ケーエム精工創業者の北井正次氏が逝去。協会の副会長他団体役員としてねじ業界の発展に貢献
ケーエム精工株式会社創業者の北井正次氏が2022年5月17日に逝去されました。5月22日で満90歳を迎えられるところでした。葬儀は既に大阪府東大阪市において執り行われました。
長きにわたって親交のあった株式会社フセラシ相談役の嶋田亘様より、故北井正次氏の死を悼むとともに、ねじ業界への多大なる貢献に対する感謝の気持ちを表明する文章が送られてきましたので以下に掲載させていただきます。
故 北井正次氏
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故北井正次氏に捧げる
株式会社フセラシ
相談役
嶋田 亘
北井さんは、昭和7年5月22日にお生まれになり、あと数日にして満90歳を迎えられるところでした。太平洋戦争を挟んだ、戦前、戦後の激動の時代90年間を本当にたくましく、生き抜いてこられました。
北井さんと、私の一番上の兄貴が、八尾高校で同級生でした。その為、古くから北井さんを存じ上げていましたが、私の兄が43歳と、若くして亡くなりましたので、私は、北井さんに兄の姿を映し出し、色々とご指導を受けてまいりました。その後、仕事の関係も同じねじ業界にありましたので、長いおつきあいをさせていただきました。多いに勉強になり、どれだけ励みになり、勇気づけられたか、今は感謝の気持ちで一杯であります。本当にありがとうございました。
北井さんは、1972年ケーエム精工株式会社を設立し、圧造ナットを中心に、タッピンねじ、小ねじの生産を開始され「ねじに関して困っている世界のお客様に、技術と安心で貢献すること」を経営理念として、めまぐるしく移り変わったこれらの時代を、また幾多の試練を、創業者としての気骨と心意気、さらに潔さをもってケーエム精工を大きく育て上げてこられました。
また公職としては、社団法人日本ねじ工業協会、副会長兼関西支部長、さらに日本ナット工業組合理事長、西部精線鋲螺工業協同組合・理事など歴任されました。特に特筆すべきことは、関西ねじ協同組合の結成でのご活躍でした。戦後の物資統制で材料供給の時代、それぞれのねじ生産の違いにより、5団体の協同組合生まれましたが、その5団体を統合一本化し、関西のねじ業界の活性化、技術革新、情報の共有化を目指し統合することに尽力されました。おかげをもちまして、今、立派に関西ねじは発展、活動しております。
2007年(平成19年)秋の叙勲にて旭日双光章を受賞されました。これは、ねじ業界の功績また業界の活性化に向けたリーダーシップの賜物だったと思います。
これまでの多大な貢献に対し、ねじ業界をあげて感謝申し上げる次第です。
天寿を全うされて、どうか安らかにお眠りください。
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団体役員歴
1 (社)日本ねじ工業協会
理事 昭和54年6月〜昭和62年5月
常任理事 昭和62年6月〜平成7年5月
平成15年6月〜
副会長 平成7年6月〜平成15年5月
関西支部長 平成7年6月〜平成15年5月
2 日本ナット工業組合
理事 昭和50年5月8日〜平成4年5月18日
理事長 昭和53年7月27日〜平成4年5月18日
顧問 平成4年5月19日〜平成14年5月
3 西部製線鋲螺工業協同組合(現 関西ねじ協同組合)
理事 昭和49年5月〜昭和52年5月
昭和56年5月〜平成11年5月
監事 昭和52年5月〜昭和56年5月
相談役 平成14年10月〜
4 大阪府機械加工技術センター協力会(現 (社)大阪府技術協会)
副会長 平成8年6月〜平成13年6月
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以上