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西精工株式会社 代表取締役社長 西 泰宏氏

2013年04月06日

「トップに聞く」

社長の写真.jpg

西精工株式会社 

代表取締役社長  西 泰宏氏

 

聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ

 

【インタビューサマリー】

 
 
 
 
西 泰宏 (にし やすひろ)
1963年、徳島市に生まれる。1988年、神奈川大学を卒業。都内広告代理店の営業職を経て、1998年、西精工株式会社に入社。2006年、同社代表取締役専務に就任。2008年、同社代表取締役社長に就任。
 
 
「かさばらないナット」で、株式会社化から規模を拡大
 
―― 創業は1923年(大正12年)だそうですね。どのような経緯でナットを作るようになったのでしょうか。
 
西 私の祖父である西卯次八が西製作所を創業しました。最初は家族経営で、戦時中は戦争に必要なものを作っていたのだと思います。
ナットや割ピンの製造を開始したのは戦後、1947年のことです。なぜナットだったのかという背景には、四国という地理的な事情があります。今でこそ本州と橋で繋がっていますが、昔は物流を考えるとかさばらないものを作らないとだめだという判断だったのでしょう。ボルトかナットかだったら、ナット。かさばらないし、いろいろな機能も出せるのではないかということで、自然に移行していったのだと思います。
 
―― 1960年に株式会社にされました。
 
西 規模を拡大していこうということで株式会社にし、創業者は会長になりました。ここで創業者の息子、三兄弟が会社に集まり、初代社長には長男の幸信が就任しました。次男の輝行は1985年に2代目に、三男の佳昭 ―私の父で、幸信とは親子ぐらいの年齢差があります― は、1995年に3代目の社長となりました。幸信と輝行は亡くなりましたが、佳昭は現在相談役です。
 2006年に社長に就任した和彦は、長男の息子で長く専務をやっていました。今は代表権付きの会長です。
 
 
―― 幸信氏、輝行氏、佳昭氏の三兄弟はどのような方々ですか?
 
西 長男の幸信は、創業のころから祖父と一緒に作っていた現場の人です。自分で設計して、割ピンの機械も作りました。その機械は今、石井工場に保管してあります。現在割ピンは作っていませんが、ここから始まったので、ずっと置いておかなければいけないものだと思っています。
 次男の輝行は機械が好きな人で、自分で買いに行っていました。ドイツまで行って、これからはフォーマーの時代だと買ってきたのも輝行です。彼がいたから機械をいろいろ買い足してきたのだと思います。
三男の佳昭は、「何でもした」と本人が言っています。三男坊ですから、結構きつかったのではないかと思いますね。営業でも九州や、名古屋まで出向いて、電話帳で「ねじ」を探して行ったそうです。何度か組合が立ち上がろうとしたのを、「ウチみたいなところで組合つくってどうするんだ」と諭したのも佳昭だそうです。
 
―― 1970年に石井工場、1989年に土成工場、そして2001年、2008年にそれぞれ土成第二、第三工場と拡張されていますね。
 
西 徳島県徳島市南矢三町の本社工場では、酸洗い伸線という材料加工をやっていたのですが、手狭になっていました。ちょうど廃業した工場のいい物件があったので、そこを改修して始めたのが石井工場(徳島県名西郡石井町)です。
 本社工場のまわりは、だんだん住宅地化してきました。隣には中学校ができ、病院も建ち、大きな音が出し難くなって、メインの工場をどこかに移さなければ厳しい状況になりました。そこで土成工場(徳島県阿波市土成町)を建て、その後同じ敷地内に、第二、第三と増やしてきました。
 石井工場も最初は畑の真ん中だったのですが、病院などに囲まれてきました。酸を扱っていますので、今は土成第三工場に酸洗い伸線を持ってきています。
 
土成工場.JPGのサムネール画像
 
―― 自動車、家電、建設機械、ホビーと、幅広く展開していますね。
西 皆さん一緒だと思うのですが、大阪に近いこともあり、最初はほとんど電機でした。電機自体が海外で作られるようになってきたので、自然に自動車の比率を高めていきました。いろいろなことをやっていますが、現在、自動車関連が売り上げの70~80%です。
 
 
 
 
 
          土成工場全景
 
「創業の精神」に大切なものがあった
 
―― 社長自身は1998年に徳島に戻って入社されましたが、当時の会社はどのような感じでしたか。
 
西 会社がとても暗い雰囲気でした。挨拶もあまりしない、ごみが落ちている、自分たちが作った製品も落ちている、楽しくなさそうに仕事をしているという状態で、私が戻る1ヶ月前には重大事故もありました。こういう雰囲気だから事故が起きるのだろうと感じたし、私自身は東京で楽しく仕事をしていたので、考え方ひとつでどうにでもなるのになと思いました。
とりあえず挨拶運動をしたり、5S運動をしたりしました。何人かついてきてくれて、徐々に変わってはいきますが、本質的には良くならない。なかなか自分が描いたイメージどおりにならないので、きついですよね。もちろん反発する人もいましたから、朝早く来ようと言うとサービス残業だと言われたり、毎日5時3分にタイムカードを押して帰る人がいたり。
でも、何より私自身が精神的に追い込まれていて、夢の中でも「どうして分かってくれないの?」って思っていました。本質的に良くならない状況の中で、いろいろな良い企業を見たり、本を読んだりしました。
 
―― 2006年に「経営理念」を制定されました。
 
西 たまたま「盛和塾」に入って、稲盛さんの指導を仰いでいるなかで、あるとき腹に落ちたんです。「理念」がちゃんとしていなかった、一番重要な部分が欠けていたと。やっぱり「何のために」ということがちゃんと分かっていなかったら、やらされ感いっぱいになるだろうねと。それで1年かけて考えて「経営理念」を制定しました。
作ってからは、まず自分が実践しなくちゃいけないと思いました。僕の理念は何だろう、経営って何だろうと考え、社員の幸せを追求するのが経営だと思ったので、とにかく社員を好きになって、社員の幸せになることは何でもやろうと。それからは感性的な悩みは消えていきました。
理念の次には具体的なビジョンを作らなければいけないと思って、2009年に「経営ビジョン」を定めました。
 
―― 経営ビジョンで謳っている「ファインパーツ」とは?
 
西 ファイン(fine)には、優れているとか品質が良いという意味のほかに、小さい、繊細という意味もあるので、高精度、高品質、極小を表現しています。弊社で作っているナットは、1ミリから16ミリまでの小さいものです。そもそもの理由はかさばらないことなのですが、ナットは機能を持たせやすいとも聞いています。だから広がる可能性があるし、差別化もできると思います。
 
製品の写真.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
―― 同年末に制定された「行動指針」が、理念を最も具体化しているということでしょうか。
 
西 実はその下に、幼稚園生に言うような恥ずかしいものがあります。たとえば「誰にでも挨拶をする」とか、「はいと返事をする」とか、「いただきます、ごちそうさまをきちん言う」とか。人様にお見せするようなものでありませんが、社員手帳には「行動規範」として書いてあります。
 
 
    
 
 
            主要製品
 
 
―― 2010年には「創業の精神」を制定されました。一番最近ですが、なぜこの時期だったのでしょう。
 
西 私は会社のことを全然知らずに東京から戻って、その私が今社長をしているのですから、一度会社の歴史をひも解かなければいけないなと、ずっと思っていました。とにかく「前へ、前へ」ばかり考えていたのですが、このままではいつか大変なことになるだろうなと。不易流行ですよ。変えていかなければいけないものはいっぱいあるけれども、変えてはいけないものもある。父と2泊3日の合宿をして、「創業の精神」を作り上げました。作業としては父に思い出してもらうことばかりでしたけれどね。
 実はこれができてから、40年以上前の社是、社訓を捨てました。「良品を、より安く、より早く」って、今とは合わない。作れば売れるという大量生産の社是、社訓だったんです。「みんなで築く明るい職場」って、今は職場じゃない、僕たち地域を良くするんだよね、なんかちっちゃいよねって。違和感があったので。
 
―― 創業の時点で、普遍的な大切なことがあったということでしょうか。
 
西 「創業の精神」に、捨ててはいけないものがあったのです。これを大切にしていけば、これからも潰れることなくやっていけるだろうと。これが全ての根っこです。「創業の精神」と「経営理念」がセットでなければだめだと、そこからビジョンや戦略にいかないとだめなのだと思うんですよね。
 
 
毎朝50分の朝礼で「理念」を腹に落とす
 
―― 会社が変化していくと、合わない人もいたのではないでしょうか。
 
西 合わない人は辞めていきました。でもある人に、普通はもっと辞めるものだと言われました。
ただ今の今まで、いて欲しいと思う人はみんないてくれている。理念に合っている人がほとんどなので、思いが強くなっていきますよね。ベクトルは合っていると思います。
結果的にどういうことが起こるかというと、8時10分始業なのに、リーダークラスはみんな6時半までには会社に来ますし、一番遅い人でも7時半には来ています。早く来て何をするかというと、ミーティングをしたり掃除をしたりで、機械は動かしません。
 
―― なぜ自主的に早く来るようになったのでしょう。
 
西 仕組みですね。「役に立っている」感を出し、必要とされてうれしいと思えるような仕組みづくりです。一番効くのが「ミッションステートメント」です。自分は何のためにここで仕事をしているのかを、私が講師になって、2年間かけて勉強して作りあげました。自分が何のために生き、働いているのかということと、会社の理念が串刺しになっているのです。
 
―― 理念をきちんと理解してもらうためにどのようなことをしてきましたか。 
 
西 弊社には「西精工フィロソフィー」というものがあります。私から社員に毎日送ったメッセージと、それに対する返事の対話集で、200ページほどあります。対話の内容は、たとえば創業の精神の中の「大家族主義」とはこういうことだよと、朝6時15分ごろにメッセージを送る。パソコンを持っている社員が80人いますから、80人からその日のうちに返事がくる。そうですよねとか、こういう考えでいいんですかとかね。その80の返事を私が見て、次の朝にそれにつながるメッセージを送る。また80人から返事が来る。これをだいたい1週間ぐらい続けると、そのテーマについてみんなが納得して、次のテーマに移る。
一方的に言って終わりというのはよくあると思いますが、弊社がやってきたのは対話です。それを経営理念制定から3~4年続けました。まだ言葉が熟していませんが、あと3~4年したら製本できるかなと思っています。
今は、毎朝50分間、部署ごとに、自ら考える朝礼をしています。全体の連絡事項などが終わるとフィロソフィータイムです。「西精工フィロソフィー」を使って4~5人ずつのグループで話しをし、最後に各グループから一人が発表します。これで理念を腹に落としていきます。私は毎日いろいろな部署の朝礼に出て聞いていますが、あちこちで大笑いしていますよ。とにかく明るいことが重要。去年NHKが取材に来たときに朝礼を見て、笑っている朝礼を始めて見たと、カメラマンもディレクターも言っていました。
 
―― 朝礼はコミュニケーションスキルにも効果がありそうですね。 
 
西 何の役職もついていない若い女性でも、公の場で言葉を求められれば、それが突然でもきちんとしゃべります。見ている人は信じられないと言いますよ。経済産業省の方も、僕だってしゃべれないと言っていました。普段から考えて発言することを練習しているからできるのです。
 
 
時間内にできる製品の数だけが生産性ではない
 
―― 朝礼の間、機械は動いているのですが? 
 
西 自動化していない機械は止まっています。おそらくこれは、どこの会社も真似できないでしょう。会長や相談役は、「もう少し短くしたら」といいますよ。でも、雰囲気とかチームワークとか、勝手には良くならない。覚悟ですよ。
 生産管理の課長に聞いたら、むしろ生産性は上がっているそうです。自動化できる機械は社員が自主的に考えて自動化し始めました。会社がしなさいと言わなくてもね。チームワークがよくなるので、自然と他の人を手伝ったりすることもできるようになります。
「生産性」は何かというと、付加価値の生産性かなと思います。時間内にできてくる製品の数だけが生産性ではないんだなと。
 
―― 確かに雰囲気も明るいし、みなさん気持ちのいい挨拶をしてくださいますね。
 
西 挨拶をしたくなるような話、挨拶を続けていたらどんな奇跡が起こったかという話をしてあげるのです。
弊社に置いてある自動販売機にジュースを入れ替えに来てくれる人がいますが、彼が言っていました。「僕は徳島県内全部に行くけれども、社員全員が挨拶してくれるのはここだけ。だからここには来たい」と。石油会社の、オイルを入れ替えてくれる人も同じようなことを言って、「ここに就職したいんですけど募集していませんか」って。こういう話を社員に聞かせてあげるのです。うちの社員は、会社に入ってくる方は全員お客様だと思っていますから、見学の学生にも同じように挨拶しますよ。
 
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      本社屋                           社員の皆さんと一緒に
 
 
―― お客様の反応も、皆さんに伝えているのでしょうか。
 
西 お客様に褒められたことや叱られたことは、現場まで全員知っています。出張報告書も、以前は部課長しか見ていませんでしたが、今は全員見ています。結果、社員満足度調査をすると、お客様のことを理解しているかとか、会社方針を理解しているかなどのポイントが上がってきます。
昔は自分たちで作ったものが落ちていた。でも自分たちの作ったものが、誰に届いて誰が喜んでいるとか、誰が怒っているとかが分かったら、落としたままにはしておかなくなります。謝りに行くときは、現場の人も一緒に行くし、出張も営業と現場が一緒に行きます。お客様に会えば、現実は厳しいということも分かりますからね。
 
 
 
「給与以上のものをもらっている」
 
―― 勉強会をたくさん行っていると聞いています。
 
西 とても多いですね。企業内大学で、テーマによって私や社員が講師になって、勉強会を行います。みんな熱心に参加していますね。2012年には、勉強会の取り組みが評価されて「企業人材育成大賞」をいただきました。
 
―― 「小集団活動」も続けていますね。
 
西 昔はあまり根付いていなかったのですが、今は根付かせるような仕組みを作ってやっています。活動は、基本的には3ヶ月に1テーマで、毎月全体朝礼のあとで1グループが発表します。年末には5グループが発表して金賞、銀賞を決めています。
 
―― 「マイスター」制度もあるそうですね。
 
西 もうすぐ最初の認定ですが、制度の準備はずっと前からしていました。ネジ製造技術の知識と技術をテストし、機器保全関係の国家資格や、チームワークができる人間性などを総合的な人間力を見ます。今後も毎年数人を認定していく予定です。
 
―― 社員の評価はどのように行っていますか。
 
西 役割評価とスキル評価、それに成果を少し加味しています。成果は、新製品の数などは考慮しますが、売り上げ、利益は加味しません。売り上げ、利益を第一目標にしたら戦略が変わってしまいます。
役割表は、リーダシップとかチームワークとか、それぞれレベルが5まであります。スキル表は、営業ならここまでの見積もりができるとか、現場ならこの機械が一人で動かせるとか、ずらっと評価項目があります。その役割表とスキル表のポイントを足したら給料になる。単純明快です。さらに評価に対する「物言い」が社長に対してできますから、他の会社に比べると評価に対する不満が極端に少ないです。スキル表は張り出していますし、他の人の評価も分かります。
 
―― 自分の評価が他の人に見られることには、抵抗を感じるのではありませんか。
 
西 教育があるという前提ですから、あまりそういう話にはなりませんね。どちらかというと、あの人のようになりたいというほうが強いのだと思います。上を見て、もっとこうなりたいという方向に使ってくれています。
 
―― 社員満足度調査を行っているそうですが。
 
西 かなり徹底的にやっています。「総合的に考えると当社の社員として満足しているか」という質問があるのですが、「非常にそう思う」、「そう思う」を足すと95.9%です。
見学に来られる団体や会社があると、私も話しますが、社員にも話してもらいます。社員が話をすると私自身も勉強になることがあります。先日は、来訪者から「給与について満足していますか」という質問がありました。対応した社員は、「高いか低いかといったらよく分からないが、給与以上のものをもらっている、ほかの会社ではもらえないものをもらっているので満足している」と答えていました。
やはり、いろいろな「仕組み」のおかげだと思います。あとは、私の言葉を噛み砕いて実践してくれる、係長クラスのおかげです。
 
 
 
社会貢献は利益が出ないときでもやる
 
―― 地域の活動にも熱心に取り組んでいますね。
 
西 経営理念を作ってから、それを血肉化しなければいけないので、ご近所のお掃除を毎日30分やっています。
弊社には、社内イベントを主催する「C&C」というチームがあります。徳島マラソン、年に1回のバザー、年2回の全員でやる清掃やバーベキューなどを仕切ってくれる人たちで、毎年メンバーが代わります。リーダーには、一番向いていなさそうな人を選んでいたのですが、今は素晴らしいはたらきをしてくれています。
 
―― なぜ社会貢献なのでしょう。
 
西 私は徳島が嫌いで、こんな田舎はイヤだと思って東京に行ったので、その反動でしょうね。東京で17年間楽しく過ごして帰ってきたとき、こんなことをしていたら僕はきっと不幸になるなと思いました。地域に感謝して、ちゃんと返していかなければいけないという思いです。
 私はいろいろな会社を見に行きましたが、いい会社、社員がいきいき働いている会社は、仕事以外にものすごく社会貢献をしているのです。見学先で「儲かったらするのではない、同時にするんだ。利益が出てないときでもやるんだ」と言われて、ガツンときたことがあります。社員旅行だって、儲かったからじゃない、大切だと思うからやるんだと。利益が出たから貢献をするのではなくて、同時にやらないといけないのです。災害時の義援金なども、どこかの部署がやりたいと手をあげると、みんなが協力します。
 
―― 定年後の雇用や障がい者雇用にも取り組んでいますね。
 
西 定年後は本人の希望があれば、1年契約で再雇用します。現在社員の平均年齢は39歳ぐらいで、67歳という方もいます。
障がい者は、毎年一人ずつ入ってきていますが、おかげで雰囲気が良くなります。難しい勉強会にも、知的障害を持っている人もまわりがフォローしながら一緒に参加します。障がい者の数、パーセンテージも大切かもしれませんが、弊社は「10分の10」を目指したいのです。雇った人が、全員幸せと思えるようにしたい。いる人が幸せでなければ意味がないので、急激には数を増やそうとは思いません。なぜならとても時間がかかるからです。まわりがフォローする、フォローしているまわりが一番成長させてもらうという、良い循環にしたいからです。
 
―― 子育て支援の「くるみんマーク」も取得しています。
 
西 育児休暇の社員がいると、休暇の間はまわりの社員が埋めてくれるので、100%職場に復帰します。最近は男性も育児休暇をとるようになってきました。
 
―― このように人を大切にする経営が第三者にも評価されていますね。
 
西 私たちの会社は四国でどのくらいのレベルにいるんだろうねと、2012年、「第1回 四国でいちばん大切にしたい会社大賞」に応募し、「中小企業基盤整備機構 四国支部長賞」に選ばれました。
 先ほどメールで、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の「中小企業庁長官賞」を受賞したと連絡をもらいました。「四国」には応募しましたが、「日本」はおこがましいと思って応募するつもりはなかったのですが、法政大学大学院の坂本(坂本光司教授)ゼミの方が勉強しにきて、私の講演と工場を見て推薦してくれました。坂本教授は「日本でいちばん大切にしたい会社」という本を3冊出版しておられて、良い会社を紹介しています。私たちも11冊目ぐらいに載ったらいいねと話していたんですよ。
 
 
3月22日に行われた、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」表彰式の様子
 
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強みを伸ばすように投資する
 
―― 製品の種類は増加の傾向でしょうか。
 
西 私が戻ってからは、むしろやめたことのほうが多いです。もともとベアリングの仕事が2割強あったのですが、今は多少残っているだけです。お客様が喜んで買ってくれていない、お客様がビジョンを持っていないのです。お客様が嫌々やっているのに、うちの社員に作ってもらうわけにはいきません。
 
―― 設備投資についてはいかがですか。
 
西 工場については、今後も15ヵ年計画でいろいろなことを考えています。本社工場は築40年で、補強はしていますが、つぎはぎの状態なので環境として働きにくい。最終的には、本社はネジ立てと物流ぐらいになるかなと考えています。
機械は、昔はキャパが足りないと買っていました。今でもそういう風潮はありますが、「強み」かどうかで買いなさいと言っています。うちの会社がそこが得意で、そこを伸ばしたいというのであれば買いなさい、売りたいというものに絞ってやっていきなさいと。ナイロンナットのかしめ機は自分たちで作りました。
 
―― 得意なこと、強みは何だと思いますか。
 
西 機能性ナットでしょうね。ゆるみどめとかかしめ系とかインサート系などの特殊ナットです。特殊素材も得意です。たとえば、ベア鋼をフォーマーで打てるのは強みですね。真似をしたら機械が壊れます。経験があるからできることです。ベアリングの仕事をしていたので、自然と強みになっていきました。
 
―― 販路の拡大、海外進出についてはどのようにお考えですか。
 
西 弊社の製品は、お客様を通じて海外で使われています。ですから営業は海外にも出向きますが、海外に工場を建てるなどは、まったく考えていません。販路は展示会などで広げたいという気持ちはありますが、まず今のお客様を大事にすることが前提ですね。
 
―― 今後の事業展開についてお聞かせください。
 
西 まずは目の前のものづくりをしっかり守っていかなければいけないと思います。何か特別なことをするのではなく基本をしっかり守っていくということです。
 製品については、コストダウン、コストダウンで作るような製品はやめていくと思います。お互いイヤですからね。お客様が利益を取れるようにしていきたいです。それから、今後は一緒にやっていけるビジネスパートナーを広げていきたいですね。それぞれにそこでしか出来ない技術を持っていたら、それを組み合わせれば、たいがい真似できないものになると思います。
 
 
誰にも負けない努力をする
 
―― 社長ご自身についてお聞きします。どんな学生時代でしたか。
 
西 ラグビーをずっとやっていて、高校生のときは花園にも行きました。同志社大学にはラグビーで行かれるラインがあったので、花園で1回戦に勝ったら同志社でいいかなと思っていました。でも、1回戦で55対3で負けちゃったんです。これは大学でラグビーできるレベルではないよねと思って、素直に浪人して、東京に行きました。徳島から東京に行ったら、めちゃくちゃ楽しいじゃないですか。僕があこがれている世界って、音楽と映画なんですよ。東京なら毎日、どこかで映画やっているし、コンサートもあるし、浪人生なのに居酒屋でバイトして、お酒代と映画代を稼いでいました。そんな生活をしていたので案の定、二浪ですよ。大学は神奈川大学に行きました。
浪人1年目は浪人ハウスみたいなぼろぼろのところでしたが、それでも楽しかったですね。2年目は一人暮らしで、これがまた楽しくてね。でも、今でも3月ごろになると「世界史が間に合わない!」って、夢を見ますよ。ラグビーをやっている夢と浪人の夢は今でも見ますね。
 
―― 卒業後はどのような仕事に就きましたか。
 
西 広告代理店に入って11年間、営業をしていました。好きな映画とか音楽にも関われましたし、割とイメージどおりの仕事をしていました。
 
―― 徳島に戻られたきっかけは何でしょう。
 
西 次男輝行の息子、私のいとこが亡くなったことです。そのころ、私はあまりものづくりを自分がするというイメージがなかったのです。親はいずれ帰ってこいと言っていましたが、私は三男の息子ですから、帰りたくないなと思っていました。
 家で何を作っているのかもよく知りませんでしたね。ベアリングと割ピンを作っているらしいことだけ知っていました。食品などを送ってくれる段ボール箱に「割ピン」と書いてあったので、これを作っているんだろうな、何に使うんだろうなと。ベアリングも全部作っていると思っていたので、部品しか作っていないことは、会社に入ってから知りました。
 
―― 帰ってくるように言われたときはどう思いましたか。
 
西 運命かなと思いました。これに従わなかったら大変なことになる、それまで好き勝手なことをしてきたので、ここは帰らないといけないなと。
 楽しくやっていた営業の仕事も11年も経つと、今度は管理職で数字ばかりですよ。どんな仕事も現場が楽しいじゃないですか。辞めるにはいい機会かなというのもありました。それで戻ってきたのが1998年、ちょうど10年後の2008年に社長になりました。
 よく最近、「なんでそこまでやるんですか」と言われるのですが、それは昔、悪かったからです。親の気持ちも考えずにね。親がいきなり浪人の時の部屋に来て私の生活を見たときに、「あなた!いったい自分が何か分かってるんですか!」って言われたのを、今でも覚えています。そんな人間がいきなり経営者になるのですから、考え方や行動を律しないと社員さんはついてきてくれません。
 
―― 座右の銘は?
 
西 「誰にも負けない努力をする」です。盛和塾の稲盛さんの「稲盛経営12ヶ条」のうちの一つです。
 
―― 趣味は?
 
西 体を動かすこと。とにかくじっとしているのが大嫌いです。先日も17年ぶりにスキーをしました。ラグビーは年末に1回やりましたが、死にそうでしたね。1度だけ本気でタックルに行ったのですが、吹っ飛びました。
フルマラソンはずっとやっています。今年は2回走ります。2月には海部川風流マラソンを走りました。
会社でも毎年徳島マラソンに出ます。最初参加した社員は8人でしたが、今では80人も走りますよ。
 
―― 最後に協会に対するご意見、ご要望をお聞かせください。
 
 
西 協会の理念とか指針が欲しいですね。分科会とか委員会、教育などがありますが、それぞれに良くなっても、ものづくりを残そうというところで繋がらないのではないかと思います。基本的に日本のものづくりをこうしたい、今年の方針はこうするというのがあって、そこに活動があるという風にしたいですね。
 
―― 貴重なお話をありがとうございました。
 
 
 
 
 
西精工株式会社 ホームページ: http://www.nishi-seiko.co.jp/
 
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【会社概要】
 
創業      1923年4月 (西製作所)
設立      1960年8月 (西精工株式会社)
代表者     代表取締役社長 西 泰宏
資本金     3000万円
売上高     48億6000万円 (平成24年7月期)
従業員数   238名 (2013年3月時点、同4月8名入社予定)
事業内容   ナット類を中心としたファインパーツの製造・販売
所在地 本社:〒770-0005 徳島市南矢三町1丁目11-4
石井工場  :〒779-3233 徳島県名西郡石井町石井字石井398-4
土成工場  :〒771-1506 徳島県阿波市土成町土成字大法寺240-3
 
 
 
創業の精神
 
一.人間尊重の精神
○ 人間尊重の経営で、人と人とのふれあいと絆を大切にした、明るく活気のある会社を創りたい。
一.お役立ちの精神
○ 独自の技術開発力とサービスで、カスタマイズされた製品を提供し、お客様の価値を創造したい。
一.相互信頼関係の精神
○ お客様とお取引先との信頼関係を丁寧に築きあげて、相互繁栄をはかりたい。
一.堅実経営の精神
○ 身の丈に合った堅実経営で、会社を末長く存続・発展させて、地域社会に貢献したい。
一.家族愛の精神
○ 社員は一番大事な家族と一緒、大家族主義で社員の幸せを追求したい。
 
 
経営理念
 
 「ものづくりを通じてみんなが物心共に豊かになり人々の幸福・社会の発展に貢献すること」
不断の努力を重ね常にお客様に喜ばれる製品やサービスを開発し市場に供給することを通じ社会に貢献していきます
経済的な安定や豊かさだけでなく自己の成長を通じて生きがいや働きがいといった「心の豊かさ」を求めていきます
 
 
経営ビジョン
 
人づくりを基点に徳島から世界へファインパーツの極みを発信する
 
行動指針
一生懸命働くこと、
感謝の心を忘れないこと、
善き思い・正しい行いに努めること、
素直な反省心でいつも自分を律すること、
日々の暮らしの中で心を磨き、
人格を高め続けること
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今回取材にあたった未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループの皆さん
 
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左から 池田夏来さん、勝亦良彰さん、
西泰宏社長を挟んで、川端康弘さん、中江良一さん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
取材の様子
 
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                                       記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子