クラウン精密工業株式会社 代表取締役社長 望月紀人氏
「トップに聞く」
クラウン精密工業株式会社
代表取締役社長 望月紀人氏
聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ
インタビューサマリー
・ 会社概要
望月紀人 (もちづき すみと)
1962年生まれ。1984年、立教大学 経済学部を卒業。3年間の修行を経て、1987年、クラウン精密工業株式会社に入社。2003年、専務に就任。2007年、代表取締役社長に就任。
海外も同時に特許申請 戻る
―― タッピンねじにはどのような市場があるのでしょうか。
望月 通常は「めねじ」に「おねじ」を入れていきますが、「タッピンねじ」には「めねじ」がなく、穴だけ開いていて「おねじ」を締めることによって「おねじ」自身が「めねじ」を切っていきます。その市場は、特定の業界、分野ということではなく、ねじをある程度たくさん必要とするところでは、結構使われているのが実態だと思います。家電やOA機器、車関係でもテールランプとかミラー系とかにはよく使われます。
「めねじ」が必要ないので、工程が一つ減る、言い換えればコストダウンということになると思います。
―― 御社のオリジナル商品について紹介していただけますか。
望月 「デルタイト」は、いわゆるタッピンねじで、一番販売力の高いものです。特徴は、締め付けトルクが非常に低く、破壊トルクが高いことです。そのためお客様が工場で使用する際に、締め付けをするトルクの自由度が高くなっています。
「ブラックス」は、鉄板ではなくて合成樹脂用のタッピンねじです。
「ショルデック」は、座付ねじにスペーサーを組み合わせて、不完全ねじ部ゼロの段付きねじです。以前はモーターによく使われていました。今は、照明などの狭いスペースに使われています。
「ビューヘッド」は、スペースの制約や美しさを重視するときに使用する 頭の薄いねじです。頭を薄くすると、十字穴が軸まで届きやすくなり、頭飛びの危険性が高くなりますので、首下に少しアールを付けて広くするなどの工夫をしています。
さまざまなオリジナル商品
「ボリウェーブ」は、座金の部分が三角に折ってあって、締めるとそれが相手に食い込んで、ばねの代わりをするので、緩み難いねじです。
「ボリデルタイト」は、ポリウェーブの足をデルタイトにしたものです。
「リップネジ」は、薄い板用のタッピンねじです。ねじの山と山で相手の板を挟み込むようなイメージで締め付けます。普通のねじ山は60度ですが、このねじは45度になっています。
「リブロック」は、溶接ボルトの代わりになるもので、頭の下に突起を出しておいて、押し込んでかしめることで締結するねじです。
「スリードライブ」は、頭を大きくして、手で回せるようにしたものです。結構需要があったので、それを企画化して作りました。
―― どのようなきっかけで、オリジナル商品の開発に至るのでしょう。
望月 お客様の困りごとがきっかけとなることが多いです。薄頭のビューヘッドも、「頭が邪魔なんだけど」というお客様からの要求から開発したものです。やはり創業当初から開発商品を出してきていましたので、そういう姿勢が根付いているのかもしれません。
あとは特徴的なのが、一つひとつにデザイン的なパッケージを作って、出荷する箱にもそのデザインを施していることです。一つひとつの商品を育てていきたい、知名度を上げていきたいという思いは強いです。
―― オリジナル商品では特許を取得していますが、ご苦労もあるのではないかと思います。
望月 やはり手間はかかりますね。海外で形状や工具を真似される可能性も考慮して、最近では海外の特許も同時に申請しています。特許は、日本で取得した後に、海外に申請することができませんから。
―― タッピンねじはどれくらいの割合ですか?
望月 8割程度だと思います。ボルトも多いのですが、お客様の図面仕様でねじ部がデルタイトということもあるので、正確なデータを取るのは難しいですね。
―― 熱処理も御社でやっておられますね。
望月 熱処理は、比較的最初のころから設備しましたが、なかなかうまくいかなくて、当初は随分苦労したようです。
基本的にタッピンねじはじぶんで「めねじ」を切っていくので、表面が硬くなくてはならない。でも全部硬いとパリッと割れてしまいますから、「湿気たおせんべい」のように、中は柔らかくて外は硬くなければいけません。最近は相手の板が硬くなっているので、この熱処理が結構難しいんです。しかも、お客様は意外と勝手に板を変える。ある日突然ねじが入らないということがあります。当社の場合は、社内で熱処理設備を保有しているので、熱処理条件を変えて、より表面を硬く、中は柔らかくする条件を探していきます。
熱処理を社内でするかどうかは、コストとの兼ね合いになるとは思いますが、作ることへのこだわりですね。そういうこだわりって、必要なのではないかと思います。
状況が変化しても、核となる理念は継承したい 戻る
―― 御社はどのような経緯で創業されたのでしょうか。
望月 私の父の兄が、「クラウンラジオ」という会社で、ラジオとかテレビを作っていました。私が幼いころ、家の家電製品は全部クラウンだったことを覚えています。
今回インタビューがあるので調べてみましたら、戦後の日本の輸出産業は、トランジスタラジオが中心で、大手が参入する前は、ほとんど中小だったようです。叔父の会社も基本的には輸出メーカーだったので、あまり日本での販売はしていませんでした。1955年ごろは銀座4丁目の鳩居堂の上に看板を出していたようです。当時はかなり勢いがあったのですね。
ラジオを作るにはねじをたくさん使うし、ねじは機械が作るので人が少なくてすむこともあって、ねじを作ったらいいのではないかと、クラウン精密工業が生まれたと聞いています。昭和35(1960)年10月に設立、昭和36(1961)年6月に、朝霞のクラウンラジオの一部に工場を建設して生産を始めました。その後、業務拡大に伴って、現在の本社がある志木に工場を建設し、移転したのが昭和36(1961)年です。 同年の9月に日立営業所、翌年の11月に名古屋営業所を開設しました。
本社工場外観(埼玉県志木市)
―― 子会社の展開もしておられますが、それぞれどのような役割なのでしょうか。
望月 基本的には、生産品目が異なります。ヘッダーの素材であるワイヤは、私どもでは1ミリ~12ミリぐらい使用しますが、その線形で分けています。それぞれ特化することで経営を効率化できることが一つと、それぞれの法人で利益を出すことによる経営責任の確立、人材育成を目的としています。
山梨県のクラウンファスナーは、現在、私の弟が社長を務めています。
クラウン精密秋田工場は青森に近い場所です。今は北秋田空港ができましたが、以前は秋田から3時間ぐらいかかりました。高度経済成長のころはなかなか人が集まらなかったので、なんとか人を集めたいと、東北の方を探していて紹介されたと聞いています。
福島のシーエージーは、ヘッダーの多段機の専門工場です。多段機ではお客様の図面をいただいて、特注品を作るので優位ですが、機械を多くは所有していなかったので専門工場を建てたようです。
秋田のクラウンメタルプレイティングは、メッキ処理の工場です。青森に近いところにある工業団地で、熱心な誘致を受けました。熱処理と同様に、表面処理も外注さんにお願いすることが多いのではないかと思いますが、たまたま中国工場でメッキを内製化したので、日本でも競争力をつけるためにメッキ部門があってもいいのではないかと。メッキは排水の問題などがあって、認可をいただくまでに交渉が必要でした。秋田では、圧造、転造、熱処理、メッキが、一貫生産できる体制になっています。
―― 香港、中国、タイと、海外にも進出しておられます。
望月 香港が平成6(1994)年、中国が平成7(1995)年です。当時はお客様の中国進出が激しく始まっていた時期でした。
タイ工場は、平成13(1991)年設立で、平成17(2005)年にロジャナ工業団地に移転しました。ロジャナ工業団地は、2011年のタイ洪水の被害に遭ったところです。完全に水没して水が引くまで1か月くらいかかりました。それから機械の修理をしましたが、全部ドロが入ってしまって、中には日本に持ってきて修理をしたものもありました。結果的に、2年ほど遊ばせる形になりました。
―― 「創造性豊かな高付加価値商品を生み出すことによって広く社会に貢献し、社員の幸せと夢のある企業を目指す。」という経営理念について、どのように考えておられますか。
望月 昭和60年に理念が作られたときは、まだ私は入社していませんでした。創立から25年ぐらいたったころで、おそらく会長の中で理念が必要だと考えたのだろうと思います。社員綱領も同時期に作っています。
本社事務所に掲げられた社是(中央)経営理念(右)社員綱領(左)
私としては、これを継承していきたいという気持ちを強く持っています。周りの状況は変わっても、中心にある考え方は、経営するうえでは継承していきたい。できてから20年ぐらいたっていますが、変えようとは思っていません。
社員は、経営理念、社是、社員綱領と、会長が好きな言葉が書いてあるカードを持っています。迷ったときはこれを見るようにということです。
受注から出荷までの一元システムが効率化に貢献 戻る
――平成4(1992)年というかなり早い時期に、コンピューターシステムを導入しておられますが、どのような経緯で導入したのでしょうか。
望月 それまではそれぞれの場面では管理していても、今どの工程に行っているかは、ずっと品物を追いかけて探さなければならず、それを何とかしたいと思いました。それまでもコンピュータがなかったわけではないのですが、部署ごとの電算システムでした。それを受注から出荷まで、グループ工場を含めて一元管理をするようにしました。かなり効率が上がったと思います。
――大がかりなシステムの導入にあたっては、いろいろなご苦労があったのではないかと思います。
望月 当時はオフコンで、こちらに知識がないので、SEと話をしても会話にならない。出力帳票も一つずつイメージを書いてもらったりしました。SEは各部署のヒアリングをして、それをつなぎ合わせて...... かなり大変な作業でしたね。投資額も億単位です。
また当時は、キーボードすら打ったことがない人もいっぱいいて、それまでは台帳管理でしたから抵抗感もかなりありました。ある時期までは、台帳と新しいシステムを並行して走らせましたが、なかなかシステムに入力してくれないということもあって、立ち上げ時は相当苦労しました。
バージョンアップもかなりしています。現在は、どの品物はどこまで進んでいるか、画面ひとつで追いかけられるので、もうこのシステムがなかったら仕事ができない状態ですね。
――ISO9001、ISO14001、QS9000にも取り組んでおられますが、大変ではありませんか?
望月 私はあまり大変だと思っていなません。ISOの環境も品質も、自分たちがやっている業務を、ISOの要求のどこに当てはまるか考えて、落とし込んでいる感じなので、そのために余計な仕事が増えたという感じはしていませんね。
たとえば、ISOでいう「マネージメントレビュー」も、私どもでやっている月1回のリーダー会議に置き換えて、議事録のフォーマットもISOの要求に合わせています。QS9000の「製品品質日程計画」には、我々なら工程管理表を当てはめようというように。システム導入前から、工程管理表は作っていましたし、社員の抵抗もあまりありませんでした。
人事評価は、透明で分りやすく 戻る
――人事評価はどのようにしていらっしゃいますか?
望月 5年前から制度を変えました。17のランクに分割した給与体系になっていて、社員は期首に設定される会社の目標や、その課が掲げる目標に対して、個人目標を設定します。その目標にそって、達成度、貢献度、成果を自己申告し、上長とすりあわせて、社員のやる気や自分の成長の度合いを自己評価、客観評価で見るという方法です。
成果主義といっても既得権がありますから、大きく従業員の不利益にならないように、かなり慎重に作りました。
――なぜそのような制度に変えようと思ったのですか?
望月 人事評価では毎年悩むので、もう少し客観的な評価はできないかと。たとえば製造現場なら、担当する機械によって仕事量が変わることもあるし、営業だって自分でお客様を選べるわけではない。ある程度透明性があって、従業員の皆さんにも分りやすいことが必要なのではないかと思いました。
――運用していくうえで、難しいことはありますか?
望月 人によって、自己評価が辛めの人、甘めの人がいます。そこはコミュニケーションを重ねながらやっていくしかない部分ですね。本当は、評価をする管理者のトレーニングもしなければいけないのだと思います。経営側から見えている管理者と、部下から見えている管理者の評価は、意外とずれていたりしますので、気を付けなければいけないと思っています。
――社員による自主的な改善活動などは行われていますか?
望月 「活動」と呼んではいませんが、毎期、社長指針を出しているので、それに基づいて各課が1年間の活動計画を立てています。たとえば、現場のヘッダーであれば、工具の再生化とか、スクラップ量の低減といった目標を決めて、その進捗管理をしています。
以前は、具体的な内容の社長指針を出していたのですが、指針が具体的だと、社員の自主性やアイディアが広がらないので、今は抽象的な指針を出すようにしています。
「販売無くして生産なし、販売無くして経営なし」 戻る
――ねじの市場の変化をどのように見ておられますか?
望月 3~4ミリはボリュームゾーンだとは思いますが、私どもでは意外と5ミリ以上も多いです。それは、逆に3ミリ以下の仕事は、日本からどんどん無くなって、海外にいっているということだと思います。
たとえば、テレビはまさに3~4ミリの仕事で、私どもがテレビのねじを作っていたころは、1か月の売り上げがテレビだけで2000万円ありました。それが今はゼロです。昔はカセットテープとかビデオテープとか、デッキの中にいろんなものがついていましたから、ビデオ関係の仕事も多かったのですが、今はほぼゼロですね。コピー機も、昔は1台で600本ぐらいねじを使っていましたが、今は200ぐらいだと思います。ねじ締めは、作る方には余計な工数なので、なるべくねじを減らしたいと考えるのは当然ですからね。
市場はめまぐるしく変化していますから、「今のものはいずれ消滅していくんだ」というくらいに考えて、常に新しいものを追いかけていかなければなりません。
――そのような市場において、どのような事業戦略を取っていかれるのでしょうか。
望月 基本的には、私は「販売無くして生産なし、販売無くして経営なし」と思っています。とにかく受注を確保していくことが大前提だと思っています。
我々の場合、意図的ではなのですが、10%を超えるお客様はなく、どこか1社に大きく依存していることがありません。リスク分散という意味では強いのですが、常に新しいものを取り続けないと同じ売り上げを維持することができません。われわれが保有している設備の範囲内で、それが製造できるのであれば、どんなものでもトライしていきますし、情報を収集するなかで必要と判断した設備には、積極的に投資をしていくという考えです。
もう一つは横展開です。2か月に1回、会議を開いて、今新規でどういうお客様に行っているか、我々の実績ある商品をどこに売り込んでいるのかを情報共有しています。
ISOの認証も、検査設備も、品質の要素ですが、一番大切なことはそれがどういうところに使われるかだと思います。私どもでは、まず用途を確認します。そうすると目的に応じて、そこまで厳しくなくてもいいのではないかなど、こちらから提案ができる。次にそれを工具の設計に落とし込んで工具図面を描く。基本的にはヘッダーも工具で作るのですから、工具の品質の一定化は大切な要素ですし、難易度の高いものは工具も内製して、ノウハウを蓄積しています。規格品よりもお客様の図面で作るものが多いので、こういう動きをすることで、我々の付加価値を提供できると思っています。
――設備投資の具体的な計画はありますか?
望月 今のところ国内では考えていません。海外に関しては、今ある中国、タイの工場の機械設備を良くして、今海外でできていない仕事を取って、生産品目を変えていくということを考えています。
――ねじ以外に進出する可能性は?
望月 今でも当社は切削もしています。ねじとあまりかけ離れた分野は考えていませんが、いわゆる機械加工であれば、十分ありうると思います。
会社を永遠に存続していきたい 戻る
――昭和62年に入社されましたが、入社前は何をしてこられましたか?
望月 昭和59年に立教大学の経済学部を卒業しました。その後、大陽ステンレススプリングさんで、工場で1年、営業で2年修業をさせていただいてから、クラウン精密工業に入社しました。
――お父様からは後を継ぐように言われていたのでしょうか。
望月 父からは入社しろとは言われていませんでした。自分では入るものなんじゃないかと思っていましたので、大学卒業が間近になって就職ということと向き合った時に、初めて父にクラウン精密工業に入ってもいいと話しました。子供のころから父とはあまり接点がなかったですし、入社してからは社長と一般社員ですから、ずっと敬語で話していました。妻は変な親子だと思っていたようですね。
――社長に就任されるまで、どのような仕事をしてこられましたか?
望月 当社に入ってまず感じたのは、お客様と接する時間よりも、社内の調整をしている時間が長いということでした。注文が入ると、自分で工場に行って要請する。急ぎの案件も、誰か一人に伝えればよいのではなくて、圧造に行ったり、転造に行ったり、あちこちに頼んでやっと出来上がる。それを今度は自分で倉庫から引っ張り出して、自分で納品書を書いて、お客様に届ける。そういう状態を見ていて、営業なら純粋にお客様と折衝する時間とか、あるいは技術的な勉強をして「ねじ屋」的な営業をしていかなきゃいけないと思いました。そこで営業の中の業務を受け持つ部署を作ったり、配送部門を作ったり、コンピューターシステムを導入したり......。私から見て会社の弱い部分を強化していくということを、自分なりにやってきたと思います。
修行先では、納品というとライトバンに積んでいきましたが、当社に入社した当時、車は全部トラックでしたからね。自分で2トントラックを運転して納品に行くというのは、カルチャーショックでしたね。
――記憶に残る出来事はありますか?
望月 営業をやっていたとき、あるお客様から「たぶんクラウンさんとの取引は、今が一番いい状態だよ」と言われたことがあります。その理由は、「あんたが社長の息子だから」。たぶん社内的な影響力もあるし、私が言えば早く上がってくるのではないかと。その時に、何をやってもそういう風に思われるのかなと思いましたね。できて当たり前、人の倍やって当たり前みたいなところはあるのかなと。
自分ではあまり意識していませんが、負けたくないという気持ちはありました。私が入社したことで、前任者はお客様を取られているわけですよね。理不尽な話ですよね。その限りは、信頼を得なければいけないなという気持ちは強かったですね。
ですから香港にも最初に行きました。自分が行かなかったら次の人を行かせられないと思いましたので、売り先を探しにまず自分が行きました。時には、自分がやったことがなくても誰かにやらせることは必要でしょうけれど、心苦しいという感じはしますね。
――社長として、将来に対してどういう思いがありますか?
望月 一番の思いは、会社の永遠の存続ですね。これだけ周りの環境が変わっているので、会社の中身も変わっていかざるを得ない、変えていかなければいけないかもしれない。そういう意味では、当社の場合は、お客様の声を聞く、自分たちで自分の事業領域を決めないということをモットーに、形を変えながら永遠に会社を存続していきたいという思いです。
自分の父親を亡くしたときに、人って、そこですべて終わってしまうんだなと思いました。どんなに情熱を傾けて、どんなに思っても、人って終わるんだなと。それで、この会社を次世代に繋いでいきたいという思いが強くなりましたね。
――最後に、業界、あるいは協会に対する思いをお聞かせください。
望月 ねじ屋さんでは、戦後すぐに取引が始まって、伝統的にどこかの売上比率が40%も50%もあるとか、昔からの付き合いで間違いなく仕事が来るという会社が意外と多いと思います。我々はまったく逆で、最初にねじの会社を作って、それから売り先を探してきた会社なので、そういう状況に一度たりともなったことがありません。結局は一社一社の自助努力しかないのではないかと思います。
協会といえども、それは各社のまとまりなのですから如何ともしがたい部分はあると思いますが、自分たちがそこに参加する思いは違っていいと思います。こういう仲間や業界に携わっている人たちがいて、情報交換の場であったり、思いを共有できる場であったり、自己研さんの場にもなる。そういう場でいいのではないかと思います。
―― 貴重なお話をありがとうございました。
クラウン精密工業株式会社 ホームページ: http://www.crown-screw.co.jp/
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【会社概要】 戻る
設立 昭和35年(1960年)10月15日
代表者 代表取締役社長 望月 紀人
資本金 12,000万円
従業員数 国内:250人(グループ企業含む) 海外:400人
事業内容 冷間圧造によるねじ及び締結部品の設計、製造、販売
製造品目 デルタイト ® (ねじ込みトルクの低いねじ)
ポリデルタイト ® (ゆるまないトルクの低いねじ)
ポリウェーブ ® (ゆるみ止ねじ)
プラックス ® (合成樹脂用ねじ)
リップねじ ® (薄板用ねじ)
リブロック ® (スタッドボルト)
ショルデック ® (不完全ねじ部ゼロの段付ねじ)
ビューヘッド ® (外装用ねじ)
ノジロック ® (ゆるみにくいねじ)
マイクロファスナー (極小圧造部品・ねじ)
特殊圧造部品
小ねじ
タッピンねじ
所在地・拠点
本社
〒353-0001 埼玉県志木市上宗岡4-7-31
秋田工場(㈱クラウン精密秋田工場)
〒018-3333 秋田県北秋田市坊沢字深関沢13-2
福島工場(シーエージー㈱)
〒963-7827 福島県石川郡石川町新屋敷字長土路48-2
山梨工場(クラウンファスナー㈱)
〒400-0402 山梨県南アルプス市田島818
クラウンメタルプレイティング㈱
〒018-3300 秋田県北秋田市市川井字横呑沢5-133
日立営業所
〒317-0000 茨城県日立市東多賀町3-6-12
名古屋営業所
〒485-0000 愛知県小牧市久保本町103
東莞皇冠螺絲有限公司(中国)
広東省東莞市長安鎮涌頭管理区
ECF PRECISION CO.,LTD.(タイ)
55 Moo 5Rojana Industrial Park
Tambol Utai Amphur Utai Ayutthaya 13210
日皇精工有限公司(香港)
Unit T, 4/F., Valiant Industrial Center, 2-12 Au Pui Wan St.,
Fo Tan , Shatin, N.T. HongKong
経営理念
創造性豊かな高付加価値商品を生み出すことによって広く社会に貢献し、
社員の幸せと夢のある企業を目指す。
社是 誠実・不屈の精神・創意工夫
社員綱領
1.良い品を安く、早く、造り顧客の信頼を得ること。
2.研鑚に努め、人格と能力の向上を計ること。
3.清潔で整頓された活力ある職場をつくること。
4.社会人としての自覚を持って社会との調和と共栄に努めること。
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記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子