長の息子だから」。たぶん社内的な影響力もあるし、私が言えば早く上がってくるのではないかと。その時に、何をやってもそういう風に思われるのかなと思いましたね。できて当たり前、人の倍やって当たり前みたいなところはあるのかなと。

自分ではあまり意識していませんが、負けたくないという気持ちはありました。私が入社したことで、前任者はお客様を取られているわけですよね。理不尽な話ですよね。その限りは、信頼を得なければいけないなという気持ちは強かったですね。

 ですから香港にも最初に行きました。自分が行かなかったら次の人を行かせられないと思いましたので、売り先を探しにまず自分が行きました。時には、自分がやったことがなくても誰かにやらせることは必要でしょうけれど、心苦しいという感じはしますね。

――社長として、将来に対してどういう思いがありますか?

望月 一番の思いは、会社の永遠の存続ですね。これだけ周りの環境が変わっているので、会社の中身も変わっていかざるを得ない、変えていかなければいけないかもしれない。そういう意味では、当社の場合は、お客様の声を聞く、自分たちで自分の事業領域を決めないということをモットーに、形を変えながら永遠に会社を存続していきたいという思いです。

 自分の父親を亡くしたときに、人って、そこですべて終わってしまうんだなと思いました。どんなに情熱を傾けて、どんなに思っても、人って終わるんだなと。それで、この会社を次世代に繋いでいきたいという思いが強くなりましたね。

――最後に、業界、あるいは協会に対する思いをお聞かせください。

望月 ねじ屋さんでは、戦後すぐに取引が始まって、伝統的にどこかの売上比率が40%も50%もあるとか、昔からの付き合いで間違いなく仕事が来るという会社が意外と多いと思います。我々はまったく逆で、最初にねじの会社を作って、それから売り先を探してきた会社なので、そういう状況に一度たりともなったことがありません。結局は一社一社の自助努力しかないのではないかと思います。

 協会といえども、それは各社のまとまりなのですから如何ともしがたい部分はあると思いますが、自分たちがそこに参加する思いは違っていいと思います。こういう仲間や業界に携わっている人たちがいて、情報交換の場であったり、思いを共有できる場であったり、自己研さんの場にもなる。そういう場でいいのではないかと思います。

 

―― 貴重なお話をありがとうございました。

 

クラウン精密工業株式会社 ホームページ: http://www.crown-screw.co.jp/

 

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【会社概要】                         戻る

 

設立               昭和35年(1960年)10月15日

代表者            代表取締役社長 望月 紀人

資本金            12,000万円

従業員数        国内:250人(グループ企業含む) 海外:400人

事業内容        冷間圧造によるねじ及び締結部品の設計、製造、販売

製造品目        デルタイト ®  (ねじ込みトルクの低いねじ)

                     ポリデルタイト ®  (ゆるまないトルクの低いねじ)

                     ポリウェーブ ®  (ゆるみ止ねじ)

                     プラックス ®  (合成樹脂用ねじ)

                     リップねじ ®  (薄板用ねじ)

                     リブロック ® (スタッドボルト)

                     ショルデック ®  (不完全ねじ部ゼロの段付ねじ)

                     ビューヘッド ® (外装用ねじ)

                     ノジロック ® (ゆるみにくいねじ)

                     マイクロファスナー (極小圧造部品・ねじ)

                     特殊圧造部品

                     小ねじ

                     タッピンねじ

所在地・拠点  

         本社

          〒353-0001 埼玉県志木市上宗岡4-7-31

                     秋田工場(㈱クラウン精密秋田工場)

            〒018-3333 秋田県北秋田市坊沢字深関沢13-2

                     福島工場(シーエージー㈱)

                   〒963-7827 福島県石川郡石川町新屋敷字長土路48-2

                     山梨工場(クラウンファスナー㈱)

               〒400-0402 山梨県南アルプス市田島818

                     クラウンメタルプレイティング㈱

                 〒018-3300 秋田県北秋田市市川井字横呑沢5-133

                     日立営業所

                       〒317-0000 茨城県日立市東多賀町3-6-12

                     名古屋営業所

                        〒485-0000 愛知県小牧市久保本町103

                     東莞皇冠螺絲有限公司(中国)

                広東省東莞市長安鎮涌頭管理区

                   ECF PRECISION CO.,LTD.(タイ)

              55 Moo 5Rojana Industrial Park

                         Tambol Utai Amphur Utai Ayutthaya 13210

                     日皇精工有限公司(香港)

                    Unit T, 4/F., Valiant Industrial Center, 2-12 Au Pui Wan St., 

           Fo Tan , Shatin, N.T. HongKong

 

経営理念

                     創造性豊かな高付加価値商品を生み出すことによって広く社会に貢献し、

          社員の幸せと夢のある企業を目指す。

 

社是               誠実・不屈の精神・創意工夫

 

社員綱領

                     1.良い品を安く、早く、造り顧客の信頼を得ること。

                     2.研鑚に努め、人格と能力の向上を計ること。

                     3.清潔で整頓された活力ある職場をつくること。

                     4.社会人としての自覚を持って社会との調和と共栄に努めること。

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記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子

西精工株式会社 代表取締役社長 西 泰宏氏
2013年04月06日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

「トップに聞く」

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西精工株式会社 

代表取締役社長  西 泰宏氏

 

聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ

 

【インタビューサマリー】

 
 
 
 
西 泰宏 (にし やすひろ)
1963年、徳島市に生まれる。1988年、神奈川大学を卒業。都内広告代理店の営業職を経て、1998年、西精工株式会社に入社。2006年、同社代表取締役専務に就任。2008年、同社代表取締役社長に就任。
 
 
「かさばらないナット」で、株式会社化から規模を拡大
 
―― 創業は1923年(大正12年)だそうですね。どのような経緯でナットを作るようになったのでしょうか。
 
西 私の祖父である西卯次八が西製作所を創業しました。最初は家族経営で、戦時中は戦争に必要なものを作っていたのだと思います。
ナットや割ピンの製造を開始したのは戦後、1947年のことです。なぜナットだったのかという背景には、四国という地理的な事情があります。今でこそ本州と橋で繋がっていますが、昔は物流を考えるとかさばらないものを作らないとだめだという判断だったのでしょう。ボルトかナットかだったら、ナット。かさばらないし、いろいろな機能も出せるのではないかということで、自然に移行していったのだと思います。
 
―― 1960年に株式会社にされました。
 
西 規模を拡大していこうということで株式会社にし、創業者は会長になりました。ここで創業者の息子、三兄弟が会社に集まり、初代社長には長男の幸信が就任しました。次男の輝行は1985年に2代目に、三男の佳昭 ―私の父で、幸信とは親子ぐらいの年齢差があります― は、1995年に3代目の社長となりました。幸信と輝行は亡くなりましたが、佳昭は現在相談役です。
 2006年に社長に就任した和彦は、長男の息子で長く専務をやっていました。今は代表権付きの会長です。
 
 
―― 幸信氏、輝行氏、佳昭氏の三兄弟はどのような方々ですか?
 
西 長男の幸信は、創業のころから祖父と一緒に作っていた現場の人です。自分で設計して、割ピンの機械も作りました。その機械は今、石井工場に保管してあります。現在割ピンは作っていませんが、ここから始まったので、ずっと置いておかなければいけないものだと思っています。
 次男の輝行は機械が好きな人で、自分で買いに行っていました。ドイツまで行って、これからはフォーマーの時代だと買ってきたのも輝行です。彼がいたから機械をいろいろ買い足してきたのだと思います。
三男の佳昭は、「何でもした」と本人が言っています。三男坊ですから、結構きつかったのではないかと思いますね。営業でも九州や、名古屋まで出向いて、電話帳で「ねじ」を探して行ったそうです。何度か組合が立ち上がろうとしたのを、「ウチみたいなところで組合つくってどうするんだ」と諭したのも佳昭だそうです。
 
―― 1970年に石井工場、1989年に土成工場、そして2001年、2008年にそれぞれ土成第二、第三工場と拡張されていますね。
 
西 徳島県徳島市南矢三町の本社工場では、酸洗い伸線という材料加工をやっていたのですが、手狭になっていました。ちょうど廃業した工場のいい物件があったので、そこを改修して始めたのが石井工場(徳島県名西郡石井町)です。
 本社工場のまわりは、だんだん住宅地化してきました。隣には中学校ができ、病院も建ち、大きな音が出し難くなって、メインの工場をどこかに移さなければ厳しい状況になりました。そこで土成工場(徳島県阿波市土成町)を建て、その後同じ敷地内に、第二、第三と増やしてきました。
 石井工場も最初は畑の真ん中だったのですが、病院などに囲まれてきました。酸を扱っていますので、今は土成第三工場に酸洗い伸線を持ってきています。
 
土成工場.JPGのサムネール画像
 
―― 自動車、家電、建設機械、ホビーと、幅広く展開していますね。
西 皆さん一緒だと思うのですが、大阪に近いこともあり、最初はほとんど電機でした。電機自体が海外で作られるようになってきたので、自然に自動車の比率を高めていきました。いろいろなことをやっていますが、現在、自動車関連が売り上げの70~80%です。
 
 
 
 
 
          土成工場全景
 
「創業の精神」に大切なものがあった
 
―― 社長自身は1998年に徳島に戻って入社されましたが、当時の会社はどのような感じでしたか。
 
西 会社がとても暗い雰囲気でした。挨拶もあまりしない、ごみが落ちている、自分たちが作った製品も落ちている、楽しくなさそうに仕事をしているという状態で、私が戻る1ヶ月前には重大事故もありました。こういう雰囲気だから事故が起きるのだろうと感じたし、私自身は東京で楽しく仕事をしていたので、考え方ひとつでどうにでもなるのになと思いました。
とりあえず挨拶運動をしたり、5S運動をしたりしました。何人かついてきてくれて、徐々に変わってはいきますが、本質的には良くならない。なかなか自分が描いたイメージどおりにならないので、きついですよね。もちろん反発する人もいましたから、朝早く来ようと言うとサービス残業だと言われたり、毎日5時3分にタイムカードを押して帰る人がいたり。
でも、何より私自身が精神的に追い込まれていて、夢の中でも「どうして分かってくれないの?」って思っていました。本質的に良くならない状況の中で、いろいろな良い企業を見たり、本を読んだりしました。
 
―― 2006年に「経営理念」を制定されました。
 
西 たまたま「盛和塾」に入って、稲盛さんの指導を仰いでいるなかで、あるとき腹に落ちたんです。「理念」がちゃんとしていなかった、一番重要な部分が欠けていたと。やっぱり「何のために」ということがちゃんと分かっていなかったら、やらされ感いっぱいになるだろうねと。それで1年かけて考えて「経営理念」を制定しました。
作ってからは、まず自分が実践しなくちゃいけないと思いました。僕の理念は何だろう、経営って何だろうと考え、社員の幸せを追求するのが経営だと思ったので、とにかく社員を好きになって、社員の幸せになることは何でもやろうと。それからは感性的な悩みは消えていきました。
理念の次には具体的なビジョンを作らなければいけないと思って、2009年に「経営ビジョン」を定めました。
 
―― 経営ビジョンで謳っている「ファインパーツ」とは?
 
西 ファイン(fine)には、優れているとか品質が良いという意味のほかに、小さい、繊細という意味もあるので、高精度、高品質、極小を表現しています。弊社で作っているナットは、1ミリから16ミリまでの小さいものです。そもそもの理由はかさばらないことなのですが、ナットは機能を持たせやすいとも聞いています。だから広がる可能性があるし、差別化もできると思います。
 
製品の写真.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
―― 同年末に制定された「行動指針」が、理念を最も具体化しているということでしょうか。
 
西 実はその下に、幼稚園生に言うような恥ずかしいものがあります。たとえば「誰にでも挨拶をする」とか、「はいと返事をする」とか、「いただきます、ごちそうさまをきちん言う」とか。人様にお見せするようなものでありませんが、社員手帳には「行動規範」として書いてあります。
 
 
    
 
 
            主要製品
 
 
―― 2010年には「創業の精神」を制定されました。一番最近ですが、なぜこの時期だったのでしょう。
 
西 私は会社のことを全然知らずに東京から戻って、その私が今社長をしているのですから、一度会社の歴史をひも解かなければいけないなと、ずっと思っていました。とにかく「前へ、前へ」ばかり考えていたのですが、このままではいつか大変なことになるだろうなと。不易流行ですよ。変えていかなければいけないものはいっぱいあるけれども、変えてはいけないものもある。父と2泊3日の合宿をして、「創業の精神」を作り上げました。作業としては父に思い出してもらうことばかりでしたけれどね。
 実はこれができてから、40年以上前の社是、社訓を捨てました。「良品を、より安く、より早く」って、今とは合わない。作れば売れるという大量生産の社是、社訓だったんです。「みんなで築く明るい職場」って、今は職場じゃない、僕たち地域を良くするんだよね、なんかちっちゃいよねって。違和感があったので。
 
―― 創業の時点で、普遍的な大切なことがあったということでしょうか。
 
西 「創業の精神」に、捨ててはいけないものがあったのです。これを大切にしていけば、これからも潰れることなくやっていけるだろうと。これが全ての根っこです。「創業の精神」と「経営理念」がセットでなければだめだと、そこからビジョンや戦略にいかないとだめなのだと思うんですよね。
 
 
毎朝50分の朝礼で「理念」を腹に落とす
 
―― 会社が変化していくと、合わない人もいたのではないでしょうか。
 
西 合わない人は辞めていきました。でもある人に、普通はもっと辞めるものだと言われました。
ただ今の今まで、いて欲しいと思う人はみんないてくれている。理念に合っている人がほとんどなので、思いが強くなっていきますよね。ベクトルは合っていると思います。
結果的にどういうことが起こるかというと、8時10分始業なのに、リーダークラスはみんな6時半までには会社に来ますし、一番遅い人でも7時半には来ています。早く来て何をするかというと、ミーティングをしたり掃除をしたりで、機械は動かしません。
 
―― なぜ自主的に早く来るようになったのでしょう。
 
西 仕組みですね。「役に立っている」感を出し、必要とされてうれしいと思えるような仕組みづくりです。一番効くのが「ミッションステートメント」です。自分は何のためにここで仕事をしているのかを、私が講師になって、2年間かけて勉強して作りあげました。自分が何のために生き、働いているのかということと、会社の理念が串刺しになっているのです。
 
―― 理念をきちんと理解してもらうためにどのようなことをしてきましたか。 
 
西 弊社には「西精工フィロソフィー」というものがあります。私から社員に毎日送ったメッセージと、それに対する返事の対話集で、200ページほどあります。対話の内容は、たとえば創業の精神の中の「大家族主義」とはこういうことだよと、朝6時15分ごろにメッセージを送る。パソコンを持っている社員が80人いますから、80人からその日のうちに返事がくる。そうですよねとか、こういう考えでいいんですかとかね。その80の返事を私が見て、次の朝にそれにつながるメッセージを送る。また80人から返事が来る。これをだいたい1週間ぐらい続けると、そのテーマについてみんなが納得して、次のテーマに移る。
一方的に言って終わりというのはよくあると思いますが、弊社がやってきたのは対話です。それを経営理念制定から3~4年続けました。まだ言葉が熟していませんが、あと3~4年したら製本できるかなと思っています。
今は、毎朝50分間、部署ごとに、自ら考える朝礼をしています。全体の連絡事項などが終わるとフィロソフィータイムです。「西精工フィロソフィー」を使って4~5人ずつのグループで話しをし、最後に各グループから一人が発表します。これで理念を腹に落としていきます。私は毎日いろいろな部署の朝礼に出て聞いていますが、あちこちで大笑いしていますよ。とにかく明るいことが重要。去年NHKが取材に来たときに朝礼を見て、笑っている朝礼を始めて見たと、カメラマンもディレクターも言っていました。
 
―― 朝礼はコミュニケーションスキルにも効果がありそうですね。 
 
西 何の役職もついていない若い女性でも、公の場で言葉を求められれば、それが突然でもきちんとしゃべります。見ている人は信じられないと言いますよ。経済産業省の方も、僕だってしゃべれないと言っていました。普段から考えて発言することを練習しているからできるのです。
 
 
時間内にできる製品の数だけが生産性ではない
 
―― 朝礼の間、機械は動いているのですが? 
 
西 自動化していない機械は止まっています。おそらくこれは、どこの会社も真似できないでしょう。会長や相談役は、「もう少し短くしたら」といいますよ。でも、雰囲気とかチームワークとか、勝手には良くならない。覚悟ですよ。
 生産管理の課長に聞いたら、むしろ生産性は上がっているそうです。自動化できる機械は社員が自主的に考えて自動化し始めました。会社がしなさいと言わなくてもね。チームワークがよくなるので、自然と他の人を手伝ったりすることもできるようになります。
「生産性」は何かというと、付加価値の生産性かなと思います。時間内にできてくる製品の数だけが生産性ではないんだなと。
 
―― 確かに雰囲気も明るいし、みなさん気持ちのいい挨拶をしてくださいますね。
 
西 挨拶をしたくなるような話、挨拶を続けていたらどんな奇跡が起こったかという話をしてあげるのです。
弊社に置いてある自動販売機にジュースを入れ替えに来てくれる人がいますが、彼が言っていました。「僕は徳島県内全部に行くけれども、社員全員が挨拶してくれるのはここだけ。だからここには来たい」と。石油会社の、オイルを入れ替えてくれる人も同じようなことを言って、「ここに就職したいんですけど募集していませんか」って。こういう話を社員に聞かせてあげるのです。うちの社員は、会社に入ってくる方は全員お客様だと思っていますから、見学の学生にも同じように挨拶しますよ。
 
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      本社屋                           社員の皆さんと一緒に
 
 
―― お客様の反応も、皆さんに伝えているのでしょうか。
 
西 お客様に褒められたことや叱られたことは、現場まで全員知っています。出張報告書も、以前は部課長しか見ていませんでしたが、今は全員見ています。結果、社員満足度調査をすると、お客様のことを理解しているかとか、会社方針を理解しているかなどのポイントが上がってきます。
昔は自分たちで作ったものが落ちていた。でも自分たちの作ったものが、誰に届いて誰が喜んでいるとか、誰が怒っているとかが分かったら、落としたままにはしておかなくなります。謝りに行くときは、現場の人も一緒に行くし、出張も営業と現場が一緒に行きます。お客様に会えば、現実は厳しいということも分かりますからね。
 
 
 
「給与以上のものをもらっている」
 
―― 勉強会をたくさん行っていると聞いています。
 
西 とても多いですね。企業内大学で、テーマによって私や社員が講師になって、勉強会を行います。みんな熱心に参加していますね。2012年には、勉強会の取り組みが評価されて「企業人材育成大賞」をいただきました。
 
―― 「小集団活動」も続けていますね。
 
西 昔はあまり根付いていなかったのですが、今は根付かせるような仕組みを作ってやっています。活動は、基本的には3ヶ月に1テーマで、毎月全体朝礼のあとで1グループが発表します。年末には5グループが発表して金賞、銀賞を決めています。
 
―― 「マイスター」制度もあるそうですね。
 
西 もうすぐ最初の認定ですが、制度の準備はずっと前からしていました。ネジ製造技術の知識と技術をテストし、機器保全関係の国家資格や、チームワークができる人間性などを総合的な人間力を見ます。今後も毎年数人を認定していく予定です。
 
―― 社員の評価はどのように行っていますか。
 
西 役割評価とスキル評価、それに成果を少し加味しています。成果は、新製品の数などは考慮しますが、売り上げ、利益は加味しません。売り上げ、利益を第一目標にしたら戦略が変わってしまいます。
役割表は、リーダシップとかチームワークとか、それぞれレベルが5まであります。スキル表は、営業ならここまでの見積もりができるとか、現場ならこの機械が一人で動かせるとか、ずらっと評価項目があります。その役割表とスキル表のポイントを足したら給料になる。単純明快です。さらに評価に対する「物言い」が社長に対してできますから、他の会社に比べると評価に対する不満が極端に少ないです。スキル表は張り出していますし、他の人の評価も分かります。
 
―― 自分の評価が他の人に見られることには、抵抗を感じるのではありませんか。
 
西 教育があるという前提ですから、あまりそういう話にはなりませんね。どちらかというと、あの人のようになりたいというほうが強いのだと思います。上を見て、もっとこうなりたいという方向に使ってくれています。
 
―― 社員満足度調査を行っているそうですが。
 
西 かなり徹底的にやっています。「総合的に考えると当社の社員として満足しているか」という質問があるのですが、「非常にそう思う」、「そう思う」を足すと95.9%です。
見学に来られる団体や会社があると、私も話しますが、社員にも話してもらいます。社員が話をすると私自身も勉強になることがあります。先日は、来訪者から「給与について満足していますか」という質問がありました。対応した社員は、「高いか低いかといったらよく分からないが、給与以上のものをもらっている、ほかの会社ではもらえないものをもらっているので満足している」と答えていました。
やはり、いろいろな「仕組み」のおかげだと思います。あとは、私の言葉を噛み砕いて実践してくれる、係長クラスのおかげです。
 
 
 
社会貢献は利益が出ないときでもやる
 
―― 地域の活動にも熱心に取り組んでいますね。
 
西 経営理念を作ってから、それを血肉化しなければいけないので、ご近所のお掃除を毎日30分やっています。
弊社には、社内イベントを主催する「C&C」というチームがあります。徳島マラソン、年に1回のバザー、年2回の全員でやる清掃やバーベキューなどを仕切ってくれる人たちで、毎年メンバーが代わります。リーダーには、一番向いていなさそうな人を選んでいたのですが、今は素晴らしいはたらきをしてくれています。
 
―― なぜ社会貢献なのでしょう。
 
西 私は徳島が嫌いで、こんな田舎はイヤだと思って東京に行ったので、その反動でしょうね。東京で17年間楽しく過ごして帰ってきたとき、こんなことをしていたら僕はきっと不幸になるなと思いました。地域に感謝して、ちゃんと返していかなければいけないという思いです。
 私はいろいろな会社を見に行きましたが、いい会社、社員がいきいき働いている会社は、仕事以外にものすごく社会貢献をしているのです。見学先で「儲かったらするのではない、同時にするんだ。利益が出てないときでもやるんだ」と言われて、ガツンときたことがあります。社員旅行だって、儲かったからじゃない、大切だと思うからやるんだと。利益が出たから貢献をするのではなくて、同時にやらないといけないのです。災害時の義援金なども、どこかの部署がやりたいと手をあげると、みんなが協力します。
 
―― 定年後の雇用や障がい者雇用にも取り組んでいますね。
 
西 定年後は本人の希望があれば、1年契約で再雇用します。現在社員の平均年齢は39歳ぐらいで、67歳という方もいます。
障がい者は、毎年一人ずつ入ってきていますが、おかげで雰囲気が良くなります。難しい勉強会にも、知的障害を持っている人もまわりがフォローしながら一緒に参加します。障がい者の数、パーセンテージも大切かもしれませんが、弊社は「10分の10」を目指したいのです。雇った人が、全員幸せと思えるようにしたい。いる人が幸せでなければ意味がないので、急激には数を増やそうとは思いません。なぜならとても時間がかかるからです。まわりがフォローする、フォローしているまわりが一番成長させてもらうという、良い循環にしたいからです。
 
―― 子育て支援の「くるみんマーク」も取得しています。
 
西 育児休暇の社員がいると、休暇の間はまわりの社員が埋めてくれるので、100%職場に復帰します。最近は男性も育児休暇をとるようになってきました。
 
―― このように人を大切にする経営が第三者にも評価されていますね。
 
西 私たちの会社は四国でどのくらいのレベルにいるんだろうねと、2012年、「第1回 四国でいちばん大切にしたい会社大賞」に応募し、「中小企業基盤整備機構 四国支部長賞」に選ばれました。
 先ほどメールで、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の「中小企業庁長官賞」を受賞したと連絡をもらいました。「四国」には応募しましたが、「日本」はおこがましいと思って応募するつもりはなかったのですが、法政大学大学院の坂本(坂本光司教授)ゼミの方が勉強しにきて、私の講演と工場を見て推薦してくれました。坂本教授は「日本でいちばん大切にしたい会社」という本を3冊出版しておられて、良い会社を紹介しています。私たちも11冊目ぐらいに載ったらいいねと話していたんですよ。
 
 
3月22日に行われた、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」表彰式の様子
 
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強みを伸ばすように投資する
 
―― 製品の種類は増加の傾向でしょうか。
 
西 私が戻ってからは、むしろやめたことのほうが多いです。もともとベアリングの仕事が2割強あったのですが、今は多少残っているだけです。お客様が喜んで買ってくれていない、お客様がビジョンを持っていないのです。お客様が嫌々やっているのに、うちの社員に作ってもらうわけにはいきません。
 
―― 設備投資についてはいかがですか。
 
西 工場については、今後も15ヵ年計画でいろいろなことを考えています。本社工場は築40年で、補強はしていますが、つぎはぎの状態なので環境として働きにくい。最終的には、本社はネジ立てと物流ぐらいになるかなと考えています。
機械は、昔はキャパが足りないと買っていました。今でもそういう風潮はありますが、「強み」かどうかで買いなさいと言っています。うちの会社がそこが得意で、そこを伸ばしたいというのであれば買いなさい、売りたいというものに絞ってやっていきなさいと。ナイロンナットのかしめ機は自分たちで作りました。
 
―― 得意なこと、強みは何だと思いますか。
 
西 機能性ナットでしょうね。ゆるみどめとかかしめ系とかインサート系などの特殊ナットです。特殊素材も得意です。たとえば、ベア鋼をフォーマーで打てるのは強みですね。真似をしたら機械が壊れます。経験があるからできることです。ベアリングの仕事をしていたので、自然と強みになっていきました。
 
―― 販路の拡大、海外進出についてはどのようにお考えですか。
 
西 弊社の製品は、お客様を通じて海外で使われています。ですから営業は海外にも出向きますが、海外に工場を建てるなどは、まったく考えていません。販路は展示会などで広げたいという気持ちはありますが、まず今のお客様を大事にすることが前提ですね。
 
―― 今後の事業展開についてお聞かせください。
 
西 まずは目の前のものづくりをしっかり守っていかなければいけないと思います。何か特別なことをするのではなく基本をしっかり守っていくということです。
 製品については、コストダウン、コストダウンで作るような製品はやめていくと思います。お互いイヤですからね。お客様が利益を取れるようにしていきたいです。それから、今後は一緒にやっていけるビジネスパートナーを広げていきたいですね。それぞれにそこでしか出来ない技術を持っていたら、それを組み合わせれば、たいがい真似できないものになると思います。
 
 
誰にも負けない努力をする
 
―― 社長ご自身についてお聞きします。どんな学生時代でしたか。
 
西 ラグビーをずっとやっていて、高校生のときは花園にも行きました。同志社大学にはラグビーで行かれるラインがあったので、花園で1回戦に勝ったら同志社でいいかなと思っていました。でも、1回戦で55対3で負けちゃったんです。これは大学でラグビーできるレベルではないよねと思って、素直に浪人して、東京に行きました。徳島から東京に行ったら、めちゃくちゃ楽しいじゃないですか。僕があこがれている世界って、音楽と映画なんですよ。東京なら毎日、どこかで映画やっているし、コンサートもあるし、浪人生なのに居酒屋でバイトして、お酒代と映画代を稼いでいました。そんな生活をしていたので案の定、二浪ですよ。大学は神奈川大学に行きました。
浪人1年目は浪人ハウスみたいなぼろぼろのところでしたが、それでも楽しかったですね。2年目は一人暮らしで、これがまた楽しくてね。でも、今でも3月ごろになると「世界史が間に合わない!」って、夢を見ますよ。ラグビーをやっている夢と浪人の夢は今でも見ますね。
 
―― 卒業後はどのような仕事に就きましたか。
 
西 広告代理店に入って11年間、営業をしていました。好きな映画とか音楽にも関われましたし、割とイメージどおりの仕事をしていました。
 
―― 徳島に戻られたきっかけは何でしょう。
 
西 次男輝行の息子、私のいとこが亡くなったことです。そのころ、私はあまりものづくりを自分がするというイメージがなかったのです。親はいずれ帰ってこいと言っていましたが、私は三男の息子ですから、帰りたくないなと思っていました。
 家で何を作っているのかもよく知りませんでしたね。ベアリングと割ピンを作っているらしいことだけ知っていました。食品などを送ってくれる段ボール箱に「割ピン」と書いてあったので、これを作っているんだろうな、何に使うんだろうなと。ベアリングも全部作っていると思っていたので、部品しか作っていないことは、会社に入ってから知りました。
 
―― 帰ってくるように言われたときはどう思いましたか。
 
西 運命かなと思いました。これに従わなかったら大変なことになる、それまで好き勝手なことをしてきたので、ここは帰らないといけないなと。
 楽しくやっていた営業の仕事も11年も経つと、今度は管理職で数字ばかりですよ。どんな仕事も現場が楽しいじゃないですか。辞めるにはいい機会かなというのもありました。それで戻ってきたのが1998年、ちょうど10年後の2008年に社長になりました。
 よく最近、「なんでそこまでやるんですか」と言われるのですが、それは昔、悪かったからです。親の気持ちも考えずにね。親がいきなり浪人の時の部屋に来て私の生活を見たときに、「あなた!いったい自分が何か分かってるんですか!」って言われたのを、今でも覚えています。そんな人間がいきなり経営者になるのですから、考え方や行動を律しないと社員さんはついてきてくれません。
 
―― 座右の銘は?
 
西 「誰にも負けない努力をする」です。盛和塾の稲盛さんの「稲盛経営12ヶ条」のうちの一つです。
 
―― 趣味は?
 
西 体を動かすこと。とにかくじっとしているのが大嫌いです。先日も17年ぶりにスキーをしました。ラグビーは年末に1回やりましたが、死にそうでしたね。1度だけ本気でタックルに行ったのですが、吹っ飛びました。
フルマラソンはずっとやっています。今年は2回走ります。2月には海部川風流マラソンを走りました。
会社でも毎年徳島マラソンに出ます。最初参加した社員は8人でしたが、今では80人も走りますよ。
 
―― 最後に協会に対するご意見、ご要望をお聞かせください。
 
 
西 協会の理念とか指針が欲しいですね。分科会とか委員会、教育などがありますが、それぞれに良くなっても、ものづくりを残そうというところで繋がらないのではないかと思います。基本的に日本のものづくりをこうしたい、今年の方針はこうするというのがあって、そこに活動があるという風にしたいですね。
 
―― 貴重なお話をありがとうございました。
 
 
 
 
 
西精工株式会社 ホームページ: http://www.nishi-seiko.co.jp/
 
――――――――――
【会社概要】
 
創業      1923年4月 (西製作所)
設立      1960年8月 (西精工株式会社)
代表者     代表取締役社長 西 泰宏
資本金     3000万円
売上高     48億6000万円 (平成24年7月期)
従業員数   238名 (2013年3月時点、同4月8名入社予定)
事業内容   ナット類を中心としたファインパーツの製造・販売
所在地 本社:〒770-0005 徳島市南矢三町1丁目11-4
石井工場  :〒779-3233 徳島県名西郡石井町石井字石井398-4
土成工場  :〒771-1506 徳島県阿波市土成町土成字大法寺240-3
 
 
 
創業の精神
 
一.人間尊重の精神
○ 人間尊重の経営で、人と人とのふれあいと絆を大切にした、明るく活気のある会社を創りたい。
一.お役立ちの精神
○ 独自の技術開発力とサービスで、カスタマイズされた製品を提供し、お客様の価値を創造したい。
一.相互信頼関係の精神
○ お客様とお取引先との信頼関係を丁寧に築きあげて、相互繁栄をはかりたい。
一.堅実経営の精神
○ 身の丈に合った堅実経営で、会社を末長く存続・発展させて、地域社会に貢献したい。
一.家族愛の精神
○ 社員は一番大事な家族と一緒、大家族主義で社員の幸せを追求したい。
 
 
経営理念
 
 「ものづくりを通じてみんなが物心共に豊かになり人々の幸福・社会の発展に貢献すること」
不断の努力を重ね常にお客様に喜ばれる製品やサービスを開発し市場に供給することを通じ社会に貢献していきます
経済的な安定や豊かさだけでなく自己の成長を通じて生きがいや働きがいといった「心の豊かさ」を求めていきます
 
 
経営ビジョン
 
人づくりを基点に徳島から世界へファインパーツの極みを発信する
 
行動指針
一生懸命働くこと、
感謝の心を忘れないこと、
善き思い・正しい行いに努めること、
素直な反省心でいつも自分を律すること、
日々の暮らしの中で心を磨き、
人格を高め続けること
――――――――――
 
 
今回取材にあたった未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループの皆さん
 
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左から 池田夏来さん、勝亦良彰さん、
西泰宏社長を挟んで、川端康弘さん、中江良一さん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
取材の様子
 
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                                       記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子
 
 
 
 
 
株式会社イチヤナギ 代表取締役社長 一柳 達朗 氏
2012年11月12日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

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「対談 トップ聞く」                

         

  株式会社イチヤナギ 代表取締役社長 一柳 達朗 氏

 聞き手 未来開発・パブリシティ委員会 

    副委員長 高須 俊行

  

 
<会社の沿革>

1.1931年(昭和6年)に創業されていますが、創業者のこと、創業理念などあれば、それをまじえて
  創業の目的、経緯、当時の製品及び会社規模等、創業の頃のことについてお聞かせ下さい。
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創業者 一柳 乙蔵(おとぞう) 氏

初代社長、一柳乙蔵おとぞうは「常々革新の精神を忘れるな」「責任ある行動をとれ」と
言っていたそうです。さらに「品質で逃げてはならない」とも言っていたそうです。
「これぐらいならいいだろう」と言う考えが少しでも出た時、革新の目はにぶり、
安かろう悪かろうの安易な道へ逃げ込むことになるのだと。それは品質ばかりで
なく納期意識にも、またあらゆる点でもルーズになるものだと考えていたそうです。
仕事をするには「革新の精神」、「責任ある行動」「品質意識」がすべての基本であり、
これらをもって仕事に立ち向かう時、最後には必ずや良い結果に結実すると確信して
います。 (当時の会社パンフレットから抜粋)

  創業は昭和6年。当時は一柳乙蔵が東京・月島に個人経営でボルト・ナット・リベットの製造を開始しました。
昭和23年に個人経営から株式会社に発展。他社に先駆けて高温高圧用ボルト・ナットの国産化に踏み切りました。
そして、高力ボルトもいち早く製作しました。

 製造品目としては、

   ・異型特殊ナット:シューナット、コーンナット、六角ハイナット、六角ハイナット(ミドルエッジ)、
     四角ハイナットなど
   ・規格ナット:六角ナット、ヘビーナットなど
   ・フランジボルト:高温高圧用、低温用など
   ・摩擦接合用高力ボルト:ハイテンションボルト
   ・特殊ボルト:六角頭キャップスクリュー、サラ頭キャップスクリュー、六角穴付き
            キャップスクリュー、四角頭ボルト、サラボルト、キャレージボルト、
            ステップボルト、プロウボルト、ラグボルト、 トラックシューボルトなど
   ・規格ボルト:中六角ボルト、並六角ボルト、ヘビイボルトなど
   ・基礎ボルト:L型アンカー、J型アンカーなど、多岐にわたりました。

2.1960年(昭和35年)に現在の場所に新工場を建設して東京工場を統合されましたが、その経緯及び背景について
  お聞かせ下さい。また、我が国初となる熱間ナット生産設備も導入されて、北米への輸出を開始されますが、
  当時の事について、その経緯及び背景並びに状況等についてお聞かせ下さい。
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 現本社工場(埼玉県入間市)

 当時月島に工場が有りましたが、周りに住宅街が出来始め、
仕事をして行くのに騒音などの問題を考慮して当社も
移転した方が良いと考え、現在の場所に引っ越しをしたと
聞いています。現在の地区には弊社が一番最初に進出しました。
戦時中はこの工業団地の場所は飛行場だったと聞き、
昭和35年当時はこの辺も何も無いだだっ広い野原だったそうです。
ですから当時は工業団地ではなかったと聞いています。
弊社が工場を建設した後に色々な会社が移ってきて、
 工業団地が出来上がったと聞いています。


 3.1971(昭和46)年にナットの専門工場を建設され、特殊ナット生産に傾注され、その後ボルト生産を中止されますが、
その経緯及び背景についてお聞かせ下さい。 

当時ボルトを作る職人さんが何人もいて、技術の伝承などもしてきましたが、なかなか若い人が育たず
辞めてしまいました。ベテランも定年を迎えると辞めて行き、上手く引き継がれなかったようです。それで自動で機械が
物を作るナットへ目を付け、ナット専門工場にしていったと聞いています。
 

 4.1987(昭和62)年以降、販売会社を設立されるなど、様々な改革を進めて乗用車・トラック向けにナット製品を
    展開されますが、その当時の経緯及び背景並びにその内容等についてお聞かせ下さい。

 4輸出を行っていた頃の取引先様であったカナダ アーネストマシン様(中)初代社長 一柳乙蔵(左)と現会長.jpg                                                             
← 輸出を行っていた頃の取引先様であった
カナダ アーネストマシン様(中)、初代社長 一柳乙蔵(左)と
現会長 一柳芳彦(右)<昭和40年代>

 以前はアメリカやカナダなどへの輸出が80%を占めていましたが、
客先が発注先を韓国や台湾に変えつつありました。
このままではやって行けないと考え、海外とは別に国内向けの
販売を別組織でやろうと考え、販売会社を設立しました。
当初JIS規格品を多く製造していましたが、JIS規格品は単価の面で
関西に押され始め、規格品から図面物に特化していきました。
 

 5.貴社の主力製品であるスカートナットの製品開発に纏わる経緯及び背景、苦労話等についてお聞かせ下さい。

 5スカートナット.jpg                                                                 
スカートナット

このナットの原理は、神奈川大学工学部の名誉教授だった
宮田忠治先生が考案された物で、その原理をゆるみ止めナットとして
製品化したのが弊社です。
 当時、弊社の主要取引先の社長様から宮田先生を弊社社長(現会長)
にご紹介を受けたのが切っ掛けで、宮田先生の考案された原理に社長が
とても共感し「是非当社でやらせて下さい」と話しを持ちかけたのが始まりと
聞いています。宮田先生も造ってくれるメーカーを探していたとの事でした
ので意気投合したようです。
その後は、取引先が自動車向けナットを販売している商社が多く、売り込み活動に力を入れながら展示会等などに
毎年出品し、宣伝活動を行いました。結果、一部自動車には採用されたもののサイズが小さな物が多く売上もあまり
伸びないようでした。
そこで、当時からスカートナットの販売を任されていた現取締役営業部長の田中がJR様に使用して頂けないだろうかと
考えたそうです。
JR様では新幹線のレール締結にゆるみ止めナットが使用されつつあるとの情報を掴みましたが、直接JR様に
営業活動を行うには取引実績(口座)が無いと出来ないとの事。そこで、色々な情報からJR様と取引のある会社を
窓口に出来、スカートナットのPR活動が始まりますが、JR様への営業活動及び納入決定までの道のりは並大抵のものでは
なかったそうです。

  ~開業以来死傷事故はゼロを継続している新幹線への採用への厳しい道のり~

まず、JR様に採用されるには鉄道総合研究所での実用評価試験を受けるのが第一条件で、その試験にパスして
お墨付きを頂けなければ、採用を検討して頂ける為の土俵に上がれません。また、当時は他社のゆるみ止めナットを
主に採用されており、後発のスカートナットは説明すら聞いてもらうのも難しく、なかなか大変だったようです。
担当者様に説明し、興味を持って貰っても部署異動があり、後任の方にまた一から説明するという事も何度も
有ったようです。
しかし、粘り強く代理店様と全国のJR様の各保線区や支店、鉄道運輸機構様を訪問、説明・営業活動を行い、
7年掛かりでようやくJR様に採用されたと田中部長より聞いています。
 

6.これまでの設備投資に加えて、さらなるハテバー社製の熱間ナット生産設備の導入など、
  貴社の熱間製造へ の拘り・思い入れ等についてお聞かせ下さい。

昔はナショナルの冷間ナットフォーマーやマルメデイなどのボルトフォーマーも設備として有ったようですが、
特殊形状ナットに移行するのにあたり、特殊形状が得意なハテバー社製のAMPだけに絞る事にしたようです。
日本第一号機であるスイスにあるハテバー社製のAMP30もだいぶ古くなってきて、新規設備を考えた時も
他社メーカーから色々と売り込みが有ったようです。 しかし他社メーカーの物を設備し、一から使用方法を
習得するよりも、今までやってきたハテバー社製のAMPの方が使い勝手も良いし仕組みも分かっているので良いとなり、
平成16年12月に最新式AMP30Sを導入しました。この最新式AMP30Sも日本では第一号の導入になりました。 

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                    熱間鍛造機 ハテバー社製  AMP30S 

7.その後の貴社の沿革等について、特に社長が入社以降関係した技術・製品開発・生産・設備投資等への携わり
  並びに社長就任後の貴社の主な動き、事業展開等について社長の思い入れや将来展望などもまじえて
  お聞かせ下さい。 
 

入社後に関係した新規技術や製品開発などは特に有りませんが、私が平成16年8月㈱イチヤナギに入社し、
同年12月に最新式のAMP30Sが導入されました。導入前には導入プロジェクトリーダーとして、現場の製造リーダーと
オペレーターを連れてスイスハテバー社へトレーニングに行きました。
新規設備としては、その他にナット洗浄機やNC工作機械2台、ナット検査機の導入などを行いました。
我々の製造しているナット(ブランク及び完成品)は、最終的にはホンダ様や富士重工業様、いすゞ自動車様、
日野自動車様等への納入が多いのですが、当時は少なかった富士重工業様向けの仕事もここ数年で増えてきました。
また、弊社で製造している新ゆるみ止め「スカートナット」もJR東北新幹線の新線(新青森~八戸間)や九州新幹線の
新線(博多~新八代間)のレールを止めるナットとして採用になり、両社合わせて約140万個の受注を頂き納品させて
頂きました。
また、建築関係では建物の目隠しなどに使われるルーバーと言われる場所にスカートナットが採用になり
毎年50万個~70万個の受注を頂いています。
今後はJR様にも更に力を入れ東北新幹線の在来線や北陸新幹線、北海道新幹線、地下鉄、私鉄など色々な所で
スカートナットを採用して頂けるように営業活動を実施していきます。
 

   <会社の概況>
8.資本金及び従業員数の推移をお聞かせ下さい。
   資本金 4500万円
   従業員:58名(パート・シルバーを含む)

9.生産品目・製品の種類・特長、生産量・構成比、市場シェアの高い製品、特許製品等など、
  貴社の特長 ・得意分野(宣伝も多いに結構です)等をお聞かせ下さい。

    生産品目・製品の種類:特殊形状熱間鍛造ナット(ブランク及び完成品)、
                                          新ゆるみ止め「スカートナット」
   特  長:切削レス品が多い
   生産量・構成比:220トン前後/月産、社内生産ナット100%
   市場シェア:ホンダ45%、富士重工業10%、いすゞ10%、日野10%、その他35%
   特  徴:全て図面物の受注生産品。JIS規格の物は製造していません。
   得意分野:切削レスナット7熱間鍛造(ブランク)品.jpg

                    熱間鍛造(ブランク)品 

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                    熱間鍛造品(メッキ品) 

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                    熱間鍛造品(加工品)

10.工場の規模と主な機械・設備、とくに特徴ある自慢の機械設備や自社開発設備等、そして
    社長の設備投資に 関する お考えについても、お聞かせ下さい。
    また熱処理・メッキ・工具等への拘りについてもお聞かせ下さい。

    【保有設備】
   熱間鍛造機 4台             アムスラー引張試験機
   熱処理炉ショットブラスト機 2台    ショアー衝撃試験機
   タッピングマシン 17台          マイクロビッカーズ
   NC旋盤 5台               ロックウェル硬さ試験機
   放電加工機                NAS式高速ネジ緩み試験機
   細穴放電加工機          
   汎用旋盤 5台
   フライス盤

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                          ショットブラスト機 

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                          焼き戻し炉 

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                          タッピングマシン

 11.製品の販売・納入先(需要先)は・・・。海外への輸出等についてもあれば・・・?
 

先にも申し上げましたが、最終ユーザーのメインはホンダ様です。その他、富士重工業様、
いすゞ自動車様、日野自動車様、トヨタ自動車様、日産自動車様、三菱ふそうバス・トラック様、
建築関係、JR東日本様・JR九州様などが有ります。
弊社の新ゆるみ止め「スカートナット」は東北新幹線の新線(八戸-新青森間)や九州新幹線の新線(博多-新八代間)の
レールを止めるナットに採用され、合計で約140万個の受注を頂き納品させて頂きました。
海外への輸出は行っておりません。 
 

12.直近の業績について。売上高、利益、操業度等についてお聞かせ下さい。 

   昨年度の売上:8億円
   利益:少々

13.主な材料の使用量についてお聞かせ下さい。材料価格の高騰・材料調達難等への
    対応についてお聞かせ下さい。
 

材料としては、SS材、SC材、SCM材を主に使用しております。毎月220t前後の材料を使用しております。アルミ、チタン、
ステンレス材などは社内では製造しておりませんが、ステンレスや小さいサイズのスカートナットは協力会社に
お願いしております。
現在は各材料メーカーへの材料値下げ交渉に苦労しています。
 

  <経営・生産・研究開発・製品開発・品質管理等>
 

14.経営方針・経営管理、特長などについてお聞かせ下さい。
 

弊社には「経営計画書」と言うものがあります。ここには社訓や経営理念、行動指針や社長の思い、会社の考え方、部の
方向性などが書かれており、毎日各部の朝礼では社員に1ページずつ読んで貰っています。
毎年これを更新して年度末に経営計画発表会を行い社長の思いや会社の考え方、各部の方針などを発表し啓蒙しています。

 15.品質管理、製品の品質保証環、環境マネジメントシステムへの対応についてお聞かせ下さい。
     (JIS表示許可、ISO9000シリーズ認証、ISO14000シリーズ認証 等) 

 ISO9001・2008年度版、ISO14001・2004年度版取得、現在JIS規格品は製造しておりませんのでJISマークは返還しました。


16.貴社の研究開発・製品開発・特許等への取組みについてお聞かせ下さい。

    現在お話し出来ません。
 

  <今後の計画・将来の展望について>
 

17.新たな 設備投資、海外展開、事業展開、新分野への進出等 今後の計画、
    将来の展望についてお聞かせ下さい。
    また、今後、特に会社として伸ばしたいところ、力を入れていきたいところなどあれば・・・。
 

  現事務所や厚生棟が大分古くなってきましたので、将来的には新社屋を建てたいと思っています。
また、海外展開は今の所考えていません。輸出は現在行っておりませんが、グローバル化が進む昨今、視野に入れて
行かなければならないと考えています。 
また、JRや東日本大震災に関連する復興需要、太陽光発電、風力発電なども係って行ければと思っています。
 

 18.今後の事業継承につきまして、既に受け継がれた経験をうけて、今後どのような事業継承を
          お考えか、 差し支えな い程度に お教えください。
 

 2年前(2010年7月)に現会長から社長業を引き継ぎました。2年前は役員改選も有りました。
また、当時父も72歳、そして常務取締役も62歳でありこのままズルズル延ばしてもこの先どうなるか分かりませんし、
父が身体を壊してから5年が経っていました。
 色々な諸先輩方のアドバイスも有り、まだ父が現役で会社に来ている時に引き継いだ方が色々と分からない事も
聞けますし、良い時期だと決断し代表を引き継ぎました。常務取締役も一緒に引退し現在は技術顧問として携わって
頂いています。 
まずは現会長とは違う自分の思いや考えを出して行き会社を継続・繁栄・発展させて行かなければならないと
考えています。これがまたなかなか難しいです。 そして将来的には息子に事業継承できれば幸いだと思っています。
 

  <社長ご自身について>

19.社長のご経歴(生年月日、出身地、学歴、入社年月日、社長就任までの役職等)。
        社長ご就任の経緯等。またその時の新社長としての抱負・方針等・・・。 
 
    生年月日:昭和50年(1975年)10月20日生まれ
    出 身 地:東京都三鷹市
    最終学歴:北海学園北見大学商学部商学科(現:北海商科大学)卒業
    略  歴:大学卒業後、㈱タカシマ(東京都葛飾区)入社、5年半修行した後、
                    独立行政法人中小企業基盤整備機構、中小企業大学校東京校
          (東京都東大和市)にて経営後継者コースを受講(10ヵ月間)。
          平成16年8月、㈱イチヤナギ入社。
          入社後は営業部に席を置きながら各現場を経験する為に工場長付。
          製造部(AMP)で機械に付き製品製造。その後、熱処理、ショット、タッピング、
          工具製作などに携わる。
          営業部、総務部を経て、2010年7月に現会長から代表取締役社長を引き継ぐ。  
                   役職歴:工場長付け → 営業部リーダー → 総務部(役なし) → 総務部長
                         → 取締役総務部長 → 取締役 → 代表取締役社長

13一柳達朗社長(左)、一柳芳彦会長(右).jpg

                            一柳達朗社長(左)、一柳芳彦会長(右)

 ◎  新社長としての抱負

会社をやって行くのに当たり、自分の思いを社員に伝えていくことが大切だと思います。

弊社は熱間鍛造という方法で自動車用、トラック用の重要保安部品ナットを製造しております。
熱間鍛造ナットにおいて「イチヤナギは一流だ」とお客様や業界からも言われるような会社にしていきたいと思います。
また、弊社が手掛けている新ゆるみ止め「スカートナット」を拡販していき、より多くのユーザー様に使って頂きお客様の
繁栄・発展に寄与出来れば幸いと考えています。その為には会社を繁栄・発展・永続させて行かなければなりません。
ここ埼玉県入間市で仕事をしている限り地域に密着し貢献し利益を出し納税する。地元、周辺地域の人を採用し
雇用を生み出す。そして社員やパートさんが働きやすい環境を作る事が大切だと考えています。

そして世間からいい会社だ、いい社員だと言われここで働いていて良かった、と働く喜びを実感できる会社に
なる
ように全員一丸となって努力し頑張って行きたいと思います。
 

20.座右の銘、日頃心掛けていること、趣味など・・・
 

座右の銘は「常に謙虚であれ」です。毎日毎日が勉強です。社長としてもまだまだスタートしたばかりです。
自分に足りない物は何か?自分に何か吸収出来るモノ、事は何かあるか?会社に取り入れられるものは
何かないか?を常に考え色々な人の意見に耳を傾けています。 そして会社の社員さんやパートさんが仕事をするに
当たり、やりやすい方法や仕組み、環境作りにはどうしたら良いか?などを考えています。
自動車、トラック部品を数多く製造している関係でメーカーの動向は気になります。
将来的に自動車やトラックが無くなる事は有りませんが、エンジン車が無くなり全てが電気自動車になってしまったら
我々は何を提供できるのか?どの様なサービスが提供できるか?日々探求しています。
新分野への取り組みも進めていますが、更に必要になってくると思います。

また、人生の目標としては「人生の成功者!勝利者になる!」です。一企業の社長として会社が繁栄・発展・永続して
行けばここで働く社員やパートさんの笑顔やその家族の笑顔も増えていくと思います。そして社会貢献、地域貢献できれば
地域住民の笑顔も増えていくと思います。こうなった時、自分の人生は成功した!勝利した!と思えるのではないかと
考えています。

  【趣 味】

趣味の一つとしてはスポーツをやっています。スキーにゴルフ、テニスなどです。

スキーは小学校6年生の時に初めて行き、大学ではスキー部に所属していました。
以後毎年スキーには行っていますが、ここ2~3年は妻の出産等も重なりなかなか雪山には行けていないのが現状です。
テニスも同様です。

ゴルフはまだまだ初中級者ですが迷惑が掛からない程度に嗜みます。子供がもう少し大きくなったら雪山にも連れて行こうと
思っています。

また、プロ野球やメジャーリーグが好きなので関連の物を集めたりします。
妻には「ちゃんと整理して片付けてね!」と言われます。少しずつ見やすい様に分かりやすい様に整理もして行かないと
いけませんね(笑)。

  【社 訓】

 誠 実 ・・・ 素直な心と前向きな姿勢
 感 動 ・・・ 感即動、感動を伴った仕事
 感 謝 ・・・ 心をこめて「有難う」

 【経営理念】

 社会に役立つ「本物」を提供する

1.そのために、優れた品質と独自性を発揮します
2.お客様の立場に立って、柔軟に対応できる会社であり社員でありたい。
  奇をてらうことはせず、信頼感を大切 にします。
3.そして、世間から、いい会社だ、いい社員だと言われ、ここで働いていて良かった、と実感できる
  会社に なるよう、 全員一丸となって努力します。

  【我社の行動指針】

1.先を読んだ行動・・まず手順優先順位を考え行動する。命令無くとも自分で考え行動し、
              自分で評価。 その為に 5分前行動を実践する。
2.すぐ実行・・・・・良いと思ったことはすぐ実行。悪いと思った事は即刻やめる。
3.スピード・・・・・速い行動が成功の近道。指示は的確に、行動は迅速に。
4.必ず、確認、そして報告・・・報告、連絡、相談を的確に。悪い報告ほど早く知らせる。
5.答場現場に・・・・現場に行って共に考える。答えはお客様の所にある。
6.協力し合う・・・・仕事は協働(システム)で行う。AMP(注)の当番制は我社の重要なシステム。
7.プラス思考・・・・出来ない理由より、出来る工夫を。
           「無理」「できない」と考えた時、思考は停止する。
 

 (注)㈱イチヤナギで使用しているスイスハテバー社製の熱間ナットホーマー
    (AMP30S、AMP30、AMP20、NA20の4台)

このAMP鍛造機は、基本的には製造部AMPオペレーターが動かしますが、他部署の従業員もこの機械を動かせる
ようになる為に、弊社にはAMP当番(手伝い)というシフトがあります。お昼の休憩時間や15時の休憩、そして
残業時間等に入り機械を動かします。
製品チェックや寸法チェック、周りの準備や片付け、箱の移動に伝票の記入、材料バラしなど色々と行います。
 初歩的な機械の動かし方は出来るようになります。とは言え、毎日機械についているオペレーターとは違い、
2~3週間に1度位の割合で当番が回って来るため、細かい型の調整、型組み、メンテナンスなどは行えない。

株式会社 杉浦製作所  
2012年09月04日    カテゴリ:01.「トップに聞く」 

代表取締役社長 杉浦 明博氏 

杉浦製作所-01.jpgのサムネール画像

 

杉浦 明博(すぎうら あきひろ)
1951(S26)年7 月17 日生まれ。1975(S50)年3 月日本大学経済学部産業経営学科卒。同年4 月トヨタ自動車工業株式会社(当時)に入社。1980(S55)年8 月に株式会社杉浦製作所に入社し取締役就任。1991(H3)年4 月同社専務取締役、2007(H19)年4 月同社取締役副社長、2008(H20)年4 月同社代表取締役社長就任。愛知県西尾市出身。

 

〔聞き手:副会長 椿 省一郎〕

 

──まずは会社の沿革についてお聞かせ下さい。

 当社の創業は昭和14 年に合名会社としてスタートしましたが、その前の昭和12 年に、杉浦 明治(現社長の祖父)が当社の前進となる個人企業を起こしました。そこに至るまでの経緯としては、昭和8 年頃、神主の次男坊であった祖父が、豊田自動織機(自動車部)宛てに、「自分は三河の人間ではあるが何か仕事をいただけないか」と手紙を直接書いたのが取引の始まりだと聞いています。手紙だけで何に興味を持っていただいたのかわかりませんが、一回合ってみようということになったようです。とても字が綺麗だったと言いますし、だぶん、当時、調質(熱処理)の温度調節に使用していた" にがり" やスラグの付いた汚れた製品の配送時に使用していた叺(かます)がこの三河が産地であったということもあったのだと思います。

 
──その頃既にねじを作られていたのでしょうか。
 
 神主ということで技術的なバックボーンはなにもありません。逆にこちらから何が出来るのか先方の調達の方にご相談したところ、一番簡単に出来るということでねじを紹介されたようです。それから2 ~ 3 年経過して、8 トントラック一台分の荷があったといいますから結構な取引量だったのだと思います。
 
 
──ナット専業になられたきっかけは何だったのでしょうか。
 
 昭和38 年 トヨタ(TOYOTA)パブリカ(UP10 型 800cc 空冷エンジン)のハブナットを作ってみないか? との話をいただいたのが始まりです。それまで、切削で加工していたハブナットを冷間で作ろうと当時日本ではとても珍しかった外国製の冷間圧造機(冷間フォーマー)を購入したようです。そして、その同じ年に熱処理設備も導入したと聞いています。
 
 
──凄い先見の目がありますね。
 
その時代に外国製冷間フォーマーを買うには外貨調達などとても大変な上、外国製品に対する心配もあって、その上それを使いこなせるのか非常に不安だったということで、一大決心だったと聞いています。
 
 
──それ以降ナット製品一筋ですよね。
 
 この名古屋地域ではナットに力を入れられる方がおいでにならなかったということも大きかったと思います。この先々代社長の杉浦博士(現社長の父親)の決断が大成功して、このトヨタ パブリカの量産に乗って当社の1 つの柱を作ることが出来ました。
 
 
" めねじ" への拘り
 
 
──やはりナットへの拘りは強いのでしょうか。
 
 ハブナットについては現在のトップシェアを持続できるよう努力していきます。さらに"めねじ(" 内側ねじ(スパイラル)があるもの)は全て杉浦製作所で受注していこうという考えはあります。
 
 
杉浦製作所-021.jpg
ハブナット
 
 
── " めねじ" ですか。
 
 これまで杉浦製作所が製造してきた製品は、標準ナット →(以降:から) 精密ナット→ めねじ → 内側にねじが切ってあるパーツへと時代に応じて変化してまいりました。今までは冷間圧造加工による" めねじ" があるものに拘って製造してまいりました。
 しかし" めねじ" がある太物製品への要求も出て来ると共に、リスク管理という点で温間加工、熱間加工にも対応しました。コスト削減という観点でもM18 以上の製品は全て熱間加工が出来るような体制を構築しています。さらに" めねじ" のある小物製品では最小M3 まで生産可能です。その他" めねじ" への拘りという点ではフォーマー加工製品だけではなくプレス加工による製造も可能となっています。また形状についてもパイプ材を使用して加工するなど、これまでの六角形の製品からの脱皮もはかっています。その上さらに、製品精度については、100 分の一の精度から1000 分の一の精度まで答えられるようになっています。
 特にターボエンジンに使用するねじでは大変な高精度が要求されます。超高速回転をするということから、精度の狂いによってその時のエンジン音が全く変わってしまうということのようです。ちなみに超高速回転する部品形状のバランスについては、正六角形より正12 角形の方がバランスは良いということです。 
 
 
杉浦製作所-022.jpg
冷間圧造部品
 
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熱間圧造部品
 
杉浦製作所-032.jpg
温間圧造部品
 
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ターボ用精密ナット
 
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M60ナット(最大)
 
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M40ナット
 
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M3ナット(最小)
 
 
──世界的に見ても競業他社はあると思いますが" めねじ" に関しては他者の追随は絶対許さないという自信が感じられますね。
 
 杉浦製作所は、自動車産業用向けという非常に高度で厳しい要求(要望)に答え続けてき
ており、リアルタイムで世界の自動車産業を支えているという自負があります。ここまでこられたのは、これまでに培ってきた経験やそれにより蓄積されてきた技術力に支えられて自動車産業と供に進んでこられたからだと思います。特にワッシャーに対する技術的な拘りや製品特許などを活用して、製品の開発・製造について常に提案型で対応してきたという自信があります。そのおかげもあり、トヨタ車のほとんどのハブナットを納入させていただいております。
 
 
──すごいですね。
 
 トヨタ自動車のおかげだと思っております。創業以来からお世話になっているわけですから、社員に対しても当社が向かう(目指す)ベクトルという部分ではっきりと伝えています。自動車のタイヤが4 つあるのは間違いないですが、ハブナットの使用量については、ホイールが4 穴から5 穴そして6 穴になるなどおかげさまで使用量は増えています。またアルミホイールの形状や色などによって、長いハブナットや色がついたキャップを用意する必要があります。以前は樹脂性のキャップも納入させていただいたこともありました。やはり自動車産業に支えられて現在の杉浦製作所があるのです。
 
 
──これからも自動車部品の" めねじ" に拘られるのでしょうか。
 
 これまで当社が市場競争の中で取引先を見つけるという歴史は大変浅いということもあって、現在の取引先以外へベクトルを向けるというのは大変難しいことだと思っています。しかし、特に、これからの自動車産業向けに部品を提供していくということは、国内競争はもとよりグローバル調達による世界的な競争の中で生き残っていかなければいけません。今後のグローバル競争の中で勝ち残っていくためには、どこかで気持ちの切り替えが必要なのだと思います。
 
環境に配慮されためっき処理設備
 
 
──トヨタ技術開発賞を受賞されていますね。
 
 当社の直ぐ裏には三河湾があり、この場所でめっき処理という言葉を出すことも憚れる時代が続いていた昭和30 年頃、当社のメイン商品であるハブナットは、スチールホイール向けには亜鉛メッキ、そして昭和30 年代後半から多くなったアルミホイール向けには、ニッケル・クロムメッキを施していました。しかしそんな地域性もあって全てのめっき処理を外注で対応しておりました。
 しかし、競業他社とのベンチマークテストをした結果、当社の主力商品であるアルミホイール用ハブナットのクロムめっきについて品質面・コスト面で遅れてしまっていることが判明し
たのです。そこで納入(処理)量の増加及び品質面・コスト面における競争力の向上を目指
して、平成21 年 無排水・無公害・無人化のクロムめっき処理設備を導入した新工場を新
設し内製を実現させました。
 
 
──無排水ですか。
 
 当然廃液は出ますが、自社の中で処理ができるようになっています。また、めっき加工を10 個単位で行うという非常にコンパクトなラインで液も大変少なくなっております。さらにめっき設備部分の倍近い深さのピットを掘って万が一にも建屋からは排水を絶対出さないという設計思想となっており、このめっきラインは表面処理加工を施すということだけではなく、地域に密着した環境対策(配慮)についても考えられているのです。その上、供給からめっき処理完了まで全自動化を実現して省人化も図りました。
 
 
──設計・開発には相当ご苦労されたのでしょうね。
 
 導入後2 年が経過した現在では改善されましたが、それまでめっき技術の蓄積が全くありませんでしたので、製品のコーナー部分などの密着性に問題が出ることがありました。
また逆に製品の出っ張り部分にはクラックが入るなど当初は非常に苦労しました。
 
 
──その外観チェックにも苦労されたのでしょうね。
 
 最初は人海戦術で検査をしていましたが、最近になって機械による検査が出来るようになりました。自動車用部品の中でも、外から直接見えるところに使われる部品は、タイヤ、アルミホイール、ハブナットぐらいです。これら部品のほとんどは大手企業で作られており、当社のような中小企業が製造する製品で皆様から見られるということはあまりないのではないでしょうか。そのため密着ムラなど外観等に大変な注意が必要なのです。その上さらに、ハブナットは、皆様が自分で直接取り外しする部品であるため非常に傷が付き易いにも係わらず意匠(化粧)製が求められます。タイヤ交換の際、レンチで足に全体重を乗せ蹴ってハブナットを外す姿をよく見かけますが、その辺に少し気を使って欲しいものだと思っております。
 
 
──めっき処理の内製化でまた一つ貴社の強みが増えたのですね。
 
 品質・コスト・物流・環境において世界トップとなる新めっきラインを構築することが出来たと自負しております。おかげさまでこの新しいラインの完成を取引先にも認めていただき、平成21 年にトヨタ技術開発賞をいただくことができました。技術開発という点では、当社として初の表彰であり大変名誉なことであります。現在、この無排水・無人化クロムめっきラインをグローバル供給に活かしてお応えできるよう努力しているところです。
 
0515_トップに聞く (1).jpg
 
 
品質管理/技術開発/標準化への貢献による表彰
 
 
──これまで貴社の品質管理能力及び技術開発力が評価され表彰を受けられているわけですが次に目指されることはなんでしょうか。
 
 部品メーカーとして生き残りをかけた諸方策の一つに、稼働率向上に繋がる標準化というファクターがあると思っております。これまでも自動車産業では、車種毎の部品の共通化並びにVA・VE 提案による部品の標準化は進められておりました。しかし、その反動として部品点数が増えてしまうという実態があります。そのため、部品を使用する自動車産業の立場に立って、杉浦製作所では、現在これだけの種類の部品がありますが、その内こういう単位で部品を使用すると使い勝手が大変良くなりますと提案をしたのです。
 
 
──使い勝手ですか。
 
 実際の自動車用部品のねじには仕様や目的により形状や強度違いなど様々な部品が存在しており、車種による部品の共通化という点で旧品が未だ使用されているのが現状です。
 そこで、当社では、部品の形状・機能・強度等に着目して現状を把握し、それを分析して
整理した結果、最低限必要な種類に限定するような部品の統合案を提示したのです。
 
 
──しかし貴社製品はナット類ですからそれを締結するボルト類にも影響が出るのではないですか。
 
 杉浦製作所で製造している部品だけの統合案ではなく、自動車メーカーで既に使用され
ていた" ガイドライン" に基づいて統合案を提案しましたので、結果的にはボルト側の部
品統合にも繋がることになります。これにより部品点数の減少並びに使用するねじ製品の
強度が限定(減少)されることになり、その結果、部品メーカーの稼働率向上によるコスト
削減並びに自動車メーカー全体の部品費低減に貢献することが可能となるのです。
 
 
──自動車メーカーにも喜ばれますね。
 
 おかげさまで、この提案も認めていただき、本年(平成24 年)2 月にトヨタ部品標準化賞
を受賞することが出来ました。また一つ恩返しが出来たと大変喜んでおります。
 
 
──これまでの成功要因並びにこれから重要となる点は何だとお考えですか。
 
 顧客ニーズを素早く的確に受け止め提案ベースの製品開発を行って生かなければならないということです。その中で新規性があれば特許にも結びつけたいと思います。また、3 万点あるといわれている超高品質な車に使用される部品-その内ねじ類は2 千5 百点-の中で、およそ600 点あまりの部品の生産に携わっていて実感することは、車の耐用年数である10 年~ 15 年もの長い間に亘り品質保証をするためには、金型設計・製造、熱処理工程、表面処理工程を内製化するなど一貫生産に拘って全工程をスルーで見ることが最も大事なことであり、それ以外に、低価格・高品質・多種多様なニーズには応えられず、高い顧客満足度は実現できないということです。これからも貢献できるよう日々努力を続けてまいります。
 
杉浦製作所-06.jpg
 
──最近の会社の概況についてお聞かせ下さい。
 
 資本金は4,800 万円です。従業員数は520名です(2/6 現在)。2012 年1 月決算では売上高約200 億円を見込んでいます。今期は東日本大震災及びタイの洪水の影響を受けて厳しい決算となりました。直近の操業では過去最高のレベルに近い状態にはありますが4 月以降の先行きは不透明な状況です。また、国内4 工場の敷地面積は、本社工場7,100㎡、古居工場17,300㎡、米津工場4,300㎡、起帰工場2,500㎡となっています。
 
 
──国内生産拠点についてお聞かせ下さい。
 
 国内生産工場は、ここ愛知県西尾市に古居工場、本社工場、米津工場、起帰工場の4 工
場があります。
 
杉浦製作所-071.jpg
古居工場
 
杉浦製作所-072.jpgのサムネール画像
本社工場
 
杉浦製作所-081.jpg
米津工場
 
起帰工場.jpg
起帰工場
 
 
──国内4 工場の生産分業体制についてお聞かせ下さい。
 
 古居工場が本社機能を持っており製品は古居工場に集約した後、取引先への出荷をして
います。生産分業体制については、本社工場は少量部品対応で切削並びに金型の製作も
行っております。古居工場は大量部品対応で熱処理並びにジオメット処理も行っていま
す。米津工場も大量部品対応で切削及びクロムめっき処理を行っております。最後、起帰
工場ではウェルドナット製造並びに2 次加工をおこなっています。
 
 
──国内工場の主な機械・設備についてお聞かせ下さい。
 
 国内工場の主要生産設備として、冷間鍛造機では、ナットフォーマ及びパーツフオーマ
が79 台、ヘッダー及びボルトフォーマが17台、熱間鍛造機2 台、温間鍛造機1 台、冷間
プレス加工機42 台となっています。また、ねじ加工機では、ナットの高速タッピング加
工機235 台、縦型タッピング加工機46 台、ボルトの転造機58 台です。熱処理設備は、
連続炉6 基、高周波炉1 基。表面処理設備では、ジオメット加工ライン2 基、トルカー加
工ライン1基、クロムめっきライン1 基となっています。その他にもNC を含む切削加工機、
スポット溶接機、研磨機などを持っています。
 
杉浦製作所-082.jpgのサムネール画像のサムネール画像
冷間圧造機
 
杉浦製作所-091.jpg
温間圧造機
 
杉浦製作所-092.jpg
熱間圧造機
 
杉浦製作所-101.jpg
タッピングライン
 
 
──設備投資について社長の考えをお聞かせ下さい。
 
 現在、フォーマーに関しては台湾製の設備も導入しています。今後も国内に限定せず海外製品で良い設備や金型等があれば導入を検討しなければならないと思います。これからの使用材料や設備投資については、自社製品のレベルや品質を良く分析して、要求品質と原価(コスト)との関係で、生き残りをかけて海外製の原材料や生産設備の使用を検討し、あらゆる製造環境の使い分けを考えなければいけない時代が来るのではないでしょうか。
 
 
──海外生産拠点についてお聞かせ下さい。
 
 現在の海外生産拠点については、米国のSUNRIGHT AMERICA ,INC、中国の合克薩斯( ヘクサス)精工有限公司、ドイツのNedRight Technology GmbH の3 拠点です。
 
 
──まずは米国における状況をお聞かせ下さい。
 
SUNRIGHT AMERICA ,INC は米国インディアナ州コロンバスにある当社資本95%の合弁会社です。主要な需要先であるトヨタ自動車及びトヨタ関連グループに納入しており、世界同時不況等で一時変動はありましたが現在は回復基調です。但し、今後は現調化が更に進むものと考えており、原材料、金型等の現調化が急務であると認識しています。
 
杉浦製作所-102.jpg
SUNRIGHT AMERICA ,INC
 
 
──ドイツはどうでしょうか。
 
 NedRight Technology GmbH はドイツ西部のプラッテンバーグにあり、当社から5%出資の合弁会社です。技術協力(援助)が主であるため比率的にはあまり多くありません。
 
杉浦製作所-111.jpg
NedRight Technology GmbH
 
 
──最後に中国における状況をお聞かせ下さい。
 
 平成17 年、合克薩斯(ヘクサス)精工有限公司(HEXAS Precision Technologies Corp.)
を、浙江省嘉興市に合弁で設立しました。当社の出資率は25% です。中国においては、現在も予想以上の伸びを示しており明るい材料は多いものの、これからの競争は非常に激しくなると予想されます。今後は日系自動車関連メーカー以外への拡販が出来るかが重要
な課題となります。
 
 
──最近の生産量、生産品目、納入先についてお聞かせ下さい。
 
 生産量は多いときでおよそ月3 億個の納入です。売上比率ではハブナットが約20%、ウェルドナットが約20%、標準ナットが約20%、その他ナット類が約25%、その他ボルト等が約15% となっていて、ナット関係で約85%近くを占めております。また、納入先についてはトヨタ自動車向けを始めトヨタグループ関連がほとんどです。海外へは商社経由で納入されています。
 
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合克薩斯(ヘクサス)精工有限公司(HEXAS Precision Technologies Corp.)
 
 
──材料についてはどうでしょうか。
 
 材料使用量は、およそ月4,000 トンです。主要取引先からの集鋼材であるため価格や使用量に関して大きな影響を受けなくてすむ状況にあります。また当社では、材料に関しては、製鋼メーカーに対して様々な提案をしていく中でお互いにレベルUP して来られたという関係を築いてきました。しかし今後のグローバル競争への対応を考慮すれば、海外材料の採用も検討する必要があるのではないでしょうか。
 
 
環境に配慮された小ロット対応熱処理設備
 
──先程のクロムめっき処理設備以外で自社開発するなど拘りの設備はありますか。
 
 熱処理設備です。これまで保有していた熱処理設備の処理能力が限界を超え、外注への
依存度が高くなると共に、熱処理設備の老朽化が進んだということもあって、平成22 年にエネ及び小ロット対応の熱処理設備を導入しました。
 
 
──小ロットですか。
 
クロムめっき処理設備にも対応しましたが、コスト削減という点で小ロットへの対応は最も重要な点だと思います。熱処理設備でもバッチ式の焼戻しにより温度変更の待ち時間を無くして生産効率の向上をはかりました。さらにLPG から都市ガスに変更したことにより、ランニングコストの削減をすると共に、当社が目指す地域に密着した環境対策(配慮)にも貢献出来ます。その上、老朽化が進んだこれまでの熱処理設備では管理することが出来なかった熱処理管理項目(浸炭能力=CP(カーボンポテンシャル)等)の制御が可能となりました。その結果、自動車メーカーから要求される高度な品質が安定して向上に繋がりました。
 
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──生産管理についてお聞かせ下さい。
 
 これからは小ロット生産を目指します。また、後引き生産(後工程において必要に応じたタイミングで前工程の生産をする生産方式)体制の構築も進めていきます。
 
 
──従業員教育等の人材育成についてお聞かせ下さい。
 
 自動車メーカーへ技術系の人材を派遣すると共に、能力がある人材には、㈳日本ねじ工
業協会が実施する圧造技術スクール(FTS)へ参加させるなど外部講習を積極的に活用しています。さらに㈳日本ねじ工業協会が実施している資格制度(ねじ製造技能検定)創設に向けた事業にも協力させていただいております。
 
 
──いつもご協力本当にありがとうございます。本資格制度創設に向けた事業へのご意見・ご要望等は何かありますか。
 
 当社には自動車産業用向けに特化したある意味偏った知識しかありません。業界全体と
して資格制度を創設するのですから、全ての業界(業種)に対応できる標準(基準)が出来上がるのではないかと大変期待しております。
 そのためには、あらゆる見地から全体を見ることができるコーディネター的な方(人材)を
見つけて上手に頼られたらいかがでしょうか。
 
 
──これからの計画(将来展望)についてお聞かせ下さい。
 
 グローバル調達における海外現調化に対応して投資を行っていく予定です。平成24 年度は米国・中国の海外拠点の設備の増強をはかると共に、インドネシアに新たに進出して新工場を設立します。しかし、重要保安部品はともかくとしてウェルドナットや小物ナットなどその他全ての製品を海外で生産する必要があるのかは良く考えなければいけないことだと思います。それでも海外現地調達化への取組みについては、先程もお話したとおり車の耐用年数といわれる10 ~ 15 年間という長い期間保証可能な部品を提供しなければならないということを考えれば、どこかで踏ん切りをつけなければなりません。また、現在は、大量生産しなければ利益が出ないという企業体質が出来上がってしまっております。
 トヨタ自動車の今後の生産台数動向予測によれば、全世界トータルで880 万台、そして国
内では300 万台を生産、その内150 万台分が国内消費分だとの発表がされています。それを考えれば大量生産に頼らなくてすむ企業の体質改善が必要になってくるのではないで
しょうか。ここでいう"量"を守るために当社は海外進出を決断したわけですが、自分の今いる位置について良く考えた上で、整合性のある分母の適正化を分析して決断する必要があるのだと思います。
 
 
──それでは社長ご自身のことについてお聞かせ下さい。先ずは社長のご経歴についてお
聞かせ下さい。
 
 昭和26 年7 月17 日生まれで60 歳です。昭和50 年3 月に日本大学経済学部産業経営学科を卒業して、同年4 月にトヨタ自動車工業株式会社(現在:トヨタ自動車株式会社)に入社し生産管理を担当しました。そして昭和55 年8 月に株式会社杉浦製作所に入社して取締役に就任しました。その後、平成3 年4月専務取締役、同19 年4 月取締役副社長を
歴任して、平成20 年4 月に代表取締役社長に就任しました。
 
 
──先々代社長(お父様)との思い出などは何かありますか。
 
 当然私もここ(三河)の生まれですのでよく工場の中で遊んでいましたし、自動車工場にも連れていって貰ったのをよく覚えています。父親の思い出としては、子供ながらに見ていて「即断即決」の人だったという記憶が強いです。それが正解だったのか悪いことだったのかは難しい判断ですが、企業経営に100 点はありませんし0 点もありませんから・・・。そんな父親を見て育ちましたので、自分が社長になった現在、様々なことで判断に迷うことがあると、あの時の父親の横顔を思い出します。スピードが求められる今だからこそ周りからすると即断してくれるというのは大変な力なのだと思います。
 
 
──多くの公職を経験されていますね。教育委員長までやられているのですね。
 
 父親もやっていたということもありますが、今の時勢をみていると国家の基礎を築き、社会の質を向上させるには教育が非常に重要なことであると考えています。
 
 
──地元(西尾市)への拘りも強いのでしょうか。
 
 やはりここで生まれ育ち、当社も創業しているということもあり地元への愛着は大変強いです。地元銀行の会長もやらせていただいております。また、地元の高校生のインターシップのお手伝いをしたり、中学生の方々の工場見学を受入れたりするなど、将来の"ものづくり"を担うエンジニアの卵を育て地元に貢献したいと考えています。
 
 
 
──地元といえば「愛知ブランド企業」に認定されていますね。
 
 独創的で全国的に見てもトップレベルにあり、県に貢献している企業を愛知県が認定しています。平成21 年、世界的な"ものづくり"の街「愛知県」から認定をいただきました。大変誇りに思っております。特に取引先が愛知県下に集中しておりますので常に意識をしています。この名誉を汚さないように努めてまいります。
 
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「愛知ブランド企業」認定書
 
 
──趣味はなんでしょうか。
 
 時計ですかね。機械式時計を収集しています。元に戻すのに大変苦労しますが分解したりもします。また、やはり子供のころの思い出によるものなのか、基本的には"ものづくり"が好きです。自分で料理をしますし、ゴルフのアイアンのシャフトを自作したりグリップを変えるなど、スコアーは3の次ぎで自作の道具で趣味を満足させています。
 その他にも、旅行も大好きで良く出かけます。学生時代に旅行会社でアルバイトを経験したということもあって、パスポート申請や自分のスケジュール管理は全て自分でやっていま
す。社員は嫌がりますけれど・・・。
 
 
──何か夢などはありますか。
 
誰もいったこともないところに足を踏み入れてみたいですね。夢は南極旅行に行ってみることですね。
 
 
──座右の銘や日ごろ心がけていることはなんでしょうか。
 
 ダーウィンの進化論の「強いものが勝つわけではない。如何に環境に適応するかである。」でしょうか。一言で環境といっても市場もあるでしょうし、いろんなことに対して先を読んで、如何に体を合わせていくのかが大事であると思います。
 この点から未来を予測すれば、自動車はなくなることはないでしょうが、果たしてエンジンが付いているのか? そしてねじは使われているのか? さらにその時はどんなものを提供すれば良いのか? そんなことを考えながら将来をサーチすることが必要なのだと思います。
 
 
──長時間にわたり貴重なお話をお聞かせ頂き、ありがとうございました。
 
 
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株式会社杉浦製作所
 
<会社概要>
 
○創  業 1939 年5 月
○設  立 1963 年2 月
○代表者 代表取締役社長 杉浦 明博
○資本金 4,800 万円
○売上高  200 億円(2012 年1 月決算見込み)
○従業員数 520 人
○事業内容  自動車用機能部品・締結部品製造
○所在地
 ・本社工場
  〒444-0393
  愛知県西尾市寺津町宮越22
 ・古居工場(本社機能)
  〒444-0393
  愛知県西尾市寺津町二ノ割33
   TEL 0563-59-6505(代表)
 ・米津工場
  〒445-0802
  愛知県西尾市米津町上泡原82
 ・起帰工場
  〒444-0324
  愛知県西尾市寺津町起帰24
 
<関連会社>
 
SUNRIGHT AMERICA ,INC
 ・所在地  米国インディアナ州コロンバス市
 ・生産内容 ナット・ボルト・プラグ
○合克薩斯(ヘクサス)精工有限公司
 (HEXAS Precision Technologies Corp.)
 ・所在地 中国 浙江省嘉興市
 ・生産内容 ナット・ボルト・スクリュー
○ NedRight Technology GmbH
 ・所在地  ドイツ西部プラッテンバーグ
 ・生産内容 ナット・ボルト・プラグ
PT.SUGIURA INDONESIA
 (2012 年操業予定)
 
<社是>
「明日を考え、顧客の立場に立って努力し、併せて地域社会に貢献をする」
 
<経営理念>
「社会及び業界の動向を常に的確につかみ、国内外での優位性を確保して持続的成長を実
現する」
 
<経営基本方針>
 
「顧客を含む関係者の皆様に満足していただける企業になる」
 
 1. 高品質: お客様第一
  ~ CF 活動~
  (Customer First)
 2. 低コスト: 原価改善
  ~ VI 活動~
  (Value Innovation)
 3.CSR: 社会的責任
  (Corporate Social Responsibility)
 
<行動指針>
 
「継続は力なり」
SSC で実践≫
 1. スピーディ:Speedy
 2. ステディ :Steady
 3. チャレンジ:Challenge
 
・現地現物で『ムダ』『ムラ』『ムリ』排除
・『全員参加』でステップアップ
  ⇒ 知意と工夫の結集
  ⇒ 報連相で情報共有
 
 
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会報「ねじ」2012 N0.2に掲載したもの