日本ねじ工業協会・大磯専務が「ねじの日」に因むお話を投稿
この記事は、一般社団法人日本機械工業連合会が発行する、"日機連かわら版「業界得々便」"に 大磯専務が寄稿したものを、同連合会の承諾を得て掲載しています。
【業界得々便】
世の中には祝日、年中行事、ゴロ合わせによるもの等、様々な記念日があります。かわら版では機種別工業会・会員のご協力のもと「今日は何の日?」をテーマにご寄稿頂きました。
6月1日は「ねじの日」
ねじ業界では、6月1日を「ねじの日」と定めています。このいわれは、戦後日本の標準化を進める「工業標準化法」が昭和24年6月1日に施行され、JIS(日本工業規格)を制定したことを記念して、ねじの製造者と商業者とで構成する「ねじ商工連盟」がこの日を「ねじの日」とすると宣言したからです。
ねじは、いつでも、どこでも、だれもが使える互換性をもった部品で標準化の優等生だと言われ、ねじだけでは何もできないが、ねじがなければ何もできない、という存在感をもっています。「たかがねじ、されどねじ」とも言われるほどに産業の発展には欠かせない存在になっているのです。
今年の「ねじの日」のグッズ
ねじ業会では、毎年、「ねじの日」記念グッズを製作しており、今年は「この世はねじでできている」というロゴ(図1)を印刷したクリアファイル(写真1)に決定しました。
このロゴは、「MF-Tokyo2015プレス・板金・フォーミング展」で公表し、商標登録したものです。当協会会員であれば誰でもが自由に使えるロゴで、ねじに親しみを持ってもらうために作成しました。
<写真1 ロゴ入りクリアファイル <図1 商標登録したロゴ>
2017年「ねじの日」記念グッズ>
ねじのルーツを訪ねて
ねじの表記は、古文書を見ると、ねぢ、ネジ、捩子、捻子、螺子、螺旋、というさまざまな表し方をしています。
英語圏ではscrew、screw threadやfastener、フランス語圏ではvisと表記されていますので、外来語の翻訳ではなく、ねじる、ねじれ、渦を巻いた螺旋などの形状から発想された当て字ではないかと推測されます。
カクテルの一種にスクリュードライバーというお酒があります。このカクテルの由来は、とある工事現場で労働者がウオッカにオレンジジュースを混ぜて飲もうとしたとき、かき混ぜるものがない・・・そこで周りを探したところ傍らにねじ回し(ドライバー)があったので、これを使ってかき混ぜたから、と言われています。
ねじのこぼれ話はこれくらいにして、ねじのルーツを紹介することにしましょう。
(1)火縄銃の伝来
1543年(室町時代)夏に台風の影響で種子島に漂着(写真2)した1隻の南蛮の船に乗っていたポルトガル人から、島主の種子島時尭が2丁の火縄銃を買い求めました。(写真3)この火縄銃の銃底を塞ぐ「尾栓」が日本に伝わった最初の「ねじ」と言われています。この火縄銃の伝来は、種子島家譜「鉄砲記」に詳しく記されています。
<写真2 ポルトガル船が漂着した門倉岬>
<写真3 買い求めた初伝銃や国産第1号の火縄銃が展示されている鉄砲館>
(2)火縄銃の製造
島主から火縄銃の製造を命じられた関出身の刀鍛冶師の矢板金兵衛は、尾栓の作り方が分からず、翌年の1544年に再来した(写真4)南蛮船の中にいたポルトガル人技師に、自分の娘の「わかさ」を嫁がせてまで尾栓の作り方を学んだという逸話まであるのです。
銃筒の片方を塞ぐおねじとめねじの組合せから成る尾栓の当時の製造法は謎に包まれていますが、矢板金兵衛が苦労した末に、日本で最初に尾栓のねじを作り、火縄銃を作り上げたと伝えられています。
その後、この火縄銃の製法が紀州の根来寺、長浜の国友村、堺などへと伝わり、戦国時代の戦いを一変させたあの「長篠の戦い」へとつながっていきます。この火縄銃の伝来こそが、日本人が初めて見たねじであり、ねじ製造のルーツとなった所以です。
<写真4 尾栓の作り方を伝えたポルトガル船の再来地-熊野海岸>
産業の発展を支えるねじ
産業の発展に貢献しているねじは、今や宇宙ロケット・衛星になくてはならない機能部品となっています。
ロケット先端のフェアリング部に格納した衛星を、瞬時に宇宙空間へ飛び出させるための特殊なねじ、宇宙ステーションの外壁パネルを無重力状態の中で交換するために工夫されたねじなどが今も活躍しています。
宇宙ロケットの打上げ基地(写真5,6)がある種子島、火縄銃伝来の地の種子島、ねじ製造のルーツの種子島、これらの繋がり、産業発展を結ぶねじを紹介しました。なんという因縁なのでしょう、過去を見て未来を語る「ねじの日」にちなんだ話になったでしょうか。
<写真5 種子島宇宙センターの受付>
<写真6 種子島宇宙センターのモニュメント>
以上