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株式会社南勢 代表取締役社長 瀧 篤人氏

2014年07月03日

【藤田未来開発・パブリシティ委員長から読者の皆様へ】

 会員読者の皆さん。こんにちは。未来開発パブリシィテー委員会委員長の藤田と申します。何時も会報ねじを読んで頂き有難うございます。

 この度、好評連載中の「トップに聞く」の新しいシリーズに、賛助会員のトップインタビューを連載する事となりました。正会員が仕事をする上で賛助会員会社の協力はなくてはならないものと思います。トップの想いなどを御伝えしたく思いますので宜しく御願い申し上げます。

 第一回として株式会社南勢の瀧社長に御願いしました。 是非御読み下さい。    藤田

◇ ◇ ◇

「トップに聞く」

株式会社南勢

代表取締役社長 瀧 篤人氏

聞き手 未来開発・パブリシティ委員会「トップに聞く」グループ

 

インタビューサマリー

  ・「礼節を重んじる

  ・少数のお客様を大事に

  ・人としても磨きをかけてほしい

  ・「南勢なら寿命が安定する」を目指す

  ・父の真似はできない

 

  ・会社概要IMG_3897.JPG

 

 

瀧 篤人 (たき あつひと)

1962年生まれ。1985年、愛知工業大学 経営工学部を卒業。圧造機メーカーで3年間の修行の後、1988年、株式会社南勢に入社。2006年、代表取締役社長に就任。

 

 

 

「礼節を重んじる」

―― 「南勢」はどのようにして生まれたのでしょうか。

 私の父で、創業者であり会長であった瀧勇吉は、当社を創業する前、金型メーカーに勤めており、そこで金型の技術を磨きました。とてもよく気がつく人で、それが組織の中ではうっとうしいと思われたこともあったようで、自分でやろうと考えたそうです。1964年11月に35歳で創業し、1966年4月に会社を設立しました。

―― 「南勢」という会社名の由来は。

 父の生まれ故郷が、三重県度会郡南勢町だからです。2005年に隣接する南島町と合併したため、今は南伊勢町となっています。

―― では、なぜ創業の地に名古屋を選ばれたのでしょう。

 もともとは三重県の山の中で、木の仕事をしていましたが、役者になりたかったようで、このままいなかにいてもどうしようもないと思い立ったそうです。本当は東京まで行こうと思って家を出ましたが、お金がなくて名古屋で下車したのがそもそもの発端です。名古屋では、まず仕事をしなければならないと、最初は鈴鹿の軍事工場で工員として働きました。爆弾が爆発して死にそうになったこともあると聞いています。

結局、当初の目的地だった東京には行かず、その後いくつかの仕事を経て、金型メーカーに至りました。

―― 創業当初はご苦労されたことと思います。

 お客様に喜んでいただけることをしないと、仕事はいだけないと思って、あえて緊急の修正など、工程がくずれてしまうような仕事を引き受けていました。一人で始めましたから、昼間はお客様を回って修正の仕事をいただいて、夜中に修正して翌朝お持ちするので、寝る暇もない。でもそういう努力の積み重ねで、少しずつお客様からの依頼を増やしていったそうです。

当社では「心と技」を大切にしています。お客様が困っていることを快くお引き受けして、実現できるようにすることが、心と技です。それによって仕事が増えて今の会社につながっているのですし、先代の創業当時の思いはずっと受け継がれています。今でも、修理はまっさきに対応するように心がけています。それが南勢の「魂」であり「灯」です。

―― 経営理念には、「礼節を重んじる」とあります。どういう思いを込められたのでしょう。

 経営理念は、2006年に私が社長に就任したとき掲げたものです。当社では、どんな役職、職責であろうと、年上の人は「さん」づけで呼びます。それは社長の私も含めて例外はありません。なぜなら仕事の場では後輩であっても、人生の先輩であるということを重要視しているからです。それが礼節を重んじるということだと思っています。

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少数のお客様を大事に

―― 現在御社で作られている金型の用途は。

 ファスナー関係が約60%、部品関係が約30%、残り1割は航空機関連などです。

現在の当社の設備では、小さいものは内径3.5~4ミリぐらいまで、大きいものは直径、高さとも200ミリぐらいまで作ることができます。

―― 御社の強みとなる技術にはどのようなものがありますか。

 割型技術、銅帯コイルを用いたケース技術、複合組織改質技術(PIP処理)やWPC処理による金型の長寿命化です。

割型は、日本では始めて当社が手掛けたので、六角形などの角のある形状に使います。角の部分は金属の圧縮時にストレスが大きいため、金型が割れやすくなります。そこで六角形なら、あらかじめニブを6つに割っておいて、ケース内で組み合わせて使うと、金型が呼吸できるようになるので割れません。角が丸みを生じても問題ないものには有効です。

各種の金型製品     

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金型は、ケースと中に入れる超硬合金の応力のバランスが良いと寿命が長くなります。ケースも超硬合金も十分な大きさがあることが理想ですが、限られた大きさの中で対応するために使うのが、コイルです。100分代の薄い板をコイル状に巻いた内側に超硬合金を圧入することで、強く締め付けることができます。

PIP処理は、特許を取得している企業より許可を得ている工法です。金型の表面に、粉末の  二硫化モリブデンを音速に近いスピードで吹き付けて表面に層を作る方法で、焼きつき防止の効果があります。

WPC処理も表面加工の技術ですが、0.5ミリまたはもっと小さいガラスの粒を吹きかけて表面にディンプル形状を作り表面改質を行います。それを磨くと、ディンプル形状の凹んだ部分だけ摩擦を受けないので、摩擦の表面積を減らすことができ、焼きつき防止の効果があります。PIPとWPCを組み合わせて使用する場合もあります。

これらはすべて、金型の寿命を延ばして、お客様が一つの金型でたくさん生産できるようにする技術です。

―― 現在何社ぐらいのお客様に金型を提供していますか。

 長年お取り引きいただいている8社に提供している金型が、全体の約9割を占めます。

当社は少数のお客様を大事にしていくというのがポリシーで、中には40年近くお付き合いいただいているお客様もあります。お客様と一緒に、あきらめずに開発したり改善したりして完成させるスタイルを、他のお客様に安直に提案することはできません。

金型の寿命は、工程レイアウトや打ち方にも依存するので、どれくらい使えるとは一概にはいえません。常にお客様と一緒に検討会を立ち上げ、双方で調査して改善していきます。

およそ9割は、お客様から図面をいただいて作りますが、コストパフォーマンスをよくしたり、寿命を延ばしたりするためのアドバイスをさせていただくことも多々あります。

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人としても磨きをかけてほしい

―― 現在の業界の状況をどのように見ておられますか。

 台湾や韓国の金型は、日本のレベルに近づいています。中には日本の水準に匹敵するものもあり、人件費の差を考えると、台湾や韓国が勝っている場合もあります。台湾では、日本の超硬合金を使い始めているので、金型の寿命という意味でも、日本と同じになる可能性があります。

台湾や韓国が追いついてきたということは、日本の技術の伸びが鈍っているということだと思います。それは、金型を安く作る、生産性を上げることを重視するあまり、量産という方向に進んできたためではないかと考えています。本当は人の手による作業が必要な部分、そのための時間ほど尊いのに、前工程や仕上げの処理を省いたために、場合によっては台湾製のほうが寿命が長いということも起こっていますし、命数のバラつきの原因にもなります。

モノはできていても、次の世代をうまく育てられていないということではないでしょうか。

この悩みはお客様側にもあると思います。早く作るため、安く作るために、最初から最高速で打つということもあるようですが、昔は金型をもっといたわって、打つための細工や、空運転をして金型を暖めるとか、無理のない圧造で金型になじませてから過酷な正寸で打つというようなことが行われていたと聞いています。

―― そのような現状の中で、御社ではどのように人材を育成しておられますか。

 標準化というほどではありませんが、工程の一部には作業手順書を用意して、新しく入った人には、1週間目に何個、2週間目に何個と、課題を与えて作らせたうえで、どういう仕事をさせるかを見極めています。以前はつきっきりで教えていましたが、人が教えるのは限界があると考えて、2年ほど前から始めた方法です。

また、図面や工程表の中に書かれている、過去の失敗や注意事項は非常に貴重です。抽象的な指示ではありますが、同じ失敗を繰り返さないために、また過去のいい製品と同じようないい製品が作れるように、情報を共有しています。毎週月曜日の朝、役職者やリーダー格の人たちが参加するミーティングでは、今の会社の状態や仕事の量、起こっている問題や、ほめられたことなどを話しています。

役職者を育成するにあたっては、候補生を月曜日の会議に参加させて、興味を持って積極的に質問をしてくる人に絞り込みました。当社では主任以上が役職ですが、主任候補にはあえて「班長」という肩書きを与えています。なぜ主任ではなく班長なのか、主任になるには何が足りないのかなど、興味を持ってくれる人、場合によっては自分が嫌われても会社のため、仕事のためにがんばってくれる人を、主任として迎え入れたいと考えています。

また役職を得ることによって、会社の中での責任が重くなるのはもちろんですが、家庭や地域など社会生活においても人格者になってほしいという願いがあります。社長の私もみなさんと一緒に、社長としてふさわしい人間になれるように磨こうとがんばっている。だから社員にも会社で毎日仕事をするついでに、人としても磨きをかけてほしいと思っています。

―― カタログには「南勢流マイスター」との記載があります。

 ドイツにはマイスターと呼ばれる人たちがいるそうですが、単に職人として腕がいいだけではなく、人を導くことができる人格者であることが求められると聞いています。

当社が目指すマイスターとは、「心」と「技」と「情報」が基本になります。「心」とは、金型加工への思いやりであり、次の工程はお客様であるという意識を持つことです。「技」とは、現在の技術に満足することなく、自身を磨いて高みを目指すことです。「情報」とは、固定観念にとらわれず、顧客の意見や新しい技術情報を取り入れることです。現在一人、マイスターの肩書きを持つものがいますが、こういう人材を一人でも多く育てたいと思っています。

―― 現在の社員数は約50名とのことですが、平均年齢は。

 おそらく32~33歳だと思います。事務の方以外は全員技術者で、役職者も一人の職人ですし、みんな仕事をいっぱい抱えてがんばってくれています。会社を存続しなければいけないし、社員に不満があってもいけないと、そこにはとても気をつけています。

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「南勢なら寿命が安定する」を目指す

―― 2012年5月に、本社工場を名古屋市港区から現在の岐阜県関市に移し、工場を一本化されました

 関は、20年ほど前にアフターサービス専用の工場を設立して以来、お世話になっている場所です。2007年に関工場が完成しましたが、その後リーマンショックや、タイの洪水などがあり、東日本大震災では危機管理対策の重要性を再認識し、関に本社機能を移すべきだと思いました。

また、名古屋と関に分散していた工場固有の技術を1か所に集結させることで、従業員もより切磋琢磨し、技術や会社の競争力が向上しますし、結果的にお客様によりご満足いただけるのではないかと考えたからでもあります。

もとの名古屋の本社工場は売却し、現在の名古屋営業所は、もともと社員の駐車場だった場所です。

―― 名古屋に勤務していた方も、関に通っておられるのですか。

 関に工場を集結させるにあたり、一番懸念していたのは社員が辞めてしまうことでした。でも私の考えをみんなが理解してくれ、ほぼ全員が辞めずに関に通ってくれています。それが一番うれしかったですね。

車通勤が多いためガソリン代は全額支給していますし、名古屋工場の跡地から送迎バスも運行しています。

―― 関とはどういう場所ですか。

 1300年以上の歴史がある、長良川の鵜飼が有名です。関鍛冶という刀鍛冶は、鎌倉時代から受け継がれています。また江戸時代前期の行脚僧であり、木彫りの仏像を大変多くの残している円空ゆかりの地でもあり、円空記念館では30体の実物を観ることができます。隣の美濃市では、やはり1300年以上の伝統がある美濃和紙が作られています。

この地域は、こういうものづくりが脈々と受け継がれている場所です。刀鍛冶の伝統もあり、鉄に対する思い入れもありますし、金型に向ける愛情もことのほか強いと感じています。伝統が受け継がれている場所で、社員のみんなと一緒に、金型づくりをもっと確立させていきたいと思っています。

―― 今後はどういう会社を目指したいですか。

 現在、異形もののニーズが高くなってきていますので、機械を導入していきたいと考えています。異形ものはどうしても時間がかかって普通の工程ではできませんので、今よりももっと短時間で段取りができるように教育も必要です。全体の力のバランスをとりながら、それぞれの分野の技術者が互いに補い合えるような体制を作っていきたいと思います。

また業界の状況も変化していくと思いますので、圧造の金型が必要とされる分野で、移行していける範囲内であれば、いろいろな金型に挑戦したいという思いもあります。

ただ当社の売り上げの9割を占めるリピーターのお客様のおかげで今があるわけですし、まだまだ今の仕事の本質を見極められているとは思っていません。ですから現在は、今の金型の技術をもっともっと高めて、「南勢の金型なら寿命が安定する」といわれることを目指したいと思っています。今のものづくりをもっと確立し、標準化なども明確にできてこそ、新たな分野の仕事にも移行できると思います。

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父の真似はできない

―― お父様は、2012年に亡くなられましたね。

 82歳で亡くなりました。今でも私には絶対真似ができないと思っています。

父はとにかく元気で、ちょっとやんちゃなところがある人でした。そんな人が、腰を圧迫骨折して入院したときに、衰えたなと思ったら泣けてきましたね。

―― 家業を継ぐ以外に、成りたいと思っていた職業はありましたか。

 父にうまく育てられたという感じですね。小さい頃からよく会社に連れて行かれて、社員のおにいさんとキャッチボールしたり、昼休みには弁当を食べた後に、喫茶店に連れて行ってもらったりしていました。後で聞いたのですが、私が朝から会社にいるので、社員のみなさんは私が喜ぶだろうと、喫茶店に連れて行ってごちそうしてくれていたそうです。夏休みなんて、朝から会社に連れて行かれるので正直退屈で、昼休みにジュースを飲むのが唯一の楽しみでした。みんなは働いていて大変だということも知らずにね。

学生時代は家業を継ぐための勉強などは考えず、ただ卒業したら父の会社に入るんだなと思っていました。なめていましたよね。当時は、会社を継ぐという厳しさはまったく考えていませんでした。

卒業してから圧造機メーカーさんで3年間お世話になり、そこで仕事をするということも、社会勉強もさせていただきました。本当に感謝しています。修行をせずに家業を継いでいたら、とんでもないことになっていただろうと思います。

―― 社長に就任してから新たに始めたことは。

 社長になる3年ぐらい前から、ISOへの取り組みを始めました。でも長く当社で働いている人たちの中には、今までのやり方を変えることに抵抗を示す人たちもいました。私が小さい頃に遊んでもらったということもあり、難しかったですし、本当に悩みました。社員はみんな職人さんですから、辞められても困りますし、若い人たちにもしめしがつかない。そのとき初めて父にも相談しました。

―― 自分のためにしていることはありますか。

 ゴルフは時々しますが、スポーツジムにも通っています。体力づくりも一つの目的ではありますが、本当は、自分だけの時間が欲しかったのがきっかけです。

お酒は体質的にダメなので少量しか飲みません。どちらかというと甘いものは好きかもしれませんが、炭水化物は控えめにしています。

あと、髪を切るときは美容室に行きます。最近は白髪も増えてきましたが、私は白髪交じりが似合うとは思えないので、週に2回、自分でカラーリンスをしています。髪を染めるのは「あきらめた」ということだと思うので、カラーリンス。しかも黒とこげ茶と茶色を調合して使っています。

―― ご家族には「猫」もいるとか。

 猫のために家に帰るようなものですね。アメリカンショートヘアという種類の「チョコちゃん」は、今7歳で、人間にすると49歳ぐらいですから、私と同世代です。生まれて3か月ごろから飼っていて、私が一番面倒を見ていると思いますよ。飲み屋さんに行って隣に女性が座ったりすると、帰って来た時にチョコちゃんには分るらしく、迎えに出てきません。悪いことはできませんね。

とにかくかわいくて、「この子もいつか死んじゃうんだ」と思うだけで涙が出ます。

―― では社員のみなさんと仕事を離れて交流することは。

 リーマンショック後は忘年会すらしなかったのですが、それではいけないと、関に来てからは納涼会や忘年会をしています。こういう交流の場は大事だと思います。

経営理念に掲げているとおり、南勢が存続して、繁栄していくためには、社員とその家族に幸福をもたらさなければなりません。その基盤として、礼節を重んじ、互いを尊重し合う「心」がなくてはならない。社員が充実して仕事ができ、お客様に喜んでいただけるように、これからも「心と技」を磨いていきたいと思います。

 

―― 貴重なお話をありがとうございました。

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関市に集結した本社工場の前で

シンボルマークの「心」と一緒に

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【会社概要】

 

創業               昭和39年(1964年)11月

設立               昭和41年(1966年)4月

代表者           代表取締役社長 瀧 篤人

資本金           1,000万円

従業員数        50名

営業品目        冷間圧造・冷間鍛造用超硬金型

                     熱間圧造・熱間鍛造用ケース金型

所在地・拠点   本社: 〒501-3210 岐阜県関市尾太町1番地

                     名古屋営業所: 〒455-0076  愛知県名古屋市港区川間町2-32-1

経営理念

                     南勢が存続繁栄し、社員とその家族に幸福をもたらす基盤は

                     礼節を重んじ、互いに尊重しあう「心」なくしてはありえない・

                     そして我々は、塑性加工に於いてなくてはならない存在であり続けたい。

――――――――――

 

記事:ワッツコンサルティング㈱ 杉本恭子

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